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 1519年、ドイツ建国から18年後、ヨーロッパは四つの大国が覇を競う時代になりました。スコットランド・アイルランドとの同盟主としてブリテンの王者に君臨するイングランド、百年戦争を切り抜け、ブルゴーニュを打倒し中核州を回復したフランス、アラゴンとの合併を果たし、一気に地中海の覇者となったスペイン、そして、君主3代にわたる統一運動を経てとうとう強力な王国を建国することに成功した我がドイツ。

 

<1519年の状況>

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 私はドイツで世界征服を狙って残り300年をプレイすることに決めました。そして、やがてくるであろうBBWを乗り切るために次のような戦略を考えました。すなわち、ドイツを盟主としたヨーロッパ大同盟。これはBBWが起こったときに、同盟国からは宣戦されないということを知って考案したもので、具体的にはフランス・スペイン・ハンガリー・ポーランドを属国化し、かつドイツを盟主とした同盟を組ませるというものです。なぜこれらの4国なのかというと、これらは共通してカトリック国であり、国教をプロテスタントに改宗する危険性が少ないからです(イングランドなどはコロコロ国教を変えるので、属国化してもあまり意味はない)。また、BBWの際にポーランドはロシア、ハンガリーはオスマン帝国に対する防波堤に、スペインはポルトガルやイングランドにぶつけ、フランスはBBWに突入する際に併合するといった思惑があります。フランスだけでなく、その他の3国も休戦期間を利用して次々食べて肥える予定。

 

 この戦略思想のもと、私はドイツを駆ってヨーロッパ中を制覇しました。ユグノー戦争に乗じてフランスを、大規模な遠征軍を組織してハンガリー・ポーランド・ボヘミアの東欧大同盟を打ち破り属国化しました。その他、スペインと属国のフランスと組んでイングランドを分割したり、イタリアに侵攻し、教皇様やナポリ、ヴェネチアを屈服させるなど大暴れ。最後の敵スペインとの戦いは熾烈を極め、イベリアや新大陸での戦いは10年にも及びました。下図は、スペインを屈服させ、ついに大同盟を結成した瞬間のものです。

 

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 しかしながら、結局目標は達したものの、すでに1719年。世界征服には届きそうもありません。なにがいけなかったのか。私の腕もあるでしょうが(orz)、きっとスタートラインが悪かったに違いない!と私は思いました。というわけで、そのスタートラインをつくった人、マクシミリアン気了代にナリフリ構わなかったら、ぶっちゃけドイツはどこまでいけたのか、を追求するのがこのコーナーの趣旨であります。前置きが長くなってスミマセン。。

 

*戦略

 

 さてどこから始めるか、それが問題なのですが、デンマーク戦争に特に問題はなかったと思うので(ユトランドまで得たことを除けば)、ヴォルムス帝国議会直前、1499年からリトライしたいと思います。

 それでは、はじまり、はじまり〜

 

<1499年の状況>

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 まず基本コンセプトととして、「BBRは気にしない」を挙げたいと思う。すなわち「帝国クライスイベントはあきらめる」し「ブルゴーニュは全力で併合するぞこの野郎」ってことです。そう、BBRさえ気にしなければ、実はこのマクシミリアンの時代、拡大のチャンスはいくつもあったのである。本章のほうでは、「帝国クライス」イベントを目指したり、無駄に他国との関係を気にしていたために中途半端な展開になってしまったが、その気になればドイツは大きな躍進を遂げることも可能なのだ!

 

 この時代、拡大への鍵は「ドイツ建国」と「ブルゴーニュ併合」、そして「陸軍LV」にある。まず「ドイツ建国」と「ブルゴーニュ併合」だが、これは、このことによって莫大な兵力を得ることを意味する。難易度最高では、AIは軍隊維持費が優遇されており、併合時にいっぱい兵を貯めこんでいることが多いのだ。ちなみにドイツ諸侯は一国2〜3万、ブルゴーニュであれば5〜6万は兵を持っている。そうなるとドイツ建国時は10万を優に超える大軍が集まることに・・!要はこれを元手に戦争をやろうってことです。とはいいつつもドイツ併合の方は、建国時に諸侯のほとんどが併合に同意することが前提になってくるわけだが、まあ全ドイツ諸侯を属国としている今となっては併合に期待してもよいだろう。

 
 次に「陸軍Lv」だが、実はマクシミリアン帝即位時、オーストリアは集中投資を行うことで、陸軍技術においてヨーロッパの最先端をいくことが可能な状況にある。特にLv9、CRTの向上は、1504年に、隣国に先駆けて一番に到達する。周辺国がLv9に到達するまでは7〜8年の猶予があるので、このタイムラグを利用して戦争を仕掛ければ、陸戦において遅れをとることはまずないだろう。下記は実際の展開で、それぞれの年度における各国の陸軍Lvである。ちなみにわが国は、Lv9に到達した時点でインフラに研究費を割り振るようにした。だから、集中的に陸軍に投資をしたのは1499〜1504までの5年間ということになる。

 

参考(数字は陸軍Lv)

      ドイツ フランス スペイン イングランド

1499年    6    6    5    4

1504年    9    6    6    5

1511年   10    9    7    6

1513年   10   10    9    6

 

 
 「ドイツ建国」・「ブルゴーニュ併合」によって量を、「陸軍Lv9」によって質をかねそなえた最強の陸軍でもってヨーロッパを制覇し、できるかぎり領地を広げる。これがこの時代の戦略である。具体的には、前述のヨーロッパ大同盟を結成するために、フランス、スペイン、ハンガリー、ポーランドといった国々を属国化させるべく戦う。また、ドイツ文化州獲得のためにボヘミアも降したいところ。詳細は実際の展開にゆずる。

 

*帝国議会、再び(1499年1月〜1501年12月)

 

 さて、1499年1月、ヴォルムスの帝国議会を起こすべく、オルデンブルク・ブレーメンの二国を独立させる。これにより翌月にはイベントが発生し、1501年12月、安定度の回復にともないドイツ建国が宣言された。

 

 今回は前回よりもさらに順調で、なんと全ドイツ諸侯が併合に同意した!これによりなんと13万もの軍隊が新たに加わった。歯向かってきたのはサヴォイアのみ。本章では書かなかったが、実はサヴォイアもドイツ成立に伴い併合か交戦かを選ぶ立場にあり、属国にしていない以上高確率で我がドイツに宣戦してくるのである。・・・フランスつきで。

 

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 そう、サヴォイアは実はドイツ建国当時フランスの同盟国なのである。つまりサヴォイアに宣戦される=おフランス様との戦争という図式が成り立つわけである。本章ではここで少し及び腰になり、無償講和を結んだわけであるが、今度は違う。徹底抗戦である。というわけで、我が最強の陸軍最初の敵はフランスとあいなったわけです。

 

 フランスの状況を確認すると、フランスは現在ポルトガルを盟主とする同盟に加入しており、その他にはサヴォイア・ブルターニュなどがいる。ポルトガルは遠いからまあいいとして、ブルターニュとサヴォイアとは直接干戈を交えることになるだろう。そしてそして、我が軍にとってうれしいことに、フランスは1499年1月より、ブルゴーニュと血みどろの戦いを繰り広げてくれているのである。このまま放置すれば本章にあったとおり、1502年にブルゴーニュは敗北、フランスは中核州を回復、ということになるのだがそうは問屋がおろさない。そのうち併合予定のブルゴーニュの領土は我らが領土でもあるのだ。

 

 下図はフランスの猛攻に合い、降伏寸前のブルゴーニュ。すでにピカルディー、ブルゴーニュ、フランシュ・コンテ、ロレーヌはフランスに占領され、シャンパーニュも陥落寸前である。待ってろ、今助けに行くからな!

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そんなわけで開戦。対フランス戦の始まりである。
 

*対フランス戦(1501年12月〜1504年10月)

 

 この戦争の目的はもちろんフランスを属国化すること。後にスペインにも侵攻したいので、BBRが上がるのは嫌だが、スペインへ至る道を得るためラングドックやリヨンといった州もできれば欲しい所。

 

 開戦と同時にマクシミリアンは吸収したドイツ諸侯軍13万、旧オーストリア軍9万を率いてライン河を渡った。合計22万の軍による侵攻、しかもほぼフランス一国に対して、というのは自分も初めてで、それぞれの部隊に命令するのが大変だった。なにしろ消耗がものすごい。まあ兵は有り余ってるし、むしろ減ってくれなきゃ維持費がまかなえないから好都合っちゃ好都合なんだが。。(って実際戦ってる兵達にしてみたらひどい指揮官だなおい汗)

 

 でもまあ、兵が足りなくなって追加で徴兵するのは嫌なので、ない知恵しぼって侵攻路を考えることに。私はとりあえず22万をふたつにわけて侵攻させました。

 

 まずはマクシミリアン率いる16万。こいつらはブルゴーニュ領を通過して、直接首都・パリほか北仏を突く予定。
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 もうひとつは、もとバイエルンの無名将軍率いる6万。こいつらはアルザスからフランス領に侵攻し、南仏を突く予定。
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 どうやらフランス軍は前述シャンパーニュ包囲に全投入されているようで、我が軍は無人の荒野をいくがごとく敵地に侵入していった。途中ブルゴーニュが降伏し、フランス軍が全力で向かってきてはちと面倒なので、南仏軍から少しを割いてフランシュ・コンテやブルゴーニュを包囲し、フランスの手から取り戻してやったりもした。

 

 敵がシャンパーニュを落としたのが1503年の6月。ドイツ参戦から約一年ちょっと。それまでの間に我々は首都を含む6州を占領し、なお5州を包囲中という圧倒的な戦果を誇っていた。
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 ちなみに、彼我の士気の差はこんな感じ。あの陸軍国フランスにすら士気でこんだけ勝ってますよ!これなら野戦においても負けるわけがない。

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 そんなこんなで1503年10月にはフランス降伏。フランスは晴れてドイツの属国となった!(結局州の割譲には応じてくれなかった。恐らく全領土を占領すれば目的の州を割譲させられただろうが、あまり長引かせたくなかったし、今回は属国化と少々の金で手を打った。)

 

 ちなみに戦争自体はポルトガルがリーダーだったので続き、それからちょうど一年後にポルトガルから50Dをもらい和平した。戦争自体は楽勝だったが、終戦後ドイツ軍は8万5千まで減ってしまった。初期兵力の半数以下。フランスに敗れた記憶は一切ないのでほとんどは消耗でしょうね・・。ちょっと反省。

 
*ブルゴーニュ併合と対スペイン戦(1504年10月〜1509年3月)

 

 さて、フランスは属国になった。これでヨーロッパ大同盟に一歩近づいた。次の標的はずばりスペインである。スペインは野放しにしておくと新大陸にせっせこ植民地をつくり、まぎれもなくEU2最強の国にのしあがる。そのため前置きにも書いたが,
前回のプレイでは18世紀までスペインを放置したため、スペインはものすごい力を蓄えており、スペイン戦は10年にも及ぶ総力戦となってしまった。15〜16世紀はスペインはまだ植民が始まったばかりでそこまでの経済力はないばかりか、陸軍Lvも低い傾向にあるので、スペインはなるべく早いうちに叩くのがいい。

 
 そういうわけで、対スペイン戦の兵力を確保するためにもフランス戦後、我々はブルゴーニュ併合に取り掛かることにした。また、これと平行してザクセン・ブランデンブルクの併合にも着手。この3国をすべて併合するまで3年の月日を要した。

 

1507年8月、三国併合後の勢力図。ブルゴーニュの持っていた版図がいかに広大だったかがうかがえる。
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低地諸州に一瞬にして20万の大軍が出現。ブルゴーニュよ、おまえはいったいどんだけ兵士をためこんでんだよ。。
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 ブルゴーニュ併合と同時にスペインに宣戦。今回は理由無し宣戦である。ほんとは婚姻かローンによって大義名分を得たかったのだが、スペインとの関係を婚姻にまでこぎつける労力が惜しまれたのと、スペインがお金を借りてくれなかったのとでこれらは実現できなかった。

 

 スペイン戦はフランス戦よりさらに楽で、なにしろこちらの陸軍技術が9なのに対しスペインは6なのである。序盤にこんだけ差がついてればそりゃ負けるわけがない。規模最小の城などは突撃によって100パーセント確実に落としていけた。そんなわけで、スペイン戦は開戦から約一年半後、ドイツ王マクシミリアンが敵首都トレドを突撃によって落とした時点であっさり終了。こうしてスペインもまたドイツ王国の属国となったのであった。

 

スペイン属国後のヨーロッパ。ドイツは属国もあわせれば、イタリアを除きカール大帝のフランク王国とほぼ同程度の地域を支配。ちなみにスペインは単独講和扱いなので戦争自体はイングランドを盟主として続いている。
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*最後の10年・前編(1509年3月〜1513年3月)

 

 ドイツ建国から10年足らずでここまで来られたのには我ながら驚きである。スペインとフランスを両方とも、こうもたやすく属国化できるとは。ちなみに大国の属国化は中々有効な手段であると私は思う。50年ほどおけば、私がプレイしているドイツほどの規模を持っていれば、フランスだろうがスペインだろうが確実に併合に応じてくれるし、属国にしておけば多少BBRが高くなってもAIが宣戦布告してこなくなるのも大きい。フランスなどは特に好戦的なので、属国にでもしておかないと休戦期間の切れる5年おきに攻めてこないとも限らない。

 

 さて、最後の10年の目標であるが、恐らくハンガリー・ボヘミア・ポーランドを倒すことは難しいと思われる。これらは同盟を組んでおり、リトアニアもこのメンバーの一員である。陸軍Lvにはまだ差があるものの、フランス・スペイン戦のときのような圧倒的な兵力差はなく、というかむしろ向こうのほうが兵力が大きいため、戦争が長期化・泥沼化しそうな気配が濃厚だからである。(プレイ後、このAARを書く段になって戦場の霧をoffにして兵数を調べてみたらなんと4国で19万もいた。ドイツは維持費のこともあるのでせいぜい9万といったところ。)こいつらはロシアあたりと争わせておいて、背後をつくのが一番てっとりばやいものと思われる。なので、この3国とはしばらく友好関係を築き、手を出さないことに決める。

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 となると、周辺小国の整理がおのずとマクシミリアンの最後の仕事としてあがってきた。まずは長年ブルゴーニュの属国であり、今ようやく独立を回復したスイス。そして我がドイツの中核州サヴォイア。この二国、およびドイツ国内に残っている諸侯(マインツ・ファルツ・ケルン・ポンメルン)らの接収がそれである。

 

 これらはスペイン属国化後に続いた対イングランド戦と平行して行われることになった。イングランド戦は海軍をほとんど持たないドイツにとっては悪夢のようなもので、際限なく上陸してくる敵をかたっぱしからつぶしていくだけの展開となった。野戦において負けはないものの、戦果は一向にあがらず、イングランドは和平に応じない。仕方なくカレーに1万ほどの兵をさしむけ、ここを占拠。これによりイングランドから300Dでの講和の申し出があり、ようやく戦争は終わりを告げた。時は1511年3月、スペイン降伏から2年後のことである。この間我々はケルン併合に成功している。

 
<1511年3月の状況>

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結局ヨーロッパ諸国の中でドイツの覇権に唯一抵抗を示したのはイングランドを中心とするブリテンの勢力だった。こいつらが後に、マクシミリアンの死の間際、またカール垢亮世と、再三にわたって宣戦し、私の頭を悩ませることになろうとは、この時の私は知る由もなかった。

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 翌年1512年4月、我々はサヴォイアに宣戦。最後の中核州をぶんどりにいく。フランス戦争の折に主力部隊を根こそぎ叩き潰していたため、サヴォイア州には敵は一兵たりともおらず、1513年1月には占領、属国化した。と同時に「サヴォイアが改革を承認」とのメッセージが流れ、サヴォイアは我々の直轄州に。これでドイツはすべての中核州を回復した。さらにその二ヵ月後にはここ数年の交渉が実り、スイスを属国化することに成功。これにてマクシミリアン時代の対外的な拡張は終わりを告げ、残りの6年は国内の掌握・今後に向けての資金調達&インフラ開発が行われることとなった。

 
<1513年3月の状況>

フランス・スペイン・マインツ・ポンメルン・ファルツ・スイスは属国である。

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*最後の10年・後編(1513年3月〜1519年1月)

 

 ここでは、マクシミリアン時代の残りの6年をどうしめくくったのか、また、ドイツの今後の展望などについて書きたいと思う。

 

 1517年10月、我々は最後のドイツ諸侯マインツを外交併合し、ついに国内の統一に成功、と同時に未獲得のドイツ文化州は残すところボヘミア領のシレジア、エルツの2州のみとなった。

<1517年10月の状況>

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 さて、ドイツの今後の展望・戦略せあるが、ここでスペイン戦のときに首都トレドを陥落させたことが大きな意味を持ってくる。そう、探検地図の入手である。我がドイツには一匹たりとも探検者がでないうえに、オーストリアは重商主義MAXなのでランダム探検家も便りにできない。よって、探検地図は主に交換によって得ていかなければならないのである。しかしこの交換には莫大な資金と外交官、そして時間が必要で、できることなら避けたい手段である。そういうわけで、スペイン遠征はマクシミリアン後、カール垢了代に植民地建設、またアステカ・インカを征服するための探検地図入手という側面も持っていたのである。

<スペインから入手した地図・中南米>

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<アフリカ>

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 1509年時点ではスペインはアフリカ大陸全体やアステカは知っていたものの、インカやインド方面の航路開発はまだであり、これはドイツ王国自身で切り開いていかなければならなかった。ただ、これは後の話になるのだが、幸運にも1527年にマインツという名の征服者が現れたため、インカへの侵攻路や北米の地図は広がった。

 ブルゴーニュ・ドイツ諸侯の併合やスペインなどへの理由無し宣戦のせいで1517年10月の時点でのBBRは28.5。これ以上BBRを上げることはできないので、カール垢了代にはヨーロッパではなく、アステカ・インカ両帝国の侵略(Paganな国の併合はBBRを上昇させない)や北米やアフリカへの植民地建設を中心に勢力拡張が行われることになるだろう。特に金山を持つアステカやインカ、後にCOTが開かれる可能性のあるマンハッタン(北米)やテーブル(アフリカ南端)などは最優先で狙っていくことにする。

 

 マクシミリアン時代に結局インフラ開発はLv3まで進み、Lv4到達は1528年を予定とのことだった。全土に弁護士を建設したり、上記植民やアステカ・インカ遠征のためにカール垢亮世はなにかと金が入用になる。そんなわけで1517年以降の2年はなにをするわけでなくひたすら蓄財に励んでいたのだが、1518年12月、イングランドがわが国に宣戦布告。その直後、1519年1月にマクシミリアンは崩御し、その26年の治世に終わりを告げた。イングランド戦はカール垢引継ぎ、数年後にカレーを割譲させて和睦した。こう何度も宣戦されてはかなわない。新大陸征服に専念するためにも、イングランドとの関係改善はカールの急務であるようだ。

 

*終了

 

 1519年1月、マクシミリアンの死に伴いこのAARも終了となる。結局、BBRは28.3、インフレ率は4.5%、終了時の勢力図は以下のようになった。

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 また、内政スライダーは1419年と比べて以下のようになった。ドイツ建国前は「陸軍主義」→「質重視」の順でいじり、ドイツ建国後はひたすら中央集権化をすすめていった。今後は植民者を得るため、また安定度コストを減少させるために「保守主義」に振っていこうと思う。

         #ref(内政スライダー.JPG,around,nolink,left,)

 

 最後に、マクシミリアンの獲得した地を以下に示します。本章・建国AARの1519年ドイツに比べると、比較にならない位拡大できてます。まあBBRも比較にならないくらい伸びてるんですけどね(汗)

 
水色;開始時の領土

 
赤色;ドイツ建国時に獲得した領土

 
黄色;建国後に獲得した領土

 
黄緑;属国

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んでは引き続き世界征服を狙ってがんばりたいと思います〜!

 

[[戻る>ドイツ建国AAR]] 


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