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用語辞典
Conquest of Peru †
Selim II & the Empire in 1566 [See the Map ]
統治 3:外交 3:軍事 2:勝利 4,514
貴族 10:中央 10:革新 0:重商 7:野戦 6:陸軍 6:精鋭 7:農奴 10
陸技 16:海技 12:行政 2:経済 3
非道 29.7/42.0:年収 3,198.94$:騰貴 9.0%:貿易 27:設備 31

「な、なに…? この低能力は。あれ? 前にも同じこと言ったな。」
「政府が崩壊したときの臨時政府の能力がオール3らしいから、それ以下ということね。以前はこんな低い評価じゃなかったんだけど…。なんと言っても国政を取り仕切ったのはカーヌーニーがセリム2世のために遺した懐刀、ソコルル・メフメト・パシャなんだから。」
「そうだ、そうだよ。」
「でもこのゲームのプレイヤーが大宰相という解釈になったのね。だから、無能なスルタンで国政は難しいけど、そこを頑張る、ということね。」
「すると、この低能力、とりわけ3以下っていうのは、大宰相がやろうとしてることをあえて邪魔する傾向を表現してるのかな。」
「うは、生かしておけない。」
「うーん、ここではソコルル・メフメト・パシャがエンデュリュスに残るムスリムを救うことを名目に地中海の覇を争うイスパニヤ本国を攻撃する艦隊を組織している折、それまで酒色に溺れてたセリム2世がこのときだけは大宰相を制して、自分の愛する葡萄酒の産地、クブルス Kıbrıs (キプロス)に艦隊を向かわせた、あるけれど。でも、これって…。」
「本当にソコルル・メフメト・パシャはイスパニヤ上陸なんていう成算の薄い作戦を立てたのかなぁ…。だって、もうこのときすでにマルタ島の攻略には失敗してるでしょ? トゥヌスもメッシーナもイスパニヤのものだし。それに、クブルスもギリト Girit (クレタ)もヴェネディク Venedik (ヴェネツィア)領だったわけだけど、イスタンブルとムスル Mısır (エジプト)を結ぶ海路上でいかにも邪魔よね。イスパニヤ遠征を回避してクブルスに向かわせたのはまっとうだと思う。」
「小さい、小さい。この時代、帝国とイスパニヤやポルテキズとは世界の覇権を巡ってて、場合によっちゃあヒンドゥスタンでだって剣戟を交えちゃうんだから。クブルスやギリトだなんて。まだレパントの敗戦より前で大艦隊だって健在なんだし。それにエンデュリュスにムスリムがまだいるんだから、旧グルナタ Gırnata (グラナダ)の支配だって確立してないでしょ。イスパニヤがセウタやトゥヌスを支配してるんなら、帝国だってグルナタくらいは確保してたってよかったんじゃない?」
「基礎がないところに建物は立たないわよ。グルナタを割譲させることが出来たとしてもギリトがヴェネディクの手中にあるのにどうやって支配できるっていうわけ? ジェザイル Cezayir (アルジェ)みたいに実質的に手放しちゃうだけでしょ。」
「グルナタを割譲させてイスパニヤと講和したら、ヴェネディクを単独で叩けばいいじゃない。」
「まあまあ。確かにわたしたち凡人が往時の天才政治家たちを論じても結局、その真髄には思い至らないかもね。」

「なんじゃ? わたしには帝位継承を争う兄弟がいない、って。確認? (1567年9月17日)。」
「まあ確認なんだろうねぇ。でも、この時代のスルタンたちは帝位に就くとライバルである弟たちを後顧の憂いがないように皆殺しにした、と言われているけれど、実際にそれをやったのはセリム1世、ムラト3世、メフメト3世の3人だけで、この3人の中でも本気で帝権を確立するために兄弟殺しをやったのはセリム1世だけだろうけど。」
「でもセリム2世の場合、お父さんのカーヌーニーが長生きしちゃっただけの話で、バヤズィト王子を殺してるわけだから、これもその範疇に入るんじゃない? バヤズィト2世も弟ジェムに背かれたけど、ついに殺すには至ってないわけだし。」
「カーヌーニーもたまたま兄弟がいなかっただけで、いればやってたかな。」
「なんとも。あるいはやられてたりして。」
「まあ分からないのは、メフメト3世は政戦にやる気の片鱗を見せてるからともかく、ムラト3世って、酒色に耽らんがために帝位に登って兄弟殺しをしたんだろうか。そんな動機でそんな強烈なことできると思う? しかもこれをソコルル・メフメト・パシャも黙認してるんだけど。そこで思うのは、兄弟殺しっていうのはスルタンの意思というよりも宮廷や社会の要請だったのかな、って。」
「まあ、帝位継承者が生きてれば担がれることもあるだろうし、民衆にとって内戦ほど迷惑なものはないよね。」
「その通りなんだけど、貴種中の貴種である皇子たちの処刑を歓迎するっていうのは、当時の雰囲気っていうのはいまとぜんぜん違うんだな、って驚かされるよね。」
「皇子たち可哀想、っていう同情がまさに叛乱を後押しするわけで、もし当時の宮廷や民衆が政局の安定を思ってそういう同情を押し殺していたとしたなら、相当クールだわね。」
「クールな個人なら何人かはいてもおかしくないけど、宮廷なり社会なり集団がそういう雰囲気を共有してた、っていうところがすごいと思うのよ。それとその雰囲気を広めた何かが。それって何だろう?」
「んー、一応イスラームではスルタンは民衆が教導されるべき環境を整える役割を期待されていて、それに背けば廃位もやむなし、ってことになってるわけだけど、もしイスラームが兄弟殺しを奨励していたならば、他の国にもあってよかったろうし、帝国でももっと永く続いてもよかったよね。帝国の、この時期にしかなかったもので、集団を訓育できるものといったら例のエンデルン・メクテビ Enderun Mektebi (宮廷学校)じゃない?」
「あ、そうか。」
「単なる思い付きだけどね。」

「ほぅら言ったとおり、アウストゥリヤ Avusturya (オーストリア)がバヴィエラ Bavyera (バイエルン)を併合した(1568年10月3日)。」
「ん? 何か言ってたっけ?」
「ボヘミヤが併合されたとき、その懸念を表明してたのであった。」
「ああ、フランサとアウストゥリヤがついに接して争い合えばいい、って話か。こんどのバヴィエラ併合でどうなったかな?」
「あ! フランサが分裂してる。フレンチ・カトリック?」
「お姉さん、お姉さん。あんたの在位中のことだよ。1562年3月。」
「ははぁ、フレンチ・カトリックはクレーフェ、ジェノヴァ、ナポリ、シチリヤと結んでるのか。一方のフランサは孤立、と。つまりフランサ対イタリヤという構図か。これは面白い戦いになりそうねぇ。」
「この局面でフランサが帝国に懲りずに宣戦してきたら、そのときは思い切りフランサを叩こうっと。」
「ますます面白いね。まあ、そこまでフランサもアホじゃないだろうけど。これじゃアウストゥリヤと相争うことも当面なさそうだね。むしろ、バヴィエラを併合してチロルの都と旧ボヘミヤ領が陸続してますます強力になったアウストゥリヤが向かう先は…。」
「レヒスタン Lehistan (ポーランド)。」
「だといいんだけどねぇ。うちだろうね。」
「今になって陸軍に投資してみたりして。レベル18になればアウストゥリヤ軍なんて敵じゃないんだけどね、たぶん。」
「1569年の内政改革は自由貿易傾向を高めておくね。カピチュレーション、カピチューレーション。」
「レヒスタンがあの大国リトヴァニヤと合邦…(1569年10月17日)。」
「こうなるって知らなかったの?」
「知ってはいたけど、こうやって改めて見せられるとびっくりするね。帝国本土と同じくらい広いじゃん。」
「だねぇ。今のところ帝国とは国境を接してないけれど、この新レヒスタンがどっちへ向かうのか…。」
「ルスィヤ Rusya (ロシア)で一つ。」
「ルスィヤとはルスィヤの中核州を巡って争うかもね。でもそれは、わが盟邦のクルム Kırım (クリミア)汗国にも言えるのよね。」
「ま、そうなったらクルム汗国に加封してあげられるでしょ。」
「あ、同盟戦争になる前に軍事同盟の期限切れだ(1570年1月2日)。じゃあ、体よくグルナタをはずして、代わりにどこ入れようかな…。」
「クルム汗国、カザン汗国は対露緩衝国として、マジャリスタン Macaristan (ハンガリー)はアウストゥリヤに滅ぼしてもらうために必要なわけでしょ。やっぱり何らかの目的があって同盟に、そうね、入れてあげてるんであって、とくに必要がないなら、無理に同盟枠を埋めずに空けておいた方がいいんじゃない?」
「まあ、マジャリスタンが滅ぼされてくれればすぐに同盟枠は空くんだけどね。というわけで、属国のファス Fas (モロッコ)でも押さえておこうかな。」
「サカステスでアマルガム法による鉱山の再開発、か(1570年4月25日)。」
「アマルガム法については前に説明してもらったけど、アマルガム法って一言で言っちゃうと簡単だけど、要するにあまり金銀が含まれてない大量の鉱石を掘って運んでこなきゃならないんだね。現場は大変だ。」
「そうだね。水銀での事故なんかもあったろうし、すでに掘った鉱山には水が溜まってるだろうからそれも危険だよね。奴隷たちはアマルガム法を開発した人を呪っただろうね。」
「その開発者、これだけの貢献にも関わらず名前が知られていないのはあるいは呪いなのかも。」

「さて、1571年3月にようやくコスタリカ[ゲーム上は Mosquitos ]、パナマ地峡、クピカの植民地建設が完了して、帝国領メクスィカとインカ領が接しました。」
「とうとうペルー遠征の決行だね。」
「そう。というわけで、軍隊に大西洋を渡らせるんだけど、メクスィカじゃあほとんど徴兵できないから、帝国軍の大部分をメクスィカに渡らせようと思うんだけど、どう?」
「いいと思うよ。ペルーなら季節も関係ないし、ぱっとやってぱっと終わらせちゃいなよ。」
「そうだよね。じゃ、そうする。」
「とか言って、大移動を始めたら教皇が“神聖同盟”の結成を唱導してみたり(1571年5月29日)。」
「あ、そうか、レパントの年だ。ま、気にしない気にしない。」
「とりあえず艦隊だけ戻しておけば何とかなるよね、たぶん。」
「じゃ、1572年年初の税収を得たのでインカに通行許可を返還しよっと(1572年1月1日)。」
「遠征を起こしてから1年、ようやく先陣がクピカに着きました。やっぱり遠いね。じゃ、宣戦、と。あれ? 外交官がいない…。」
「せっかく春3月17日、開戦にはいい時期だったのにねぇ。」
「外交官が1年で1人しか得られないんだものね。これからの帝国は厳しくなるよ。」
「あまり待たずに外交官が来た。さっそく宣戦(1572年4月1日)。」
「さあ、始まった。とりあえず軍を2隊に分けて、インカ道とアンデス山脈東麓をそれぞれ南進させて、クスコから南は先に着いた方が往くことにしよう。」
「大雑把な作戦。」
「この細長い国で他に何が出来るっていうのよ。」
「まず第1師団がカリを陥とす、と(1572年5月11日)。第1師団、あまり損害ないからこのままグァヤキルへ向かわせよう。そしてクピカに駐屯するオズデミロウル・オスマン・パシャ率いる第2師団はカリ経由でクエンカ[アズアイ州州都]へ。」
「インカの本隊はだいぶ南の方にいたみたいで助かるね。第1師団はグァヤキルを奪って(1572年6月27日)、カハマルカへ進軍。第2師団もクエンカを奪って(1572年7月8日)、モヨバンバ Moyobamba (ゲーム上 Montaña )へ。」
「うわ、ついに来た。インカ主力軍4万、カハマルカに到着、か(1572年8月13日)。火縄銃にビビってくれないかなぁ…。ダメか。撤退(1572年8月22日)。」
「まあ、東麓ルートがあるからね、あえて無理しなくても。」
「それはそうなんだけど、せっかくの平地で、相手は騎馬がないんだから、ここはぜひとも第3師団によってインカ主力軍を駆逐して、4万も養えないアマゾンへ追い出したいところだよ。というわけで、入れ替わり第3師団が攻撃(1572年9月7日)。」
「おお、勝った勝った。」
「では突撃。よし、カハマルカ陥落(1572年10月8日)。この間に東麓方面軍はモヨバンバ(1572年8月28日)、アタラヤを陥落(1572年11月8日)させて、ララ・ムスタファ・パシャ率いる第4師団と交代。」
「インカ道方面軍第3師団は4度の波状攻撃を退けて、何とかウアヌコを攻略(1572年12月5日)。だけどもう前進させられないな。ソコルル・メフメト・パシャ率いる第5師団と交代させよう。」
「将軍が3人もいるの?」
「へへ、いいでしょ? みんなムラト3世の時代に起こる対ペルシア戦争で活躍した将軍たちなんだけどね。」
「第4師団は難なくマヌを攻略(1573年1月8日)したけど…、チチカカへ向かわせよう。」
「さすがにクスコには守備隊がいるね。」
「あれは最後の決戦とっておこう。クスコの要塞も強固だし。ウアヌコから南進した第5師団は無事リマを攻略(1573年2月21日)。再編成を終えた第2師団はアヤクチョに行かせよう。」
「インカ軍主力がクスコに釘付けされてるから、あとは進め進めだ。第5師団はアレキパ(1573年4月8日)、モケガ(1573年5月28日)、アリカ(1573年7月2日)、コピアポ[アタカマ州州都](1573年7月25日)と陥落させて南進中。第4師団はチチカカ(1573年3月18日)、コロイコ Coroico (ゲーム上 Taqari )(1573年4月24日)を陥落させて、と。第2師団はアヤクチョを攻略(1573年4月16日)後、ポトシを奪う(1573年7月7日)。敵はクスコの守備隊だ。」
「こっちも最終的には3将軍の率いる師団しか残らなかったか。」
「だいたい50,000人くらい死なせちゃったかな。でも全体的には全軍を投入したわけじゃなくて、まだメクスィカに予備兵力があるよ。使わなくて済みそうだけどね。」

「ほぅ、本国でもコジャ・スィナン・パシャっていう将軍がイェメンを屈服させてくれた(1573年1月2日)。あれ? でもザイド派って?」
「シーア派の一派で、シーア派では預言者ムハンマド −その上に永遠に平安と祈りとあれかし− とアリー −その上に平安あれかし− の後継者をイマーム、導く者とするわけだけど、その第5代イマームが第4代の年少の息子ザイドだよ、っていうのがザイド派で、年長の息子ムハンマド・バーキルだよ、っていうのがイスマーイール派と十二イマーム派ね。で、第7代イマームが第6代の年長の息子イスマーイールだよ、っていうのがイスマーイール派で、年少の息子ムーサー・カーズィムであり、第12代イマームが“お隠れ”になってマフディー、救世主となって末世に降臨するとするのが、ペルスで主流の十二イマーム派。」
「こんなこと言ったら怒られるかな? 系譜がどうだとかってどうでもよくない?」
「まあシーア派の人たちに言ったら怒るだろうけど、もちろんそんなことでスンナ派と袂を分かってるわけじゃあないのよ。預言者亡き後、預言者が教えてくださらなかったさまざまなことについて、とりわけ後の世に出てきた新奇なことについて、スンナ派では法学者たちが集まって合議(イジュマー)したり、複数の法学者が準備できない場合には過去の判例から類推(キヤース)したりするわけだけど、シーア派の人たちは深遠なる神意を被造物たる人間が勝手に判断していいわけがない、というのね。」
「ごもっとも。でも、それじゃあどうするの、ってことになるわけだけど。」
「そこで、預言者の血を引く正統なイマームが信徒を導く、のが正しいというのが彼らの主張。」
「でも第12代イマームもお隠れになっちゃったんでしょ? どうすんの?」
「十二イマーム派ではマフディーが降臨するまで法学者が、解釈するんじゃなくて全知全能の神さまが定めた法を探してくる、ってことになってる。」
「んー。」
「逆にスンナ派の方では、とりわけ帝国の欽定学派であるハナフィー派の泰斗、ガザーリーがもう聖典や言行録の解釈(イジュティハード)は十分やったからこれ以上やる余地はないんじゃない、と主張したわけね。いわゆる、イジュティハードの門は閉じられた、といわれるものだけど。一方、ハンバル派の碩学、イブン=タイミーヤは聖典や言行録に基づく解釈はまだまだ必要、とガザーリーに反対したんだけど。でも、ハナフィー派そのものはキヤース重視で4大法学派中一番柔軟なんだけど、イブン=タイミーヤの学説は原典重視の方向へ進んで、ワッハーブ派で取り上げられたりするのね。こう並べてみると、十二イマーム派もスンナ派の各法学派もどれが、ええと、そうね、もっとも政治的かっていうのは難しいでしょ? どれもみんな現世の生活に即してるわけだからね。」
「もっと突っ張ったのはないの?」
「例えばハワリージュ派とか。でもほとんど生き残ってない。でね、ザイド派っていうのはその第5代イマームの頃に、スンナ派のやり方や神秘主義を取り入れて、当時の中道を選択したわけ。だからザイド派をイェメンの人々はいまでも奉じているわけだね。」
「そうは言ってもシーア派で、スンナ派とは敵対してるんでしょ?」
「まあ。」
「じゃあ属国にしても併合できないじゃない。」
「チャウラがセリム1世のときに改宗させてたわよ。戦争で打ち負かして。」
「本当?」
「はい。」
「えらい。素晴らしい先見の明!」
「いえ、普通に外交併合させようと思って…。」
「謙虚なところもえらい。これでまたシーア派で属国になってたら、マジャリスタンみたいに面倒になってたと思うんだ。よかった、よかった。」
1573年1月2日、サヌア侯(イェメン)、臣従。
「やった、トラクスカラ州がスンナ派に集団改宗してくれた(1573年8月14日)。」
「そういえばわたしが仕掛けておいた宣教はどのくらい成功した?」
「ええとね、エルデル Erdel (トランシルバニア)、ヌビイェ Nubye (ヌビア)、テメシュヴァル Temeşvar (ティミショアラ、ないしこれを都とするバナト地方)、ボスナ Bosna (ボスニア)、エウリ Eğri (エゲル;ゲーム上は Maros )、クラニスカ Kranjska (クライン)、ヴィヤナ Viyana (ウィーン;ゲーム上 Austria )、それと西アフリカのブーレで終わってる。」
「アウルパはだいたい終わったみたいだね。旧モオル領とかアフリカとか新大陸とか、偶像教徒の土地での宣教はやっといてもらえる? 成功率、30%くらいはあるでしょ。アフメト1世まではそんなに統治能力変わらないと思うし。」
「とりあえずペルー遠征が終わってお金が余ってたらね。」
「さてと、インカ領東端のコロイコまで行っちゃった第4師団にはクスコに攻撃を仕掛けてもらいますかね。」
「クスコ攻撃の始まり(1573年7月12日)だ。敵は4万、頼むよララ・ムスタファ・パシャ…。お、クスコ、山岳だから苦戦するかと思ったけど、そうでもなかったね。あっという間に敵が引いた(1573年7月17日)。援軍、会戦には意味なかったけど、到着次第、要塞攻略にかかってもらおう。」
「クスコ、陥落(1573年8月19日)。あとはソコルル・メフメト・パシャの率いる第5師団のコキンボ占領と、オズデミロウル・オスマン・パシャ率いる第2師団のトゥクマン占領の報を待つのみだ。」
「アレキパに撤退した敵の主力軍が南進してる…。まだインカの手にあるコキンボかトゥクマンを目指してるんだろうねぇ。まあ、助かるけどね。」
「うん、無事コキンボ(1573年9月5日)もトゥクマン(1573年10月7日)も占領。じゃあ、ふふ、インカを併合するよ。」
1573年10月7日、インカ帝国、滅亡
「奇しくもレパントの敗戦記念日が、この世界では勝利の記念日になったね。」
「あんた、そんな縁起でもない日を覚えてるの?」
「さて、ペルー遠征軍を本国へ戻さないと。これでセリム2世の治世は終わるかな。」
「お、ポトシに貨幣経済の浸透(1573年10月20日)。やっぱりペルーでもこのイベントは起こるんだね。」
「クスコ(1573年10月27日)、リマ(1573年10月28日)、カリ(1573年11月27日)と、徴税高の多い州から順に起こっていくのかな。あれ…?」
「カリの後、止まっちゃったよね、これ。」
「『金と銀の価値』のイベントは貴金属を産する州でしか起きないんだから、それだけでしょ。」
「えっ、ペルーってこれしか金山ないの? メクスィカなんかほとんど金山だったのに。」
「まあ。でも、未開発地域のボゴタとバルパライソを合わせればメクスィカと同じ数の金山になるし、採集量ならペルーの方がずっと多いはず。」
「ペルーって全部金山だと思ってたよ…。」
「あたしも。」
「うおっ、ポトシですっごく豊かな銀山が発見されたみたい(1573年11月9日)。」
「すごいねぇ。こんなんだったらもっと早く征服しておけばよかったね。」
「まあね。でもインカはオズデミル・パシャの探検隊のおかげでようやく発見できたんだし、そのあとはモオル遠征でしょ。さらにペルー遠征なんてできた?」
「うん、できなかったね。」
「うひゃ、ポトシの銀山の採掘量、当初の予想を遥かに超えるって(1573年12月20日)。どうしてできるだけ早くペルーを征服しなかったの。」
「いやだってほら、順序的に無理だっていま話してたじゃない。」
「だぁから、その順序を変えて、先にペルー征服すればよかったじゃん。」
「そうなると、あのモオル遠征をセリム2世がやんなくちゃいけなくなるんだけど、できる?」
「できない。」
「ポトシの地表面に露出した銀鉱石は掘り尽くしたって(1574年2月3日)。」
「早い、早すぎる。まだ3ヶ月しか経ってないじゃない。さっきシルバーラッシュとか見出しにあったけど、本国を出てちょうど新大陸に着いた頃に銀鉱脈枯渇、か。」
「やっぱり簡単には儲けさせてくれないね。こういう一攫千金を狙って妄動すると、その銀目当てで新大陸目指した人たちみたいに路頭に迷うことになるんだねぇ。地道にやるのが一番だ。」
「へー。」
「そうでしょ?」
「そうね。」
「それにしても、地表に銀鉱石がごろごろしてるっていうのもすごいね。そりゃあ、すぐに発見できるよね。インカの人たちって銀に興味なかったのかなぁ。そんなことないよねぇ。」
「う〜ん。でもアクセサリーで言うなら、オスマン帝国でもちょっと前までは貴顕の方々は銀みたいな卑しい金属は身に着けなかったらしいね。」
「銀が卑しい! ちょっと言ってみたいかも。でもおしゃれの幅は狭くなるね。」
「プラチナを着けるからいいんじゃない?」
「くっ…。」
「ロドスとの間で修好回復、か(1574年8月14日)。」
「この間の商船襲撃に関する謝罪が盛り込まれてないみたいだけど。この件が賠償されない限り、許せるわけないじゃん。」
「ごもっとも。まあ、ほっとけばまた関係は破綻するけど。」
「とりあえず今回の修好で活躍した者についてはその功績を認めて外交官に取り立ててあげよう。」
「外交官が1人でも増えてよかったねぇ。」
「カーヌーニーには分からんよ、この辛さは。」
「あ、ムラト3世の番だ。」
「ん? あっさりしてるね。」
「今回はペルー征服っていう大功を立てたからね。」
「前回はファーティヒだというのに…、だったものね。」
「あの下地があってイスパニヤ征服が達成できたんだ、って言うのに。」
「本当にその通りで、おかげで助かったわ。」
「ほら。」
「じゃあ今回のペルー征服だってわたしの下地が…、ま、いいか。」
「なにその余裕、ちょっといけ好かないんだけど。」
1574年12月2日、オスマン帝国第12代スルタン、ムラト3世、即位。
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