オーストリア戦で大勝利を収めたバイエルンは数十年の平和を謳歌します。

軍備を整えながらヴュルツブルクの併合を目指すのですが、なかなかうまく行きません。
ちょっと起こった戦争が多すぎるので年表形式で書いていきます。

|1450年|ザクセンを属国化。この時点では特に大義名分も得られないため美術館でも建てようかとしていました。
|1458年|ザクセンがクレーヴェに宣戦布告。&br;ミュンスター, クレーヴェ, オルデンブルグ と スコットランドとの戦争が始まりました。
|1459年|メクレンブルクが敵同盟に参加。
|1462年|メクレンブルクからブレーメン、ハノーファーを得て和平。&br;ミュンスター併合&br;クレーヴェを属国化。同盟に勧誘。&br;ボヘミア、オーストリア、バーデンの同盟が我が国に宣戦布告。&br;#ref(eu-000011.JPG,around,nolink,left,)北方に得た新領土。
|1463年|サボイ、教皇領、ジェノバ、ミラノが我が国に宣戦布告。&br;ボヘミア連合から賠償和平の使者が来たので44$で和平。
|1464年|#ref(eu-000012.JPG,around,nolink,left,)北方がある程度片付いたので南の敵を叩きに掛かりました。&br;モデナがサボイ連合に参加。&br;オーストリアから58$の賠償で講和。
|1465年|オルデンブルグ、メクレンベルクが我が国に宣戦布告。&br;ミラノから46$で和平。そろそろ全般的に苦しくなってきました。&br;あまりの戦争疲弊と劣勢にブレーメンを割譲しジェノバ連合と和平。
|1466年|メクレンブルグ政府崩壊。
|1467年|オルデンブルグから賠償で和平。&br;スコットランドと白紙和平&br;10年ほどに過ぎませんがずっと戦争しっぱなしはなかなか疲れました。
|1474年|ベネチアと同盟を締結。
|1475年|ベネチアがセルビアに宣戦布告。&br;正直わざわざ遠征する価値もないと感じたのと、敵がセルビア1国だったので同盟履行による宣戦布告のみで、軍は動かしませんでした。
|1479年|ベネチアがセルビアを属国化。
|1481年|無礼な外交により得た大義名分でミラノに宣戦布告。&br;敵の同盟国はイングランド、ブルゴーニュ。再び戦乱が巻き起こります。
|1482年|ブルゴーニュにより我が属国ヴュルツブルクが併合されてしまいました。
|1483年|ミラノからシュヴィーツ、ヴュルテンベルクを割譲させて和平。&br;プファルツから通行権を得て、ブルゴーニュ本国へ次々と我が軍が侵攻していきます。
|1484年|順調にブルゴーニュを侵略していると、プファルツ、メクレンブルクが敵連合に参加。&br;戦闘が厳しくなりやむを得ずブルゴーニュと単独和平。&br;イベントによりオーストリアがブルゴーニュを継承併合しました。
|1485年|プファルツを占領し属国化しました。
|1488年|長年の戦闘によりようやくメクレンブルクを陥落させ、併合しました。&br;}}#ref(eu-000023.JPG,around,nolink,left,)ついにCoTを得ました。
|1489年|ブランデンブルク、ゲルダーランド、トスカーナ、ハンガリー、モデナ、ポメラニアの連合軍が我が国に宣戦布告。&br;取り急ぎイングランドに50$渡して和平しました。
|1492年|ポメラニアを占領。BBRが危険だったので126$賠償にて和平。
|1493年|ハンガリー領に反攻開始。&br;ゲルダーランドより86$賠償にて和平。&br;ブランデンブルク全土占領にてマクデブルク割譲及び属国化。
|1494年|ハンガリーから同文化のオーデンブルクのみ割譲させて和平。&br;南方でオスマントルコとも戦争中だったようです。
|1495年|教皇領の宣戦布告によりモデナ、ジェノバ、デンマーク、ホルシュタイン、アルバニアと戦争開始。&br;BBRが11ほど。なんというかかなりきつい。&br;しかも同盟国全てが参戦を拒否。&br;なんとかしようと踏ん張るもののどうにもなりませんでした。
|1498年|さらにミラノがポメラニア、イングランド、ロレーヌの同盟軍とともに宣戦布告。&br;教皇領連合はハノーファーへのメクレンブルク割譲をしきりに迫り、拒否によって安定度とVPが下がりまくりです。
|1499年|ミラノを攻略し、属国としました。
|1500年|ついに首都まで反乱軍に占領される悲惨な状況に、泣く泣くメクレンブルクを手放し、和平しました。&br;やっと安定度を-3から戻せると思ったのもつかの間、わずか一ヶ月もたたずにオーストリアより宣戦布告を受けます。&br;歴史イベントにてオーストリアと同盟していたミラノも属国関係を破棄して再び戦争に。おまけでブレーメンもついてきました。
|1502年|ミラノを攻略し、64$賠償にて講和しました。&br;サボイより宣戦布告を受けました。&br;敵同盟はスコットランド、フランス、スペイン。正直、西の大国二つを同時に相手をするのは無理がありすぎです。しかも我が国の陸軍レベルはいまだ4−5であるのにフランス軍はすでに9を超え、マスケット銃で武装しています。&br;#ref(eu-000029.JPG,around,nolink,left,)1481年からいまだに続いていたイングランドとの戦争を、マグデブルクをポメラニアに割譲及び5$払って終わらせました。
|1503年|以前、参戦を拒否してリトアニアと同盟していたベネチアが宣戦布告してきました。&br;敵同盟はグルジア、リトアニア、ポーランド、スウェーデン、騎士団&br;今度は東の2大国。ベネチアもそれなりの中堅国です。&br;正直投げようかと思ったくらい泣けました。&br;#ref(eu-000030.JPG,around,nolink,left,)ひとまず戦闘が有利に進んでいるオーストリア戦を片付けることにしました。
|1505年|スペイン軍の突撃により一瞬で落ちたシュヴィーツを見て、戦意喪失。スイス文化でもあることですし、スペインにシュヴィーツを渡して和平しました。これでフランスとは直接領土を接しなくなります。&br;#ref(eu-000033.JPG,around,nolink,left,)オーストリアを屈服させ2州割譲及び属国クレーヴェも1州を得ました。
|1450年||ザクセンを属国化。この時点では特に大義名分も得られないため美術館でも建てようかとしていました。|
|1458年||ザクセンがクレーヴェに宣戦布告。&br;ミュンスター, クレーヴェ, オルデンブルグ と スコットランドとの戦争が始まりました。|
|1459年||メクレンブルクが敵同盟に参加。|
|1462年|#ref(eu-000011.JPG)|メクレンブルクからブレーメン、ハノーファーを得て和平。&br;ミュンスター併合&br;クレーヴェを属国化。同盟に勧誘。&br;ボヘミア、オーストリア、バーデンの同盟が我が国に宣戦布告。&br;北方に得た新領土。|
|1463年||サボイ、教皇領、ジェノバ、ミラノが我が国に宣戦布告。&br;ボヘミア連合から賠償和平の使者が来たので44$で和平。|
|1464年|#ref(eu-000012.JPG)|北方がある程度片付いたので南の敵を叩きに掛かりました。&br;モデナがサボイ連合に参加。&br;オーストリアから58$の賠償で講和。|
|1465年||オルデンブルグ、メクレンベルクが我が国に宣戦布告。&br;ミラノから46$で和平。そろそろ全般的に苦しくなってきました。&br;あまりの戦争疲弊と劣勢にブレーメンを割譲しジェノバ連合と和平。|
|1466年||メクレンブルグ政府崩壊。|
|1467年||オルデンブルグから賠償で和平。&br;スコットランドと白紙和平&br;10年ほどに過ぎませんがずっと戦争しっぱなしはなかなか疲れました。|
|1474年||ベネチアと同盟を締結。|
|1475年||ベネチアがセルビアに宣戦布告。&br;正直わざわざ遠征する価値もないと感じたのと、敵がセルビア1国だったので同盟履行による宣戦布告のみで、軍は動かしませんでした。|
|1479年||ベネチアがセルビアを属国化。|
|1481年||無礼な外交により得た大義名分でミラノに宣戦布告。&br;敵の同盟国はイングランド、ブルゴーニュ。再び戦乱が巻き起こります。|
|1482年||ブルゴーニュにより我が属国ヴュルツブルクが併合されてしまいました。|
|1483年||ミラノからシュヴィーツ、ヴュルテンベルクを割譲させて和平。&br;プファルツから通行権を得て、ブルゴーニュ本国へ次々と我が軍が侵攻していきます。|
|1484年||順調にブルゴーニュを侵略していると、プファルツ、メクレンブルクが敵連合に参加。&br;戦闘が厳しくなりやむを得ずブルゴーニュと単独和平。&br;イベントによりオーストリアがブルゴーニュを継承併合しました。|
|1485年||プファルツを占領し属国化しました。|
|1488年|#ref(eu-000023.JPG)|長年の戦闘によりようやくメクレンブルクを陥落させ、併合しました。&br;ついにCoTを得ました。|
|1489年||ブランデンブルク、ゲルダーランド、トスカーナ、ハンガリー、モデナ、ポメラニアの連合軍が我が国に宣戦布告。&br;取り急ぎイングランドに50$渡して和平しました。|
|1492年||ポメラニアを占領。BBRが危険だったので126$賠償にて和平。|
|1493年||ハンガリー領に反攻開始。&br;ゲルダーランドより86$賠償にて和平。&br;ブランデンブルク全土占領にてマクデブルク割譲及び属国化。|
|1494年||ハンガリーから同文化のオーデンブルクのみ割譲させて和平。&br;南方でオスマントルコとも戦争中だったようです。|
|1495年||教皇領の宣戦布告によりモデナ、ジェノバ、デンマーク、ホルシュタイン、アルバニアと戦争開始。&br;BBRが11ほど。なんというかかなりきつい。&br;しかも同盟国全てが参戦を拒否。&br;なんとかしようと踏ん張るもののどうにもなりませんでした。|
|1498年||さらにミラノがポメラニア、イングランド、ロレーヌの同盟軍とともに宣戦布告。&br;教皇領連合はハノーファーへのメクレンブルク割譲をしきりに迫り、拒否によって安定度とVPが下がりまくりです。|
|1499年||ミラノを攻略し、属国としました。|
|1500年||ついに首都まで反乱軍に占領される悲惨な状況に、泣く泣くメクレンブルクを手放し、和平しました。&br;やっと安定度を-3から戻せると思ったのもつかの間、わずか一ヶ月もたたずにオーストリアより宣戦布告を受けます。&br;歴史イベントにてオーストリアと同盟していたミラノも属国関係を破棄して再び戦争に。おまけでブレーメンもついてきました。|
|1502年|#ref(eu-000029.JPG)|ミラノを攻略し、64$賠償にて講和しました。&br;サボイより宣戦布告を受けました。&br;敵同盟はスコットランド、フランス、スペイン。正直、西の大国二つを同時に相手をするのは無理がありすぎです。しかも我が国の陸軍レベルはいまだ4−5であるのにフランス軍はすでに9を超え、マスケット銃で武装しています。&br;1481年からいまだに続いていたイングランドとの戦争を、マグデブルクをポメラニアに割譲及び5$払って終わらせました。|
|1503年|#ref(eu-000030.JPG)|以前、参戦を拒否してリトアニアと同盟していたベネチアが宣戦布告してきました。&br;敵同盟はグルジア、リトアニア、ポーランド、スウェーデン、騎士団&br;今度は東の2大国。ベネチアもそれなりの中堅国です。&br;正直投げようかと思ったくらい泣けました。&br;ひとまず戦闘が有利に進んでいるオーストリア戦を片付けることにしました。|
|1505年|#ref(eu-000033.JPG)|スペイン軍の突撃により一瞬で落ちたシュヴィーツを見て、戦意喪失。スイス文化でもあることですし、スペインにシュヴィーツを渡して和平しました。これでフランスとは直接領土を接しなくなります。&br;オーストリアを屈服させ2州割譲及び属国クレーヴェも1州を得ました。|

[[仏英西との対決]]


トップ   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS