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用語辞典

Price Crisis


Murad III & the Empire in 1574 [See the Map ]

統治 2:外交 3:軍事 5:勝利 4,804
貴族 10:中央 10:革新 0:重商 6:野戦 6:陸軍 6:精鋭 7:農奴 10
陸技 17:海技 12:行政 2:経済 3
非道 28.7/42.0:年収 3,430.19$:騰貴 9.2%:貿易 27:設備 31



「ただいまー。」
「あ、おかえりー。」
「どうだった?」
「え? どうだった、って、何が?」
「何が、って、陛下とのデートに決まってるじゃん。」
「ああ。」
「何か観てきた?」
「んー、今回はのんびりまったり。お話をしていただいたりとか。」
「へー、どんな話?」
「そりゃ、いろいろとよ。」
「ふーん…。」

と言いながら、メルテムはコレルの背後ににじり寄り、

「それっ! 吐けっ」

とコレルの両脇の下から手を突っ込んでお腹をくすぐろうとしたようだ。だが、手が触れるか触れないかという刹那、コレルは素早く振り返ってメルテムの頬を平手で張った。

「いったーい!」
「あ、ごめん…。でもっ、いきなりそんなことするからっ!」
「だからって指輪付けてる手で殴んないでよ! 頬骨が砕けたらどうすんの!」
「あ、忘れてた。」
「わ、エメラルドじゃない。陛下からもらったの?」
「そうなの、わたしなんかにもったいないんだけど。エメラルドは魔除けの効果もあるんだって仰って。」
「う〜、指輪に話行くか? オズレム〜、コレルに何か言ってやって。」
「文句を言う前に、あなたはまず頬を冷やしなさい。あざになるわよ。いま、宦官長が氷取りに行ってるから。それと、ふむぅ…、コレル、」
「は、はい。」
「あなたは今日から部屋持ちに格上げします。追って正式な書類が通知されると思うけど、こっちで先行させててもぜんぜん構わないでしょ。」
「はい、ありがとうございます。でも、あの…、やっぱり分かっちゃった?」
「まあ、ね。ま、心配だろうけど、しばらくは普段通りで大丈夫だから。って、わたしも耳学問だけど。それと、メルテム、」
「え?」
「コレルはもう“訓練”には参加しなくなるから、今度のときからはあなたも指導役でね。」
「おお。でも誰を…、ああ。」
「ええ、チャウラもそろそろ“訓練”に加わってもらおうと思うんだけど。」
「え…、“訓練”ですか? いったい何の?」
「えぇと、職業訓練?」
「体重の掛け方?」
「え、えぇ…?」

「で、帰ってきて早々なんだけど、コレルの順番だったセリム2世、いなかったから飛ばしてメルテムにやってもらったんだけど、次、やる?」
「うは、まだやってたんだ。」
「ほら、わたしたちは暇だから。」
「あはは、違いない違いない。」
「んー、まだ状況をよく飲み込んでないから、次の次の方がいいかな。なんだか新大陸まで領土が広がってるし。」
「じゃあ、わたしの番ってことでいいのかな?」
「お、オズレム・マジックふたたび?」
「今回も在位期間が長いしねぇ。」
「いや、さすがにわたしでも年に1人の外交官じゃ、無理だから。」


The Conquests of Murad III

「オスマン帝国はついに自然国境の限界を超えて拡大してしまった、か。」
「まあ、後から見ればこの辺りが限界、ってことになっちゃうんだろうけど、当時の人にはそんなこと分からないし、自然国境の向こう側は、向こうの国の侵入口なわけだからね、押さえておきたいでしょうね。」
「うん、まったくその通りだし、今回のアゼルバイジャン確保に関してはとりわけ重要な意義があったのよ。」
「お、コレル講釈師が一席ぶつよ。」
「こほん。このゲームではハザール海に船を浮かべることはできないわけど、この山と砂漠と草原に囲まれた湖を船で行き来したら、ずいぶん交通が楽になることが分かるでしょ? このときハザール海は、西と南はペルス、東にはウズベクがあって、そこからシルクロードは遥か中国やヒンドゥスタンまで伸びている、そして北には金帳汗国の後継国家の一つ、アストラハン汗国があったわけだけど、これが1556年にはルスィヤに征服されてしまって、ルスィヤがハザール海に進出してきたのね。」
「ルスィヤは明確にハザール海に進出するつもりでアストラハンを征服したの?」
「うん、そうだと思う。ルスィヤ史にはあんまり詳しくないけど、当時ルスィヤで進展していたシベリアへの拡大ルートからするとアストラハンはだいぶ南だから、この文脈じゃあないのよ。モスコヴァやカザンはヴォルガ川でアストラハンとつながっていて、ペルスやウズベクからの品々はここから来ていたわけだから、ルスィヤ人にしてみれば、アストラハンが東洋への門だったわけね。だからずーっと狙ってて、ついにイヴァン4世という英主を仰いで念願を果たしたんじゃないかな。」
「でもさぁ、もう喜望峰ルートもあるんだし、いまどき陸路にこだわらなくてもいいんじゃない?」
「まず、シンプルにヒンドゥスタンからルスィヤへの道を考えるとき、ぐるっとアフリカ廻って、さらにバルト海から入るにしろ黒海から入るにしろずいぶん遠いでしょ? アストラハン・ルートは陸路と言っても、ヒンドゥスタンからペルスまでは海路だし、ペルスからアストラハンまではハザール海で、そこから先はヴォルガ川なんだから。唯一の陸路のペルス国内は、ペルスが一生懸命街道整備してるだろうし。それにね、まだポルテキズが健在なんだから、喜望峰ルートはポルテキズ商人以外にとっては危険なのよ。」
「ポルテキズ以外の商人?」
「筆頭はインギリテレ。インギリテレ商人は1555年にモスコヴァ会社を設立してるわね。」
「1555年? ルスィヤのアストラハン占領の前年?」
「そう。ま、インギリテレ商人がイヴァン4世にアストラハン占領をお願いしたのか、それともイヴァン4世がアストラハン占領を見越してインギリテレ商人を招いたのかは分からないんだけどね。でもまあ、インギリテレ商人にはいい商売だったみたいで、1622年にペルスとインギリテレが協同してヒュルミュズからポルテキズ人を追い払ったのも、このルートの確保がインギリテレ人の頭にあったからでしょうね。一応、インギリテレは1581年にレヴァント会社も設立して、オスマン帝国を通過するルートも検討するんだけど、オスマン帝国はハプスブルク帝国をけん制する意味からもフランサ商人を優遇して、インギリテレ商人は振るわなかったみたいだから。」
「でもさ、そんなにインギリテレ商人が一生懸命になるくらい、ルスィヤには購買力があったの?」
「ん? ああ、違う違う。もちろん、インギリテレ商人はルスィヤにも商品を卸してたけど、主要な卸し先はインギリテレ本国を含む北欧諸国よ。モスコヴァまで運べば、こんどは運河を伝ってバルト海まですぐでしょ。」
「あ、そうか!」
「でもこれって、またまた伝統的な紅海・ムスルルートを通らないバイパスの開発なわけでしょ? オスマン帝国にとっては喜望峰ルートにつづいて大打撃になるんじゃない?」
「そうね。」
「ルスィヤのアストラハン征服を阻止するとか、何か手は打たなかったの?」
「んー、この件に関してカーヌーニーには関心がなかったみたい。このときはムスタファ皇子の内乱があったわけだけど、それが終息しても、カーヌーニーはマジャリスタン遠征に向かってそこで亡くなるわけで。でも、後事を託された大宰相ソコルル・メフメト・パシャは1569年にルスィヤ遠征の軍を起こしてるわよ。」
「知らなかった。あんまり有名じゃないよね?」
「まあ、表向きはね。征ルスィヤ軍はアストラハン及び1552年にルスィヤに占領されたカザンのムスリムへの奪回をその目的としてたから、イスタンブルからの大軍をこの2都市に速やかに派遣するためにまず、黒海に注ぐドン川と、2都市を流れるヴォルガ川を結ぶ運河の掘削を始めたんだけど…、」
「すごいねぇ。」
「残念ながら高低差がありすぎて失敗しちゃってね。いまだにこの2つの川をつなぐ運河はできてないのよ。[※ ソ連邦が実現。]」
「で?」
「オスマン帝国としては、この翌年、1570年にはクブルス遠征も始まるんで、講和しちゃうの。」
「あら、やけにあっさり。それにしても北でルスィヤと戦ってて南でヴェネディクと戦い始めるなんて…。ソコルル・メフメト・パシャの政敵の陰謀?」
「んー、ソコルル・メフメト・パシャはアルナブトゥルク派、クブルス遠征軍司令官ララ・ムスタファ・パシャはボスナ派、あるいはそうかもね。まあ、クブルスもイスタンブルとムスルを結ぶ海路の安全確立のためには機会があればぜひ占領しておかなくちゃならないところなわけだけど。これまた1569年9月13日に、ヴェネディクの国立造船所が火事になってくれたからね。」
「さっきの運河掘削工事はいつ?」
「1569年9月に開始。」
「うーん、運河開削の失敗は案外、ヴェネディクの国立造船所の火事の報を受けたイスタンブルがルスィヤ遠征中止の命令を出したからだったりして?」
「当時のオスマン帝国に閘門運河の技術があったかどうかは知らないけれど、最悪、コンスタンティニエ攻略戦のときみたいにガレー船をコロで運んでもよかったんだから、そうかもね。ま、オスマン帝国としてはルスィヤへの本格介入は諦めたんだけど、クルム汗国のデヴレット・ギレイは諦めてなかったのね。1571年にはルスィヤ軍が逃げ去ったモスコヴァを掠奪して焼き払ったりしてね。」
「おお、すごーい。」
「この頃オスマン帝国はレパントの海戦か。なんかもったいないね。」
「まあ、介入した方がよかったのか悪かったのか、あるいは本当はばっちり介入してたのか。1572年7月30日、軍を再編したイヴァン4世とクルム汗国、それとオスマン帝国からの援軍が相見えるんだけど、両軍は、ルスィヤ軍6万から7万、クルム汗国軍8万、オスマン帝国軍3万3,000とイェニチェリ7,000。で、ルスィヤ軍が圧勝するのね。」
「4万も派遣してたのか…。」
「レパントでも負けちゃってるし、なんだか上手くないね。兵力分散?」
「ほんとにね。どっちも領土喪失するほどの大敗北ではないわけだけれど、全力で当たれば勝てた戦いを、ケチって落としてる感じがね。」
「ケチ、ねぇ。でもルスィヤ遠征はカーヌーニーですら躊躇したんだから、要するにルスィヤ遠征も海戦も普通の有力者たちの支持を得られてなかったんでしょ。ソコルル・メフメト・パシャといえど、スルタンじゃないんだから、天与の権力者ってわけじゃないんだからね。」
「うん、なるほどね。そういう人心の限界が、あるいは自然国境ってことなのかもね。」
「やっぱりソコルル・メフメト・パシャが人並みはずれて物事がよく見えた、見えすぎた、ってこと?」
「んー。当時の政治家はもらった俸禄を投資して殖財して、それで自分の勢力を築いてたから、経済感覚が優れてたんじゃないかな、って思う。カーヌーニーはそういうことする必要がないからね。逆にカーヌーニーが兵力の出し惜しみをしたことはないんじゃないかな。」

「というわけで、ルスィヤのハザール海進出は抑止できなかったわけだけど、オスマン帝国としてもハザール海進出を果たすべく、対ペルス戦争が起こると、全力でアゼルバイジャンに向かうわけよ。普通、ペルスの都イスファハンを目指すなら、バウダートからフゼスターン地方を越えていくと思うんだけどね。」
「ソコルル・メフメト・パシャの念願がとうとう叶うんだね。」
「ところが残念ながら、ソコルル・メフメト・パシャは開戦早々、ペルスの間者に暗殺されちゃうの。その後、何人かの大宰相が彼の遺志を継ごうとするんだけど、他の何人かの大宰相はフゼスターン方面の攻勢に切り替えたりと、明確なプランがないまま戦争だけがだらだらと12年も続いちゃうことに。ま、最終的には講和でアゼルバイジャンを割譲させるんだけど。」
「うーん、話を聞いてると、この時期のオスマン帝国は軍事力は相変わらず最強で、それを支える経済力も充実してるんだろうけど、その運用がぐだぐだになってきてるんだね。もったいないね。なるほど衰退期?」
「でも大きな失敗もないわけで。それこそがカーヌーニーが望んだオスマン帝国だったのよ。」


レヒスタンとの貿易協定締結

「レヒスタンが貿易協定を締結してほしい、って(1575年2月15日)。」
「レヒスタンはダンツィヒは持ってるし、リトヴァニヤと合邦してノヴゴロドも持ってるんだから、ここは受けるでしょ?」
「えー、ダンツィヒもノヴゴロドもハンザ都市じゃない。もうすぐ17世紀っていうのに、そういつまでも保たないんじゃないの?」
「そしたらそのときは協定を破棄するまでよ。受けるわ。」
「それにしても、いまやキリスト教最大の帝国たるレヒスタンが貿易協定を請願してくるなんて、もはやオスマン帝国に敵なし?」
「貿易協定は宣戦を妨げないから、そういうのは関係ないと思うけど。むしろ、西欧諸国よりちょっと発展が遅いレヒスタンでも、もう貿易に乗り出してくる時代になったってことじゃないかしらね。うちもそろそろ本格的に貿易すべきじゃない?」
「とはいえ、貿易レベル3だからね。支配下にある貿易センターに、余裕があるときだけ商人送るくらいで十分、だとわたしは思うんだけどね。」
「自信ないね。」
「このゲームの貿易って、賭け事みたいにどんどん突っ込みがちで、本当に利益上がってるかどうか確信が持ちにくいのよ。1700年ともなれば間違いなく黒字なんだけど…。」


Merchants request help

「お、商人が支援を求めてきた(1575年12月15日)。」
「だが、支援はできない。植民者を獲得するためにね。」
「植民者獲得といえば、内政傾向、自由貿易主義傾向も海軍重視傾向も最終的には最高に持ってくんだろうけれど、海軍重視傾向の方が植民者増えるし、収入も増えるだろうに、ここ2回、自由貿易主義傾向の方を高めてるみたいだけど、いいの?」
「コレルは知らないだろうけれど、悔しながら世界最強の陸軍を誇るフランサがちょいちょい宣戦してきてるのよ。多分兵士の質ではこっちの方が劣ってるから、この上、海軍重視傾向を高めて兵士を臆病にさせることはできないんだなあ。」
「いまも? フレンチ・カトリックと分裂してるのに。」
「んー、分裂後はまだ戦ってないね。でも、どうせすぐに統一しちゃうでしょ。」
「フランサが欲しがってるのはエンデュリュスでしょ? あげちゃえばいいのに。」
「惜しい。いまはチャウラ案で、グルナタにエンデュリュス領を切り取らせる策が進行中。」
「グルナタがうちに宣戦してくるかねぇ…。」
「グルナタが取るなら取ったで許容しよう、くらいにわたしは思ってるけどね。フランサが取るならそれもよし。ただであげる気はさらさらないけど。ま、とりあえずアウストゥリヤとマジャリスタンでの雌雄を決するまでは待っててね、海洋国家化は。」


Mercury amalgamation process and forced labor

「ふむ、ポトシでアマルガム法と強制労働制の導入、か(1576年1月21日)。えっ! 年間生産収入が34,700フローリン増?」
「すごいわね…。1州で中程度の国くらいあるんじゃない?」
「始まった頃のオスマン帝国くらい?」
「え? あ、記録見れば分かるな…。ええと、1419年の年収は、と。12,300フローリン…。」
「ああ、1444年でようやく48,000フローリンだね。もっともこの収入増、ほとんどコンスタンティニエ占領の結果のおかげだから、普通の州しかなかったら、もっといるわけだ。」
「ま、豊かなポトシは、イスパニヤよりも早くポトシを占領するだけの国力を持った国しか得られないんだから、その優れた国の発展の基礎と比べてもしょうがないでしょ。」
「金持ちはますます金持ちに、だねぇ。」
「きっとそういう運命なのよ。」
「ほ。」
「いやね、強制労働に駆り立てられたケチュアの人たちには悪いけど、このポトシのセロ・リコ銀山、薪なんかあるわけなくて地上4,100メートルの高地にあるんだけど、アマルガム法が開発されてなかったらイスパニヤ人たちだっていくら銀があっても掘削を諦めてたんじゃないかな。船とアマルガム法は持っているけれど、胡椒も青磁ももってないイスパニヤ人がセロ・リコ銀山を見出して、世界中に銀をもたらした。イスパニヤ人が強欲だったことには違いないんだけれど、神さまがイスパニヤ人に世界中に銀を運ばせるべく船とアマルガム法と強欲さを与えたのかな、と思わなくもなくない? どれか一つでも欠けてたなら、相変わらず世界に銀は不足してて、経済活動が停滞してたかもしれないんだから。」
「んー、きっとイスパニヤ人はアマルガム法がなかったら、鉱石を降ろすか薪を上げるために別の強制労働を組織したんじゃない?」


Regulation of the medical profession

「領内の一部で医療業務が規定化されて人口が増えた、って報告がきてるね(1577年1月25日)。ふ〜ん、医学を大学で教えるようになったのか。でも、イスラーム世界に大学なんかあったの?」
「大学とは何か、という定義によると思うんだけど、イスラーム世界にもメドレセ  medrese (マドラサ、「学院」)があるでしょ。メドレセはウレマー  ulema (ウラマー、「法学者」)やイマームを育成することが主要な目的の機関だけれども、貧しい人たちでも無料でコーランの読み方が学べるし、大きいところならイスラーム神学以外の学問も論じられてる。初等教育機関も兼ねてる、ってところを除けば、スレイマニエ・ジャーミー付属メドレセとかの大きなメドレセはほとんどヨーロッパの大学と変わらないと思うんだけど…。ヨーロッパの大学も神学校から始まってるわけだし。」
「スレイマニエ・ジャーミー付属メドレセって、いまのイスタンブル大学?」
「そう。だいぶ拡張して、いまじゃスレイマニエ・ジャーミーより広いけど。タンズィマート改革の一環で世俗教育機関として再構成されたわけ。でもイスタンブル大学じゃあ、その創立は1453年って謳ってるけどね。」
「1453年? メフメト2世がコンスタンティニエを征服した年じゃん。」
「そう。征服してすぐ創った、ってわけじゃあないのよ。元々、オスマン帝国の開祖オスマン1世が組織した知識人集団がベースになってたんだって。イスタンブルが都になるまでは、官僚も宮廷もスルタンと一緒にみんなで動くっていうスタイルだったから、まあ、大学とは言い難いんだろうけど。」
「じゃあ、トルコのお医者さんはスレイマニエ・ジャーミー付属メドレセで養成されていたんだね?」
「たぶん…ほんの少しは。この頃のお医者さんは宮廷医師に至るまでほとんどユダヤ人が担っていたから、この人たちはメドレセでは学べないし…。カーヒレのアズハル学院には医学部あるそうだけど…。」
「ま、まあ、人口増えるのはいいことだから、いいよね?」


The end of Adal

「しまった! アダル王国、滅んじゃった…。(1577年2月5日)」
「アダル王国?」
「ハベシスタンの南で、ハベシスタン征服に頑張ってるガーズィー国家なんだけどね。」
「ああ、ハベシスタン、邪魔だよね。向こうから喧嘩売ってくることはまずないし。」
「うん。まあアダルは史実どおりハベシスタンよりかなり弱体だったから、史実と違って仲良くやってたみたいなんで滅びないんじゃないかなぁ、と思ってたんだけどね…。」
「へ〜、東アフリカなんてぜんぜん見てなかったなぁ。あれ? ゼイラ Zeyla (ゲーム上 Issas )がうちの領土になってる。」
「アダル王国が分割されたのね。あ〜あ、一部ハベシスタンの領土になっちゃった。」
「まあでもさ、ゼイラを起点に東アフリカに勢力が伸ばせるようになったわけだね。これまではハベシスタンが邪魔してたわけだけど。」
「東アフリカに広大な領土を得たら、ますますハベシスタンが目障りになってくる、か。」
「でも、対オスマン帝国包囲網の一環として西欧諸国が主導する同盟に引き入れられることもあるんじゃない? そのときにゼイラまでの回廊だけでも確保したら?」
「ま、後悔しても仕方ないからね。」
「そのときまでゼイラが孤立するんなら、守備隊を置いておくとか要塞を強化しておいた方が良くない?」
「そうだね。さて、どのくらい強化できるのかな…。あっ! 土地が貧弱すぎて要塞がまったく建てられない! 供給限度も5だって…。本当にここ、紅海交易の主要な拠点なの?」
「あ〜、いいんじゃない? ハベシスタンの隣に無防備な領土って。もしかしたら食指を動かしてくれるかも。」
「そうなれば、いいね。」


ボゴタ植民地の建設

「よしっ、ボゴタの植民地建設、成功。(1577年6月21日)」
「ボゴタ? 南米だよね…、しかも内陸。北米囲い込み作戦は?」
「すぐやる、すぐやる。先に資金源を確保しとこうかと思って。」
「あ〜、ボゴタって貴金属を産出するんだっけ?」
「うん、そうなんだけど、とくに新大陸の貴金属鉱山はイベントで基本以上の収入が得られるのよ。もっとも、貴金属鉱山を抱える各州の生産高は州ごとに設定が違うみたいだけど。イェニギネ  Yeni Gine (ニューギニア)のウェワクとかみたいにイベントはぜんぜんないけど最初から高い生産性があるところもあるし、メクスィカのアルタルみたいにイベントがあっても普通の豊かな州より貧しいところもあるし。」
「ふ〜ん、ボゴタはどうなの?」
「どうだったっけ…? ここはイベントで増収するから…。まあ、ちょっと待ってて。」


The value of gold and silver

「あ、ボゴタに貨幣経済が浸透し始めた。(1577年7月25日)」
「ね、すぐでしょ?」
「2,400フローリン増かぁ。植民地建設した甲斐があったね。」
「この額は植民地が完成しないともらえないの。あと8回か9回は植民しないと。」
「え? それで引き合うの?」
「まあ、ボゴタなら何十年かで引き合うでしょうけどね。」


New gold mine discovered

「さらにさらに、グァモコで金鉱を発見っ。(1577年8月6日)」
「おおっ、…て、400フローリンだけか。」
「まあ、そうなんだけど、さっきのと合わせて、年間2,800フローリンずつ。はやく植民しないとそれだけ損してくような気がしない?」
「ん〜、まぁ…。」
「グァモコって、あまり金が採れないんだね?」
「グァモコ、グァモコ…、ええと、イスパニヤ征服時代にはこの地で6,000人の奴隷が働かされた、みたいよ。」
「また2段構え、3段構えのイベントかもしれないね。でも、きっと多分、その頃にはボゴタの生産性なんて忘れてるわね…。」


対アウストゥリヤ戦争

「きたきた、アウストゥリヤからの宣戦布告(1577年9月1日)!」


同盟国への救援要請

「さようなら、マジャリスタン。」
「属国になってしまったマジャリスタンを滅ぼすために、いったん同盟に引き入れてアウストゥリヤからの攻撃を待つ…、何度聴いても卑劣ねぇ。」
「う〜ん、でもね、このゲーム、属国化は頻繁に起こるのに、属国の処理がちゃんとしてない気がするのよ。何だかゲームの埒外に置かれちゃうみたいな。」
「まあ、それはいいんだけど…、」


アウストゥリヤ軍の配置

「アウストゥリヤにしてみればこちらの期待通りに動く義理はないわけで。この配置での宣戦、ヴィヤナ奪回を狙ってるんじゃない?」
「ヴェネディク軍も集結してるねぇ。」
「あれ? ヴェネディクってアウストゥリヤの同盟国だっけ?」
「ええと、違うよ、よかったね。アウストゥリヤに随ってうちに宣戦してきたのは、フロランサ、ヴュルテンベルク、モデナ。」
「実質的にオスマン帝国対アウストゥリヤってわけね。」
「いやいや、こっちにはクルム汗国やカザン汗国、ファスにも応援を要請してるから。」
「実質的にオスマン帝国対アウストゥリヤってわけね、やっぱり。」
「ううぅ…。」
「敵方はもう1国、増えるかもね。同盟枠空いてるから。まあ、ヴェネディクはシュタイエルマルク地方をめぐっていがみ合ってるみたいだから、なさそうだけど。」
「アウストゥリヤが宣戦しやすいように東欧には守備隊をぜんぜん置いてなかったんだけど、やっぱり緒戦は厳しいことになりそうね…。」


ルスィヤのカザン侵攻

「やばっ…、ルスィヤがカザンに宣戦(1577年9月14日)。」
「ずっと、虎視眈々とこの機会を狙ってたんですね。」
「他の同盟国がみんな離反しちゃったね。共闘拒否で。」
「あぁ、外交官少ないのに。これが一番痛いかも…。まあ、クルム汗国とファス、それにマジャリスタンの代わりに属国のイェメンを引き入れようか。残りの外交官は1人。少なくとも1年以上は戦争が終わらないわけね。」

「で、どうするの?」
「うんそうだね、やるべきことをまとめておこっか。まず、アウストゥリヤとは適当なところで手を打って、彼らにマジャリスタンを滅ぼしてもらう。そして、ルスィヤからはカザン市の壁になるニジゴロドかウラジミルのどちらかをカザンに割譲させる。」
「どっちもうちは直接的な利益はないんだ。献身的…、かな?」
「どっちを優先するの?」
「対ルスィヤ戦の方はカザンがその気になってくれればルスィヤからできるだけ奪うつもりなの。10年戦ってもね。だから、先に対アウストゥリヤ戦の片をつけるつもり。」
「アウストゥリア軍を放置できるほど、うちも強いわけじゃないしねぇ。」
「というわけで、各地の守備隊は地中海沿岸州に移動後、ヴェネディク領イストリアへ搬送、と。」
「通行許可って便利だけど、これって破門ものじゃない? うちがヴェネディク領を通過できなければ、アウストゥリヤ軍とマジャリスタン平原で正面から衝突しなくちゃいけないところなのに。」
「まあ…、史実でもオスマン艦隊がイスパニヤ海軍を攻撃するためにフランサのニース港には寄港してるから。」
「他には?」
「う…、確かに滅多にないことだとは認めるけど。」
「キリスト教国との婚姻はイベントでたまにしか発生しないのにね。ま、掠奪しながら勝手に侵入してくよりはいいか。」

「アウストゥリヤ軍のヴィヤナ包囲が始まったね(1577年10月18日)。」
「こっちも第一陣がもうイストリアに上陸するから大丈夫。あ…、なんでイストリアの養兵限界、こんなに低いかなぁ…。とりあえず後陣はアドリヤ海で待機、か。」
「なんでヴェネディクに上陸させないの?」
「なんかヴェネディク、バグっぽいのよ。ほら、前にもヴェネディクに上陸させてから他の州に移動させられなかったり、他の州からヴェネディクに移動させられなかったりしたじゃない?」
「オズレム…、マニュアル読んでないでしょ。」
「え?」
「ヴェネディクは他の州とは海峡で接してる扱いになったんだって。だから、戦時中の移動は制海権を握っていないと移動が阻止されちゃう、と。平時なら問題なしでしょ。」
「あ〜、なるほど、そういうことだったのねぇ。」


Turko-Persian Conflicts: Murad III's campaigns

「あ、もう対ペルス12年戦争の年か(1578年7月12日)。タイミング悪いね。」
「イベントによって開戦しても、開戦 BBP も州割譲倍付け BBP も変わらないから、ぜんぜんメリットないんだけどね。もう少し考えて欲しいところではあるけれど。そういう意味では、外交能力が増えるラッキーイベントではあるわね。」
「おお。それで年に何人の外交が得られるようになった?」
「あ…、年に1人。変わってないや…。」

「あ、いつの間にかアウストゥリヤ軍はブディンを陥落させてるね。」
「ほんとだ。単独講和への戦勝点は遠ざかるけど、マジャリスタン滅亡が確定できたから、いいかな。」
「ヴュルテンベルク軍がヴィヤナに到着っ!(1578年10月26日)」
「う…、あともう少しなんだけどなぁ。」
「何が?」


陸軍技術力、18に到達

「ほらきた。陸軍技術力、18に到達っ! (1578年12月1日)」
「お〜、全面攻勢のチャンスだね。」
「いやいや、そんなに兵力ないし。これにビビって講和してくれたら、それでオーケー。もうルテニアは確保してるから、いま包囲してるエステルゴン Estergon (ゲーム上 Magyar )が陥落したら、和平を問うてみましょ。」
「なんか、もったいねぇ。」
「うん、でも、最初に立てた計画通りきちっと行動できる、っていうのもすごいことだよ。」
「その計画の内容は、マジャリスタンを見捨てること、なんだけどね〜。」

「さて、1579年の改革も自由貿易主義傾向を高める、と。」


アウストゥリヤとの講和

「エステルゴン、落ちたよ(1579年1月10日)。雪が降らなくて、よかったね。」
「来月になってたら、また分からないものね。じゃあ、講和の使節を送りましょう。よし、講和成立っ。」
「対ルスィヤ戦線はどうなってるの?」
「カザン守備隊1万5,000が、カザンに侵攻してくるルスィヤ軍を撃退し続けるところ。野戦じゃあ負けないけれど、冬でもガンガン攻め寄せてくるから、さすがに目減りしてきてるわ。」
「あ〜、役に立たないカザン軍との篭城戦、辛そうだねぇ。」
「あ、それは大丈夫。カザン軍はどういうわけだかマジャリスタンのブディン解放戦に参加してるから。」
「あ〜、それは…、ありがたいね。」


ソコルル・メフメトの死

「将星墜つ…、ソコルル・メフメト・パシャもついに逝く、か(1579年4月4日)。でもさ、ソコルル・メフメト・パシャって対ペルス戦争の渦中、ペルスの刺客によって暗殺されるわけじゃない。誰に殺されたっていうの?」
「ん〜、じゃあルスィヤの刺客なんじゃない?」
「え〜、ルスィヤにそんなことできる?」
「ペルスだってやってのけたんだし。」
「ん、まあ、そうか。でも確かに、外国の刺客に暗殺された最高指導者っていうの珍しいよね。それも勃興期ならともかく、世界最大の帝国の最高指導者が、さ。」
「ソコルル・メフメト・パシャって…、間抜け?」
「うあ…、それはないと思うんだけどぉ。う〜ん、必要とあれば誰とでも引見する敷居の低い人だったんじゃないかな。それにスルタンを立てなくちゃいけないから、あんまり警備とか置かなかったのかも。とにかく、カーヌーニー最後の遺臣であって、たいていの歴史家は彼の死の年をもってオスマン帝国の衰退期の始まりの年としてるんだよね。その解釈はともかく、時代を画する人物であったわけで。」
「なるほど、なるほど。民の声を聞くのが公正な政治の初め、ということで、フスレウ Khusrev (ササン朝のホスロー1世のトルコ語名。イスラーム文化における名君の代表的人物)の政談にもそういう話は多いけど、実質的にスルタンには無理だものね、そんなこと。案外、大宰相の時代になってオスマン帝国の政治はより公正なものになったのかな。」
「公正かどうかはその人にもよるんだろうけれど、より柔軟になったとは言えるかもね。それがオスマン帝国が、まあさらに隆盛したわけではないけれど、繁栄を持続させた秘密なのかもね。」

「主力軍がようやくモスコヴァへ着いたわ(1579年9月8日)。蹴散らせ!」
「トルコ軍がモスコヴァに侵攻するのは100年ぶりでしょ。」
「よく覚えてるねぇ。」
「わたしがファーティヒやってたときだからね。このルスィヤはほんと、ぜんぜんルスィヤっぽくないよね。」
「それにしても、わざわざ9月にモスコヴァ入りって。ナポレオンじゃあるまいし。」
「まあね。でもね、その辺の僻地よりは敵地でもモスコヴァの方が越冬しやすいのよ?」
「なるほどね。ナポレオンも下手に撤退しないほうが良かったかな?」
「さすがに50万人は無理でしょうけど。」


マジャリスタンの滅亡

「ついにアウストゥリヤがマジャリスタンを併合してくれたっ! (1579年9月10日)」
「おめでと〜、ぉ?」
「薄情な盟主だよ。見なよ、ほら、他の同盟国なんか最後までブディン解放にがんばってたのに。」
「うわ、これ、ファス軍だね。」
「まあ、頑張りは認めるけど、ね。武器が槍なのは仕方ないとして、せめて騎兵で来るとかさ。これじゃ、ほとんどは戦死することもできずに野垂れ死にでしょうに。まあ、それも今日で終わり。カザン軍にはさっさと帰ってきてもらわないと。」


アストラハンの貿易センターの閉鎖

「アストラハンの貿易センターが閉鎖…(1580年1月5日)。なんで?」
「あ〜、そういえばちょっと前にハザール海の交易路としての重要性について話してくれたね。ルスィヤの南進はハザール海進出のためだったとか。」
「そう。だから、ルスィヤが南進してモスコヴァがアストラハンに代わって貿易の中心地にならない限り、アストラハンが衰退することはありえないっ、って思うわけよ。」
「ん〜、ルスィヤがあまりにも落ちぶれて、自分たちで何も買えなければ中継交易もできない、っていうんなら、アストラハンも衰退するんじゃないかな。」
「あ…、なるほど。う〜ん、それなら仕方ないか。」
「それにしても、アストラハン汗国、焦って併合しなくてよかったね。貿易センターもないんじゃあ、ねぇ…。」

「ねえねえ、カザン軍が反攻に出てニジゴロドの包囲を始めたね。うちがモスコヴァでルスィヤ軍を引き付けてるおかげかな。(1580年3〜4月頃)」
「偉いっ。さっそく砲兵を回してあげよう。」


ムガル帝国の宗教改革

「え? ムガル帝国が異教に改宗…? (1580年6月6日)」
「ん? あぁ、アクバルのタウヒーデ・ イラーヒーのことか。ムガル皇帝アクバルは有能な君主として名高いけれど、敬虔な人でもあってね、ヒンドゥスタンにはペルスの学者が大勢出稼ぎに行ってたから、彼らの影響もあって神秘主義に熱心に取り組んでたのよ。」
「ペルスはシーア派で、ムガル帝国はスンニー派じゃないの?」
「う〜ん、そうはっきりしたものではないんだけど…。ペルスがシーア派になった、といってもサファヴィー朝が興ってからのことで、それもイスマーイールが言い出したことだからこの時代、まだまだシーア派の学者を募って教義を固めてるところでね。まあ、シーア派っていうとぜんぜん違う宗派のように聞こえるけれど、ペルスの民衆がイスマーイールのシーア派の教義を受け入れたのは、それ以前にそれを受け入れる素地が出来てたって考える方が自然でしょ?」
「素地?」
「聖者崇拝とかね。ここだけの話、ムハンマドはその使徒なり、ってあれだけ言ってるのにね。まあ、そういうペルス風のイスラーム教…、というかイスラーム文化というものがサファヴィー朝成立以前になんとなくあってね。とりわけバウダードがモオル軍によって破壊されてからはイル汗国があったペルスがイスラーム世界の東半分の中心だったわけだし、このイル汗国のモオル人支配を嫌ったペルス人知識人が周辺地域へ逃れたから、マーワラーアンナフルもヒンドゥスタンも、そしてここルーム Rūm (旧ビザンツ帝国、すなわちローマ帝国の領域)も、ペルス風のイスラーム文化に染まっているわけ。トルコ人もエユップ Eyüp (ムハンマドの旗持ちにして、コンスタンティノープル包囲にて殉教したアブー・アイユーブ・アル=アンサーリーのトルコ語名)廟とか詣でるでしょ?」
「あぁあ…、わたしたちは何ということを…。」
「まあまあ、スルタンからして戴剣式で詣でるくらいなんだから、いいじゃないの。」
「まあその、ペルス風のイスラーム文化では神秘主義が盛んだったわけ。あたしは、カリフすら殺されてしまう後アッバース朝期の無常観が新しい宗教様式を求めたのだと思っているんだけど。」
「キリスト教徒はよく言うよね、お前たちの神が本当に正しいと言うのなら、なぜお前たちの国を滅ぼしたのか、ってね。こんなことなら、ファーティヒは無理してでも教皇の首を取るべきだったね。」
「わたしたちの敵だって神さまが造ったんだから、そんなの関係ないのにねぇ。」
「まあ、そこに思い至らないのが人間の視野の狭さなんだろうけど、それに気づくきっかけを与えてくれたという点では、それも恩寵なのかもね。」
「そうかもしれないけれど、そうならカリフも災難だな。」
「まあ、そんなわけでムガル帝国でも神秘主義は盛んだったんだけれど、何と言ってもヒンドゥスタンではヒンドゥー教徒たちが何千年も昔から、似たようなヨガをやってたのよ。で、それってどうなの? ってヒンドゥー教徒その他の知識人を集めて意見を聞いて、いいとこ取りしたのがタウヒーデ・ イラーヒーというわけ。」
「それを臣民に強要したの?」
「まさか。普通の人に理解できるようなものでもないし。アクバルとごく親しい人たちが自分たちのためにやった、実践付きの勉強会みたいなものよ。」
「ほへー。アクバルは、これによってかどうかは忘れたけれど、臣民の宗教の融和に尽力した、だから偉かった、みたいなことが書いてある本を読んだんだけど。」
「ああ。彼はね、ヒンドゥー教徒からジズヤを徴収するのをやめたのよ。そんな文脈から、適当に当てはめたんでしょ、その宗教の融和、っていうのは。」
「だよね。わたしたちだって少なからず、来世や異教徒なら転生? そのために現世で妥協しちゃダメだ、って思うのに、昔の人ならなおさらだものね。」
「あの…、タウヒーデ・ イラーヒーについてはよく分かったのですが、ゲーム上では異教になったのですから、折角ですから征服してしまいませんか?」
「容赦ないな。」
「う〜ん、ルスィヤと戦争していることを置いても、この世界でのムガル帝国、ヒンドゥスタンへの侵攻に失敗してアフガニスタンを治めてるだけなのよねぇ。通行許可はあるから攻められないことはないけれど、カーブルとクエッタ、欲しい?」
「せめて港があればねぇ。守備隊を置くだけの利益は出なさそう…。」
「こんなことなら、パニーパットの戦いを支援しておけば良かったね。」
「そこまでする?」
「するでしょ〜。ヒンドゥスタンが手に入るんだよ?」
「そっか、そうかもねぇ。まあ、それはまた今度の機会に。とりあえず、わたしの代ではいいや。忙しいし。」
「うん、いいんじゃない?」

「今年も雪降ってきたよ。ニジゴロド、陥落しないね。」
「ここも三重の城壁(普通レベル)だからね。下手に突撃したりしてカザン軍が弱気になって包囲解除したら困るし。ま、あと少しよ。」

「ふ〜、やっとニジゴロドを制圧したわ(1580年12月5日)。次はウラジミルかな。」
「あ、カザンがニジゴロドをもらって講和したよ(1580年12月6日)。」
「ちぇっ、いくじなし。ま、一州取れただけでも良かったか。酒造場付きでね。」
「ん? うちは講和しないの?」
「もうすぐモスコヴァが陥落するから。どうせモスコヴァで越冬しなくちゃならないんだし、地図くらいもらって帰ろうかと思って。」
「なるほど。」


ルスィヤとの講和

「というわけで、モスコヴァも陥落、と(1581年2月6日)。う…、地図増えない。」
「ルスィヤも正教で、西欧諸国と仲が良いわけでもないからねぇ。」
「戦勝点58%稼いでいるのに、賠償金も取れないのか…。2月で資金払底ってどういうことよ? まあいいわ。本当に心の底から寛大な和平提案をしましょう。次もある、ってことでね。」
「次ねぇ…。あるといいね。」
「それにしても、意外とあっさり片付いちゃった。兵力がだいぶ余ってるけど、どうしようかなぁ…。」
「解散、はしないんだよね。」
「うん。ま、外交官が溜まったらまた考えましょう。」


Astrologer or Astronomer?

「タキウッディーンの天文台を壊せって、イェニチェリから請願が着てるよ(1581年7月8日)。天文学者か占星術師か、ってあるけれど、怪しい人?」
「とんでもない。トルコが世界に誇る大科学者の1人と言っていいわ。トルコ語では Takyuddin だけど、アラビア語では Taqi al-Din って書いて、こっちの方で通ってるから調べてみて。なんたってこの人、世界で初めて蒸気機関のモデルを描いたんだから。」
「え? 本当?」
「孤立した天才ってやつ? すごいことを考えたけど、誰にも広まらなくて、後から見て、あ〜、すごかったねぇ、惜しかったねぇ、って。」
「ん〜、確かにトルコでは蒸気機関を産業的に利用するまでには至らなかったけどね。ただ、このタキウッディーンが建造してもらった天文台をスルタンに請願するとき、ティコ・ブラーエが使ってるダニマルカ王立天文台並みかそれ以上のを、ってお願いしていることを考えると、アウルパ諸国との学問的情報の交流はけっこうあったみたいね。だから、タキウッディーンの蒸気機関の発想が別のヨーロッパの学者に受け継がれた、ってことはあったかもしれない。」


Takyuddin and Other Astronomers at the Galata Observatory Founded in 1557 by Sultan Suleyman

「でも、タキウッディーンって天文学者なんでしょ?」
「そうね、彼にとって蒸気機関は余技みたいなものじゃないかな。やっぱり関心は天文にあったみたい。オスマン帝国の側でも天文学をないがしろにしてたわけではなくて、カーヌーニーが1557年にガラタ塔に天文所を設立してたんだけど。これはその挿絵。ガラタ天文所でのタキウッディーンが描かれているの。」
「1557年…、ムスタファ王子の内戦を鎮圧して、スレイマニエ・ジャーミーを建立した年だね。」
「あ、そういえばそうね。その頃、タキウッディーンはカイロで学んでいたんだけれど、天体の運動の事象を解明するという野心があって、1571年にイスタンブルに出てきて、1574年のムラト3世の即位に際して主席天文官に任じられるの。そこで、ガラタ塔での観測に限界を感じていた彼はスルタンに新しい天文台の設営を請願したの。」
「ガラタ塔からじゃあ、さすがに厳しかったんじゃない? 昔だって街の明かりはあったでしょうし。」
「うん、ムラト3世ももっともだと思ったのか、天文台の設営は許可されて、1577年に完成したの。ところがこの時代、新大陸の銀の大量流入だとかで不景気な時代でね、兵士への賃金不払いだとか、借金だとか、みんながお金に困っていたのよ。そこに、星を見るためだけの立派な建物が建てられたのよね。」
「それでイェニチェリが怒ったのか。」
「そう。そんなに偉い学者が立派な天文台をこしらえたって言うんなら、最近の対ペルス戦争の一戦闘の結果でも占ってもらおう、ときたのよ。」
「これって…、いちゃもんだよね? 負ける、とは言えないものね。」
「そう。まあ、こんないちゃもんを付ける辺り、イェニチェリにも天文学は占星術じゃないってことは十分分かってたのかもね。オスマン軍だってずっと勝ち続けられるわけはなし、かくしてタキウッディーンの天文台は設営2年にして破壊されてしまったの。」
「もったいないなかったね。」
「うん、まあ、時期が悪かった。でも、50年後にガリレオが敗訴して軟禁されたことを思えば、タキウッディーンは1585年に死ぬまで活動を続けられたんだから、最悪ではなかったはず。」
「不遇な目にあった学者のことを思うと、昔は不寛容だったんだなぁ、って思うけどさ、こうして話し聞いてみると、学者ってやっぱりいつの時代も学問バカっていうか、もう少し周り見なよ、っていう感じもするね。」
「そうかもねぇ。成功して不朽の名前を残した学者っていうのは、運も良かったろうし、周りの人が助けてくれるほど人柄も良かったんだろうねぇ。そんなんじゃどうにもならない運の悪さもあるだろうけれど。」


The Gregorian Calendar

「グレゴリオ暦の発布…。これまでのズレの帳尻を合わせるために、1582年10月5日から10月14日はないこととする、のか。でも今日って、1582年10月11日だねぇ。」
「まあゲームだから。」
「でもすごいねぇ。16世紀に、ちゃんと計算してみたらずれてたから、みんなで合わせましょう、なんて合意が出来たんだね。」
「んー、カトリックを奉じる国ではね。教皇の勅令だし。」
「そのほかの国では?」
「新教や正教の国ではだいぶ採用は遅れたみたい。例えばインギリテレ İngiltere (イングランド)は1752年になって、ようやく導入。」
「へー、新教の国の方が科学技術では進んでいるような感じがするけどねぇ。ちょっと意外。」
「日にちがずれるってことは祭事の日付がずれるってことだから、そういうのを教皇にずらされるのが嫌だったみたいね。とはいえ、やっぱりこの時点で冬至とかが10日もずれてたわけで、太陽暦を使う以上、いずれは従わざるを得なかったんだけど。」
「あっ! しつもーん。」
「はい、なあに?」
「よく、コンスタンティニエの陥落は1453年5月29日でした、とか言うけれど、1582年以前の日付っていうのは何に基づいてるの?」
「ええとね、まずこの20世紀に西欧の学会で発表される歴史研究においては、1582年10月5日から10月14日はなくて、それ以前はユリウス暦の日付にしてるのね。コンスタンティニエの陥落の場合、ヒジュラ暦から得られる日付をそのルールに当てはめているわけ。」
「西欧諸国以外は違うの?」
「ヨーロッパでもルスィヤを初めとする東方正教会はまだユリウス暦を使ってるのよね。でも、学会は西欧諸国がリードしているから、ルスィヤの学者が学会で発表するときは西欧のルールに従うはず。それと、難しいのはグレゴリオ暦の採用が遅れた国々で、1582年からその採用された年までは、グレゴリオ暦とその国のユリウス暦とで日付がずれるわけね。当然、マニュスクリプトではずれたままなわけだけど、研究書では両方併記しなければならないでしょうね。」
「その点、イスラーム諸国の歴史はいいよね。最初から一貫してずれてるから。」
「いや、ずれてるっていう言い方はどうかなぁ…。」


Monopoly Company Formed

「お、独占企業が興って、30,000フローリンくれるって(1584年1月12日)。」
「ああ…、もうそろそろオスマン帝国衰退の兆し? 独占企業が興って、アーヤーン(地方豪族)になって、国はバラバラ、って。」
「え? 商人が1人と30,000フローリンが増えるだけで、他には何もないみたいだよ? ただのラッキーイベントじゃないの?」
「え? そうなの? じゃあ、まあ、いいんだけど。何だかずいぶんのんきな国ね。独占企業のおかげで物価が上がって、インフレ率くらい上がってもよさそうなのに。」
「まあまあ、素直に喜んでおきなさいって。衰退の兆しのイベントはこの先たくさんあるから。」


ヒュルミュズとの貿易協定

「ヒュルミュズ Hürmüz (ホルムズ)から貿易協定を結んでほしい、っていう打診が来たよ(1584年4月18日)。」
「即承諾で。」
「これで貿易協定を結んでいる国はいくつになったの?」
「ええと、インギリテレ、イスウェチ İsveç (スウェーデン)、ダニマルカ Danimarka (デンマーク)、レヒスタン Lehistan (ポーランド)に、今回のヒュルミュズで5ヶ国ね。」
「貿易センターがある国や出来そうな国とだけ貿易協定を結ぶ、っていう方針は当然だと思うけど、イスウェチって貿易センター出来るの?」
「んー、ストコルム Stokolm (ストックホルム)に出来たような気がしたんだけれど…。」
「もしストコルムに出来るとすれば、それはコペンハーグ Kopenhag (コペンハーゲン)かノブゴロドの貿易センターが衰退してからのことでないの?」
「そしたらそのときダニマルカかレヒスタンと手を切ればいいのよ。貿易協定は締結はたいへんだけど、破棄はちょいちょいなんだから。」


Price revolution crisis

「い、忌々しすぎる…! なに? この価格革命って? (1584年9月18日)」
「ええと、50,000フローリンを失って、20,000フローリンのローンを追加だから、実質的に70,000フローリンの喪失と、インフレ率10%アップ、安定度-3、工場が2つ減って、中央集権傾向が2つ減って、10年間反乱リスク+3か。よくも1つのイベントにこれだけ詰め込んだねぇ。」
「ふぅ、待ちかねたわ。」
「え?」
「だって、避けえない凶事なら、それが起こるまで何もできないじゃない。これでようやくムラト3世の治世の後半をプレイできるわ。」
「なるほど、それで対ルスィヤ戦のあとは何もしてなかったのか。」
「それにしても、産業革命とか農業革命とか、革命って普通はいい意味に使うんじゃないの? 何これ、価格革命って。」
「いや…、革命っていうのは劇的に変わった、ってことで、良いも悪いもないから。価格革命っていうのは、イスパニヤが新大陸発見をしたおかげで旧大陸に大量に持ち込まれた銀によって、それまで釣り合ってた…というか貨幣の方が少なくて困ってたんだけど…銀貨を初めとする貨幣の総量と旧大陸全体で売りに出される商品の総量が、一気に貨幣の方が多くなったことで貨幣の価値が激減した、という現象よ。兵士や官僚は俸給をもらってるし、商人は蓄財しているから、彼らから見ると俸給額や蓄財額は変わらないのに物価だけが跳ね上がった、と見えるわけね。まあ、こういうことがオスマン帝国を含むアウルパ中で徐々に、あるいは一気に起こったんだけど、オスマン帝国では文中にあるように、1584年の銀貨の銀含有量の改定をきっかけに一気にこれが起こったわけね。だから、大混乱。どのくらいの改悪がなされたかと言うと、まあ嘘なんだろうけれど、このときのイェニチェリの叛乱のきっかけというのがね、あるイェニチェリがもらった銀貨を落として、その銀貨が金角湾へ転がったらそれが浮いた、って言うのよ。」
「へー、すごいねぇ。」
「まあ金属だからそんなことはないんだろうけれど、そのくらいひどかった、ってことでしょうね。」
「そんなにひどくて、よくオスマン帝国の首脳部は倒されなかったね。」
「確かにちゃんとした俸給を支払え、っていう兵士たちの叛乱は次々と起こったけど、大宰相を筆頭とする枢密院の責任を問う反乱はなかったんじゃないかな。そもそもこの改悪された銀貨、偽銀貨は民衆の間ではヴェネディクがオスマン帝国を混乱させるためにばら撒いたってことになってたし。」
「ふ〜ん、助かっちゃったね。」
「…? あの…、文中では粗悪貨幣を過剰流通させることから生じるインフレーションの仕組みを当時は誰も理解できなかった、とありますが、それと、ヴェネディクが混乱させたという風聞は矛盾しないのでしょうか?」
「鋭いわね〜。そう、そうなのよ。この時代にあっても、ヴェネディクのドゥカート金貨やインギリテレのポンド金貨はまったく金含有率を落としてないのね。ま、頑張ってたわけ。何のために? って考えたら、それはこれらが国際基軸通貨としての地位を守るためだった、と考えるしかないでしょ。まあ、今日の経済学のようなはっきりした考えではなかったんだろうけど、貨幣改悪はよくない、っていうおぼろげな知恵はあったと思うの。そしてそれは当然、オスマン帝国の政治家たちにも分かっていたはずなの。分かっていたのに、それをあえてやった。それはなぜか?」
「ちゃんと聞いてるよ。」
「ま、これはあたしの予測なんだけれど、旧大陸には新大陸の銀が大量に入ってきたけれど、オスマン帝国ではそれ以上に貨幣が必要な社会になっちゃったんじゃないかな、って。例えば当時、オスマン帝国には10万人の兵士がいたのだけれど、この兵士に1人当たり月に100アクチェ支払わなければならないとすると、オスマン帝国政府は兵士に支払うだけで年に1億2,000万アクチェの銀貨を用意しなければならなくなるわね。この上、兵士の他に官僚もいる。まあ、財政的にそれに見合う歳入はあるんでしょうけれど、物理的にそれだけの貨幣をかき集めることができるのか。そんなわけで、この頃から租税も銀納が求められるようになってくる。兵士や官僚はもらった銀貨を使うし、農村では租税のために銀貨を必要としているから、その間を商人たちを通じて銀貨が渡っていく。そんなわけで、オスマン帝国は中央集権化してく過程で貨幣流通社会になっていったのね。ただ、それに見合う経済的な背景はあるんだけれど、物理的に貨幣がなかったのかも。そんなわけで、貨幣流通量を増やすべく、いや、最初はそんな意図はなかったのかもしれないけれど、貨幣改悪はなにやら具合がよくって、正されることなくそのまま継続したのかな、なんて思ってるんだけど。」
「なるほど、なるほど。さあさ、難しいことは置いておいて、安定度回復したら行動再開しましょ、っと。」
「はいはい、ごめんね。」


1587年の中東

「で? そんなに待ちかねちゃって、何をするつもりなの?」
「んー、ペルスからバウダードを返してもらおうかな、と思って。他の中核州も合わせて。」
「え〜、そんなんいつでもできるじゃん。オズレムなんだからもっと難しいことやりなよ。」
「まあ、そう言われるとは思ったんだけれど、ペルスにそろそろアッバース大帝が即位して、最盛期を迎えるからね。改宗とかされない内に奪っとかないといけないから。」
「なるほど。」
「でもさ、バウダード、アゼルバイジャン、リュブナン Lübnan (レバノン)と、点数高い州多いよ? こっちから宣戦したら倍相当の点を稼がなくちゃならないんじゃなかったっけ?」
「あ〜、リュブナンはとうとう叛乱してくれなかったねぇ。」
「うん。だから、ペルス全土を征服するつもり。奪うのはこっちの中核州なんだから、向こうから折れてくるわ。」
「なるほどー。」


ペルス戦争勃発

「さて、安定度も回復したし、外交官も溜まったということで、ペルスに宣戦ね(1587年9月12日)。」
「また秋口に戦争始めてるし…。」
「アッバース大帝も今年の12月には登極してくるからぎりぎりなのよ。お、やった。ヒュルミュズがペルスに加勢してくれた。」
「ヒュルミュズからも何か奪うの?」
「ヒュルミュズはいずれ外交併合する日のためにスンニー派に改宗してもらわないとね。」

「敵はテブリズ Tebriz (タブリーズ。アゼルバイジャンの都)に4万、ディヤルバクル(ヌイサイビンの都)に3万5,000か。やっぱり多いねぇ。」
「よく数えてよ。いま前線で向かい合ってるのは、どっちも10万前後なんだから。こっちはそれに砲兵を洋上待機させてるし、ヒュルミュズ戦線にも配置してるし。」
「おお、よく揃えたね。敵軍を上回るなんて。」
「なんちゃってね、ペルス国内にどんだけいるか分かんないんだけど。うちはフル稼働。ほら、開戦とともに敵はシャム Şam (ダマスカス。シリアの都)、ハレプ Haleb (アレッポ)、トラブゾン、イチェル Içel (タウルス山脈南麓の都)に向かって同時進軍してる。後背に相当兵力があるわね。こっちの宣戦を待ってました、って感じ?」
「で、どうするの?」
「敵の主力を避けて、こっちも懐を狙うのがセオリーなんだけど、格下だし、ちょっと野戦してみようかな。」
「え〜、大丈夫〜?」
「さっきはペルス全土を征服するって宣言しちゃったけど、野戦で稼げるならその方が早いからね。」


イチェルの戦い

「なんで火器も持ってないペルス騎兵2,000弱を相手に、世界最強のオスマン帝国軍一個師団が負けそうなのよ。」
「はぁ…。これが最盛期の国と衰退期の国の差なのね。アッバース大帝が先月即位してるから。それにしても、こんなにはっきり差がでるとは思ってなかったわ。」
「まぁ、いつも通りになっただけのことじゃない。格下だからって侮ってちゃダメってことだね。」
「はい、ごめんなさい。」


Guadalcanal exhausted

「ワード・アルハーナートで銀が枯渇…(1588年7月22日)。あれ? このイベント、前にもなかったっけ?」
「あ〜、わたしのときだよ。カーヌーニーのとき。エンデュリュスで銀鉱脈が発見されたかと思ったら、すぐに産出量が激減して、何これ? って。」
「ああ、そんなに前だっけ。で、今回は基本徴税額が100フローリン減って、人口が750人減ったみたいだけど、前はどうだったっけ?」
「うん、ぴったり同じだけ増えてた。」
「う〜ん、この750人の現金な人たち、ちょっと見てみたいわね。」

「さてと、1589年の改革は、引き続き自由主義貿易傾向を高めて、と。」
「え? 下がった中央集権制傾向は戻さなくていいの?」
「うん、しばらくしたら『ベイレルベイ制の動揺』っていう改革系のイベントが起こって、そこで中央集権制が2上がるから。」
「そういう知識は助かるけど、なんかずるい感じもするわ。」


ヒュルミュズとの講和

「さてと、小競り合いを繰り返して、ようやく対ヒュルミュズ戦勝点が55%に貯まりました、と(1590年8月30日)。」
「ヒュルミュズってしょぼい州が多いから55%も貯めるの大変だったでしょ?」
「そうなの。バフレイン、マシラー共に4%、マスカートでも10%じゃねぇ。でも、海運国家っていうのは、海戦で苛められるからその点は楽なんだけどね。」
「陸戦じゃあ、追って行くうちにどんどん消耗してっちゃうもんね。」
「それにしても、あと1州なら全部奪えばいいのに。」
「別に領土要求するわけじゃなくて改宗要求だけだから、十分足りるはず。あ、蹴られた…。」
「ま、あと1州だから。」
「まあ、残るマスカートも包囲中だからいいんだけどね。」

「というわけで、マスカートも陥落、と(1591年1月8日)。」
「大砲120門揃えると、やっぱり速いね。」
「まったく手をかけてくれちゃって。では、改宗要求を。ま、受けざるを得ないよね。」


ペルスとの講和

「さあ、これでいつでも敵同盟主ペルスからの講和を受け入れることができるわ。」
「講和を受け入れる、って、肝心の中核州のうち、エルメニスタン Ermenistan (アルメニア。地図上はクルディスタン)、ディヤルバクル、アゼルバイジャンをまだ占領できてないじゃない。」
「あ〜、その代わり、バウダードを落としてからそのまま東進してバスラ、ルリスタン(地図上はハマダーン)、フゼスタン(地図上はアフワーズ)、タバリスタン、イスファハン、キルマン Kirman (ケルマーン)は奪ってる。戦勝点も99%きっちり確保。」
「いらないとこばっかり占領してぇ、押し付けられたりしたらどうするの?」
「だって、ペルス正規軍に歯が立たなかったんだもの。まあまあ、大丈夫だから。あ、ほらきた。」
「お。リュブナン、ムスル Musul (モースル)、ディヤルバクル、イラク、アゼルバイジャンの割譲提案(1591年4月4日)。良かったね。」
「ええ、とっても。」
「あれ? でもエルメニスタンはくれないんだね。いいの?」
「まあ点数が足りないんでしょ。でも返ってよかったわ。ペルスからはまだバスラを奪わなくちゃいけないし、何と言っても改宗してもらわなくちゃならないし。エルメニスタンの不当占拠はいい口実になる。」
「なんて言ってて、エルメニスタンが叛乱して独立したりして。」
「うん、だから次の攻撃は早めにね、コレル。」
「あ、そうなんだ。」


New silver mine discovered

「また新大陸で銀鉱山が発見されたみたいだね、カストロビレイナ Castrovirreina でだって(1591年7月19日)。」
「カリーマ、あなた、このカストロビレイナ鉱山がどこにあるか分かる?」
「え? リマ州の鉱山産出量が増えたんだから、リマの近くじゃないの?」
「それは確かにそうなんだけれど、じゃあ、リマの北か南かは分かる?」
「え〜? あ、地図貸して、地図。う〜ん…、コレルぅ、カストロビレイナは載ってないよ…。」
「そうでしょう、そうでしょう。鉱山町というのは、たいていは山の中にあって、鉱物が採れなくなれば寂れてしまうから、年月が経つと廃墟になったり寒村になりがちで、地図には載らなくなってしまう。でも、こうしてある時期に重要な役割を果たした地名が出てきて、それがどこだか分からないなんて、すごく気になるじゃない?」
「え…? そ、そうでも…。」
「で、新大陸でイスパニヤが開発した鉱山に関しての記事がないかなぁ、って探してて、ようやく見つけたのよ。」
「お〜、よかったねぇ。」
「うん。“La Minería Colonial de Metales Preciosos”という本に2葉の新大陸における鉱山の位置を示す地図があったの。それがこれ:


メキシコの鉱山
ペルーの鉱山

すごいでしょ?」
「あ、やっぱりカストロビレイナはリマの近くだったね。」
「ま、まあね。」


New gold mine discovered

「今度はサラゴサで金鉱山が発見されたって(1591年11月10日)。」
「お、さっそく。」
「ええと…、あれ? コレル、カリの近くにサラゴサって載ってないよ、この地図。」
「え…。あ、ほんとうだ。」
「た、たまたまだよ。ほら、オルロとかは載ってるし。わたし、ポトシ・オルロってポトシ銀山のことかと思ったら、そうじゃなくてポトシ地方のオルロ鉱山ってことだったんだね〜。」
「そう言えば、前に出てきたメクスィカのチメトラとかいう鉱山も載ってないじゃん?」
「はうっ…。」


Fratricide

「きょ、兄弟殺しって…。こんな治世も最末期になって(1593年6月5日)。」
「価格危機のときに起こってくれればよかったのにねぇ。」
「ま、何も悪いことはないんだから、いいんだけどね。」
「それにしても、ムラト3世というとハレムで女の子たちに囲まれて、きゃっきゃっ、ていうイメージしかないんだけど、ヤウズならともかく、よくこんな思い切ったことできたね。」
「あ〜、メルテム、それはアウルパの本からの印象でしょう? カーヌーニーは有能で、セリム2世は無能と、ここまではオスマン帝国の年代記もアウルパの研究書も見解は同じなんだけど、ムラト3世からはだいぶ違ってくるのよね。この時代からヴェネディクだけじゃなくてアウルパ中の大国がペラに大使を置くようになるんだけど、この人たちが送った報告に基づいて、アウルパの歴史家たちはオスマン帝国の歴史家たちとは別の見解を持つようになったんじゃあないかな、とあたしは思ってるんだけど。」
「それなら、いまならその別々の史料を照らし合わせて、もっと歴史の実像に迫れるようになれるね。」
「う〜ん、でもこのアウルパの大使っていうのがねぇ…。まあ、大使っていうからダメなのかな。要するに、世界に冠たるオスマン帝国のスルタンがアウルパの王たちに意向を下知するために置かせた御用聞きなのよ。だから、オスマン帝国の側からは大使なんか派遣してないし。もちろん、アウルパ諸国からすればこの大使はオスマン帝国の動向を探るスパイでもあるのだけれど。」
「でも、スパイなら意外な事実を書き残してたりもするんじゃない?」
「うん、まあそういうこともあるかもしれない。この人に抜擢された人たちには、彼らからすれば異教徒の都に派遣するわけだから、身分は低いけど目端の聞く人が選ばれたみたいだし。でもまあ、この人たちにしてもそれなりの功績を上げたら早く国に帰りたいわけよ。オスマン帝国と母国が戦争になったら、彼らはよくても投獄されちゃうし。」
「功績…、スパイの?」
「そう。スパイの仕事は諜報でしょ。かといって、何もありませんでした、平和です、じゃあ、ぱっとしないわよね。そんなわけで、母国の人たちが喜ぶようなニュースを送りがちなのよね。」
「例えば?」
「ムラト3世は奴隷市場で美少女を買い漁って、その数は1,200人に達する、と。そして、彼女たちがハンマームで戯れ遊ぶのを覗き見るのがスルタンの何よりの楽しみだ、と。」
「あ〜…、奥手だね。」
「アウルパ人によれば103人、オスマン帝国の記録でも女児は不明ながら男児20人を産ませているから、まあ、そんなことはないんだろうけれど。そうじゃなくて、異教徒を束ねる王がこっそりこそこそ覗き見なんか楽しんでるようだったら、キリスト教徒としては愉快でしょ?」
「普通のプレイに飽きちゃったとか。」
「ま、そういうこともあるかもしれない。でもいずれにしても、そんなハレムの奥で何が行われているかなんて、この世の誰にも、まして異教徒で外国人の大使たちが知りえるわけないでしょ?」
「そりゃ、そうだね。」
「つまり、そういうことなのよ。ちなみに、オスマン帝国の年代記ではムラト3世はアラビア語とペルシア語に堪能で、一流の学者に師事を受けた、歴代のスルタンの中でもっとも聡明なスルタンとされているわ。」
「ぜ、ぜんぜん違うね、評価。ん〜、でも治績はぱっとしないけど?」
「まあ、これまでのスルタンと違って陣頭に立ったことは一度もないわね。でもそれは、自分の将才をよく弁えていたのかも。ともかく22年間もの治世をまっとうしたし、種馬伝説が生まれるほど、帝室公庫は潤沢だった。価格危機みたい災難には誰が当たっても対応が難しかったと思うし。」
「ふ〜ん、またまたイメージが変わったけど、意外と文弱なスルタンだったのかな。でも、そうならますます兄弟殺しが似合わないねぇ。」
「実はムラト3世の即位には、お母さんのヌール=バヌーの方が活躍してるのよ。お父さんのセリム2世が亡くなったとき、ムラト王子は遠く、マニサの知事をしていたんだけれど、このムラト王子に帝位を継がせたかったヌール=バヌーはセリム2世の死を隠して、遺体を氷漬けにして、ムラト王子が到着する12日間、待ち続けたそうよ。」
「マニサか…、遠いねぇ。実は帝位から遠ざけられてたのかな?」
「ヌール=バヌーは長子ムラトを産んだセリム2世の第一夫人ではあったけど、セリム2世が死んでしまえばそんな地位は意味がなくなる。だから必死だったのは理解できるけれど、分からないのは、大宰相にして軍の全権を預かるソコルル・メフメト・パシャでね。彼の黙認ないし共謀がなければことは成功しなかったと思う。つまり、ムラト3世の即位は彼も望んだ、ということでしょうね。ムラト3世の才能を認めたのか、無能で御しやすいと思ったのかは不明だけど。いずれにしても、ヌール=バヌーやムラト3世となら一緒にやっていける、とは思ったんでしょうね。このような状況では、ムラト3世が有能でも無能でも、冷酷でも温厚でも、競争者を排除しないわけにはいかなかったでしょう。」
「このトップ3全員が、そうしなければならない状況にあったわけだね。」


メフメト3世の即位

「あ〜あ、終わりか。じゃ、コレル、エルメニスタンが独立しないうちに奪取するの、忘れないでね。」
「はいはーい。」
「やっぱりオズレムがやってもぱっとしなかったね、ムラト3世。」
「う〜ん、自分としてはマジャリスタンをアウストゥリヤに滅ぼさせたり、カザンの領土を増やしたりできたのが、よく出来たかなぁ、と思ってはいるんだけど。」
「自らの手は汚さず周囲を操るなんて、影の支配者っぽいね〜。」
「実は根が陰険?」
「ちゃんとまっとうなこともしてましたよ。北米上陸封鎖臨海植民計画もマタゴルダからタラハシーまで達したし。」
「なんだかごつそうな計画ですな。」
「というわけで、こっちの政策の継続もよろしく。」
「はいはい。宿題は多いけど、治世は9年しかないんだから、あまり期待しないでね。」


1595年1月16日、オスマン帝国第13代スルタン、メフメト3世、即位。


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Last-modified: 2007-12-09 (日) 00:12:43 (3639d)