*剣を鍬に [#waaba774]

 1540年1月の世界地図
#ref(1540_world.jpg,around,nolink,left,)
#clear

 この後、同年7月にオーストリアのハンガリー併合イベントが発生します。これが後にブルボン家と並ぶ欧州の二枚看板となるハプスブルグ家のさらなる躍進のきっかけになります。

 一方オスマン帝国は1543年からアルバニアとの戦争を再開、講和による休戦期間を経て1554年に併合しました。30年以上続いた戦争状態はオスマン帝国に深刻な疲弊をもたらし、戦争の終結に伴い再燃した宗派や派閥間の対立は激化の一途を辿ってついにオスマン帝国は初めて政府の崩壊を経験することになります。1567年4月のことです。&br;
#ref(1567_ottoman.JPG,around,nolink,left,)
#clear


 その混乱の結果、ブルガリア2州とアルメニアが独立。トラブゾンはグルジアに、アゼルバイジャンはマムルークに、タブリーズはペルシャにそれぞれ寝返ってしまいました。これ以後オスマン帝国はゆっくりとしかし確実に衰退していきます。&br;
 そして、西でオスマン帝国が斜陽への初めの一歩を踏み出した頃、東では金帳汗国によるシベリア開拓という一大事業が始められようとしていました。


**祖先を想いて 〜シベリア探検と東方植民運動〜 [#e26e0637]

 16世紀に入ってからの金帳汗国は対外的には隣国に対する積極的な外交使節の派遣が目立っていましたが、国内では異教徒の反乱や貴族間の対立、いつまでたっても変わらないハーンへの不満等による反乱が頻発し絶えず軍が動き回っていました。
そのせいかどうかはわからないのですが、1565年も終わろうとしていたある日ふとある軍隊ユニットをクリックしたらこんなものが
#ref(Sharif.jpg,around,nolink,left,)
#clear

 驚いてログを見直すと

 5年近くも前に
#ref(nazeni.JPG,around,nolink,left,)
#clear

 こんなイベントがあったらしいです。なんでスルーしてたのかよくわかりません・・・(SSは後で撮り直しました)&br;
 何はともあれ征服者Sharif出発させます。1573年1月にモンゴルの東端チルカ(東隣はかのネルチンスク)で死亡し約六年の探検行は終わってしまいますが、彼が開いた故地モンゴルへの道とそこまでに至る未開の土地は人々の関心を惹きつけ活発な開拓植民活動が長い年月にわたって行われていきます。

#ref(1573_est.jpg,around,nolink,left,)
#clear
 
**金帳汗国海軍の創設 [#r3024f05]

 1567年当時、クリミアやカッファの商人たちは黒海での貿易で大いに繁栄していた。しかし、オスマン帝国の諸戦役によって緊迫した情勢が続き増え始めた海賊から身を守るためそれぞれ船の武装の強化や傭兵を雇うなど対応してきたが、今まで黒海を制してきたオスマン帝国の混乱を見て商人たちは共同で軍艦を購入することにしたのである。&br;
 カッファやフランス領ケルチになお留まっている旧ジェノヴァ商人からのつてで旧式軍艦10隻を購入した彼らはそれをハーンに献上した。単なる武装商船団ではなく海軍の軍艦が護衛するというところが肝心だったのである。案の定、海や船というものに関心の無い将軍たちは海軍の創設に関して彼らの言うがままに行った。&br;
 金帳汗国では整備は海軍が受け持ったが軍艦の建造はまったく行われず、商人たちが必要に応じて軍艦を購入することで成り立っていたのである。金帳汗国海軍の創設に伴い、黒海艦隊がお披露目されたのが1567年6月。オスマン帝国の政府崩壊から2ヵ月後のことであった。

#ref(marine.JPG,around,nolink,left,)
#clear

**階上りて・・・ [#m56a69c7]

 金帳汗国は植民活動を行う一方で外交面でも1582年11月にウズベクを併合。次の同盟相手にチャガタイ・ハーンを選びます。一応ムガール帝国との関係修復はしてあるものの仮想敵国の一つとして考えています。
だってほら、仮にもモンゴル帝国とか名乗る輩をジュチ・ウルスが認めるわけにはいかないですから・・・。えっ、チャガタイ・ハーンとか僭称してる輩はいいのかって?用済みになったらちゃんと始末するのでご心配なく。

#ref(1582_uzb.jpg,around,nolink,left,)
#clear
 1591年12月には待望のインフラレベル5到達。これでランダムイベント以外でインフレを抑えることが出来ます。これからは陸軍技術(この時点で4)に振って全力で西欧諸国に追いつかないとろくでもないことに(結局なったわけだが)
#ref(inflv5.jpg,around,nolink,left,)
#clear
 1599年9月に再びランダムイベント「移民への活力」が発生、2人目の征服者が登場します。3年後の1602年9月にはランダムイベント「征服者」が発生して3人目の征服者を得ます。1人を北に、もう一人を東に送って探検させます。成果が現れるまで今しばらく時間が必要になります。
#ref(conq.JPG,around,nolink,left,)
#clear
 一方、その頃のバルカン半島では大国の狭間で生き抜く一つの小国があった。その名をジーベンビュルゲンという。この国を軸に再び欧州が鳴動するとはこのとき誰も予想だにしなかったのである・・・。
#ref(1599_tra.jpg,around,nolink,left,)
#clear

 次回 「東奔西走〜来た、見た、負けた」

&br;
&br;

[[目次に戻る>嗚呼、金帳汗国(キプチャク・ハーン)]]

[[次の章へ>第6章/嗚呼、金帳汗国]]

&br;
&br;
&br;



トップ   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS