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用語辞典

Formation of the Khans' Encirclement against Rusya


Later Murad II & the Empire in 1446 [See the Map ]

統治 8:外交 6:軍事 7:勝利 641
貴族 10:中央 6:革新 4:重商 9:野戦 6:陸軍 6:精鋭 4:農奴 4
陸技 3:海技 2:行政 2:経済 2
非道 14.4/39.0:年収 513.88$:騰貴 0.1%:貿易 31:設備 30



「で、ダディー、神秘主義の方はどうだった?」
「んー、すぐ戻ってきたところをみると、あんまりムラト2世には合わなかったのかな。」
「そうよねぇ、そんな非合理的なもの。」
「あらら、神秘主義ってとっても合理的なものなんだけどね。もちろん合理的じゃないところもある、というか、合理や非合理を止揚したもっと上のところにあるんだけど。」
「よく分かんないよ?」
「タウヒードって聞いたことある?」
「ったり前じゃない。神の唯一性のことでしょ。つまり、(アッラー)の他に神は無し、ってことよね。」
「そう、神様は唯一絶対の者。で、わたしたち被造物がいるわけだけど、神様って絶対の者なのに、被造物と並べてここが優れてる、あそこが優れてる、なんて言えると思う? そう言えるなら、神様は相対的な存在よね。言えない者が神様ってことになるよね。」
「う、うん…。」
「じゃあ、神様が創ったものなのに造り主と比べられないわたしたち被造物ってなんなんだろ? 間をすっ飛ばして言うと、結局わたしたち被造物も神様なのよ。」
「はぁ…。」
「わたしたち人間だけじゃなくて、草木も動物も、みんな神様の一部なの。この世界そのものが、他に比べる者のない神様なのよ。だから、神は唯一にして、あまねく存在する。」
「う〜ん…。」
「ちょっとわたしじゃ説明が下手なんだけど、神様は唯一の者、ということを論理的に推し進めていくと、そういう結果になるんだって。でもそうやって論理で神様に近づいていく人もいるけれど、実践で近づいていく人もいる。それが神秘主義。例えば、弓の名手が狙いを定めるときには周囲の一切の時間が喪失する、なんて話を聞いたことがあるんじゃないかと思うけれど、これは忘我の境地に入ってるってことなのよね。弓を通じて世界と、つまり神様と一体化してる。要するに、キーワードは忘我の境地なわけね。神秘主義ではそれは神様を一心に思うことで成し遂げられるわけだけど、メフレヴィー教団みたいにぐるぐる回ったり、激しい音楽に身を委ねたり、っていろいろな方法が開発されていった。性行為や麻薬でも似たような感覚が得られるらしいんだけれど、それは意識的でも持続的でもないから、結局最終的に神様と合一することはないんだって。ま、それって最初から邪教っぽいよね。」
「せ、せい…えぇっ?」
「実はわたしもちょっとかじってみたんだけど、音感がとぼしくってダメだったみたい…。でも、ずっと神様が愛してくれてることを想ってれば、いつかふっと悟ることもあるんだって。論理もダメだから、そっち狙ってるんだけど。ムラト2世さんみたいな政治家さんだとやっぱり、情動方向は向いてなかったんじゃないかなぁ。向いてないから憧れる、ってっぽい気がするよ。」
「それにしても、リズムに乗れないって、オスマン音楽でしょ? チャーチャーチャチャ、チャーチャチャーチャチャみたいな感じのゆったりとした。」
「あ、それはニザーム・ジェディードの軍楽隊の奏でる《祖先も祖父も Ceddin Deden 》でしょ? あれはね、マフムート2世が近代的なアウルパ軍の軍楽を真似てつくらせたものなんだよ。あんまりアウルパっぽくならなかったけど。」
「マジ? オリエント急行に乗ってやってくるアウルパからの旅行者はみんなあれ聞いて喜んでるのに。」
「オスマン軍の軍楽隊って、ファーティヒが創設したって言われてるんだけど、当時はまだガーズィー集団なんかがいて、彼らの神秘主義で使ってた音楽がずいぶん影響したんでしょうね。その後のイェニチェリでもやっぱり神秘主義が盛んだったと言われてるし。まあ、どんな音楽か知らないけれど。」
「神秘主義で使われるのは、いまイスタンブルの街角でジプシーたちが奏でるような、あるいはマジャリスタンのチャルダーシュのような軽快な音楽よ。ほら、モーツァルトの《トルコ行進曲》、あの楽譜には〈トルコ風に alla Turca 〉って注意が書かれているけれど、いまの《祖先も祖父も》はぜんぜん彼の言う〈トルコ風〉じゃあないけれど、ジプシーの音楽はまさにそれでしょ?」
「あんなんで行進できるの?」
「さあ…、それはなんとも。でも、モーツァルトも他のアウストゥリヤ人も〈トルコ風〉って言ったらみんな分かったんだから、やっぱりみんな聞いたことがあったんでしょうね、当時の軽快なオスマン音楽を。」
「モーツァルトの時代にはさすがにオスマン軍もヴィヤナまでは近づけなかったから、楽師がヴィヤナまで出稼ぎに行ってたのかもね。で、それはお客に聞かせるための曲で、行進曲とはまた別だったのかも。だって、あのリズムじゃ戦場に着く頃にはへとへとよ?」
「いや、あのリズムに合わせて、攻撃力3倍!」

「さてと、わたしの治世中にヴィヤナは奪えないのか。じゃ、せいぜい可愛い息子のために国力を温存しといてあげるか。」
「うわ、どうしちゃったの? ありがと〜。」
「ん、さっきさんざん戦争したし。国力より先にこっちが疲弊しちゃうわ。」
「厳しい戦いしてるときって、気づくと歯に余計な力入っちゃわない? ぎりぎりって。」
「するする。」
「もうちょっと気楽にやったら?」

「お、おぉ、ティムール帝国が崩壊!(1447年3月22日)」
「お〜、やったやった。前に比べると1/3…まではいかないか、4割くらいかな。残り3割3割をホラサーンとファールースで分け合ったって感じか。で、安くなった? 贈物。」
「ダメ。まだ個人的な贈物でも8,200フローリンもかかる。でもティムール帝国通らないとヒンディスタン Hindistan (インド)にも中国にも行けないからなぁ…。そろそろ、贈物おくっちゃう?」
「まだまだ崩壊していくから大丈夫よ。それよりホラサーンとファールースから通行許可もらっておけば? 彼らはまだうちの非道さを知らないから。」
「そうだね、そうしておこう。」

「あっ…! ヴェネディクがヴィヤナの占領に成功、アウストゥリヤを完全併合! (1448年6月13日)」
「うわ〜ん、横取りされた! あともう少しだったのに。」
「あら、よかったじゃない。」
「なんでよ。」
「だって、奪ったのヴェネディクでしょ? ヴィヤナがうちの中核州になるスレイマン1世の時代まで、預かっててもらいましょうよ。」
「そんな都合よくいく〜?」
「うまくいかないようなら、ヴェネディクに宣戦して奪ってしまえばいいわ。元々独立国を滅ぼすのに悪逆非道点3点かかるはずだったものが、宣戦で1点とヴィヤナで2点なんだから同じだし、そのときにはアルナヴトゥルクとかが無料で奪えるわよ。」
「うん、まあそうか。」

「さてと、(1449年)1月になったら何の改革に着手しよっかな〜。ようやく前回で貴族政も最高になったしね。」
「これから国もどんどん拡がっていくんだから、ここはやっぱり農奴制じゃない? 革新性を下げていくんでもいいけれど、どうせどっちもやらなきゃダメだから、技術革新に影響する革新性は後に回すことにして。」
「うん…そうだね。でも、大航海時代を前にとうてい海洋国家になれそうもないね。貴族優位で農奴制強化、っていうんじゃ、レヒスタンやルスィヤ Rusya (ロシア)みたいだね。ま、再版農奴制っていう点ではアーヤーン割拠下のオスマン帝国も同じだったけど…ぉって、なによこれは!」


ダニマルカ軍のアナプリ城包囲

1448年12月27日、ダニマルカ軍、モラ州に上陸。

「1449年3月6日で講和成立だったのにーっ。」

さらに、1449年1月15日にはノルウェチ軍がトラブゾンに上陸。

「ヴァイキングどもめ…、地中海から生きて帰れると思うなっ!」
「まあ、あと3年は待てないだろうから、この派遣軍を小突き回して戦勝点稼ぐしかないわね。まさか北海まで遠征はできないでしょ?」
「うん、できない。」
「こういうときには、大軍や将軍付で攻めると相手を全滅させてしまうから、同じような兵力で優しく攻めてあげないと。」
「うっは、面倒くさ。」
「海戦なら、うちの海軍は弱いから、相手を取り逃していい感じで戦勝点稼げるかもね。」
「じゃ、まあ両方でかかるか。」


ノルウェチの海図を奪う

「お、すごい。ノルウェチの海図を奪ったって(1449年7月2日)。…とはいえ、ノルウェチもまだあまり世界のことは知らないか。」
「うーん、どうかしら。これで知れるのは、うちがいま知っている領域に隣接する未知領域だけだから。例えば、うちがギリト Girit (クレタ)まで知っててそれより南の海域を知らないとき、地図を奪われた相手がムスルまで知ってたとしても、地図を奪ってうちが知るのはギリトのすぐ南の海域だけで、ムスルまで知ることはないのよ。」
「そんなっ。『われわれは彼らのすべての探査情報の利用できます』って書いてあるのに。」
「戦果は誇大に述べられるものよ。」


ダニマルカとの講和

「ふぅ、やっと講和してくれるか、ダニマルカ(1450年2月16日)。」
「ま、もうしばらくはダニマルカと干戈を交えることもないでしょ。」
「んなんわかんないじゃない。今回だってなんで宣戦されたんだか。」
「うーん、十字軍?」
「まあ、今回は本当に意味不明だったけど、うちが北海まで攻め入れないように、本当は彼らにもエーゲ海まで攻め込めるわけではないのよ。それを敢えてして、失敗し、あげくに賠償金を支払った。ダニマルカは盟主としての権威を失墜させたし、評判も落とした。多分、それまで静観してたアウルパ北方諸国が次に狙うのはダニマルカだわ。」
「それこそ自業自得よ。」


カザンとの同盟

「さて、ダニマルカとの不毛な戦いも終わって、内政改革のために減った安定度も回復したし、満を持してカザンとの同盟交渉にかかろう。」
「うわ、まだモスクワとの戦いが終わってないんだね、カザン。」
「いやいや、生き残ってるだけで大金星。」
「さ〜、どうだっ! やたっ、成功! カザンが同盟に入ってくれたわ〜(1450年4月1日)。これで、オスマン汗、金帳汗 Altın Orda 、カザン汗と三汗連合によるルスィヤ包囲網が完成したわけだ。」
「オスマン汗?」
「カーヌーニーは間違いなく“ハーンの中のハーン”って自称してたわよ。いつから言われなくなったのかは分からないけれど。ま、スルタン、パーディシャー Padişah (ペルシャ皇帝)、インパラトール İmparator (ローマ皇帝)なんかと並べて、一緒に使ってたんだけど。」
「でもこれで、ルスィヤやリトヴァニヤ Litvanya (リトアニア)に正面から立ちはだからなければならなくなったわけだけど、その覚悟はできてる?」
「ん? わたしはもうすぐお役御免だから…。メルテムだったら大丈夫よね? ファーティヒだものね?」
「調子いい。ま、大丈夫だけど。遊牧国家は技術の進歩が遅いってことらしいけど、包囲する分には陸軍の技術力が1だろうが20だろうが同じでしょ?」
「まあ、突撃もせず大砲も使わなければ。大砲は貸してあげられるけどね。」
「あ、そうなんだ。じゃ、なおさら。わたしたちが前線で徹底的に敵を叩いて、彼らに包囲戦を担当してもらえれば、ルスィヤだって征服できるっ、はず。ステップのお馬さんたちにバルトゥク海 Baltık Denizi を眺めさせてあげるわ!」
「待って!」
「なに?」
「その心意気は立派だけど、できないかもしれないから公式な発言にはしないで…、お願いよ。」
「臆病者。」
「お調子者。」
「ま、そういう心意気で、ってことでとりあえずいいかな?」
「うん、まあ、ほかにやることいっぱいあるしね。」


マムルーク朝によるラマザンオウル侯国の併合
マムルーク朝によるズルカディル侯国の併合

「あのさ、いつの間にかマムルーク朝と隣接してるんですけど…。」
「うわ、本当だ。」
「さっき、ズルカディル侯国が併合されて(1448年12月14日)、いまラマザンオウル侯国が併合された(1450年5月6日)。」
「マムルーク朝、全盛期ね。これで、いままでズルカディル、ラマザンオウルと組んでた同盟から解放されて、新しく別の同盟を組むんでしょうけど。」
「マムルーク朝って、あとでまるまるうちのものになるんだよね? いまは戦いたくないなぁ。」
「そうねぇ。冷酷者(ヤウズ)セリム1世のときにマムルーク朝を屈服させることで起こる『マムルーク朝の征服』ってイベントは、マムルーク朝の領土をそっくり継承できるんだけど、そのときに中核州もそれ以外の州も1州につき悪逆非道点が1/4点だけ加算されちゃうのね。だから、マムルーク朝にはシャム Şam (シリア)の領土は失ってもらって、アラビスタン Arabistan (アラビア)とかハベシ Habeş (エチオピア)とかマグリプ Magrib (マグレブ/バーバリー)とか方面には伸張してもらいんたいんだけど、ね。」
「つまり、そういう方向へ持っていく、っていうわけね。」
「ふふふ。」
「ひひひ。」
「こほん、さて、そういうことなんだけど、まあ、ちょっと難しいかもねぇ。とにかく、うちが攻め込まれないように友好度をそこそこ保って、あと今後はマムルーク朝国内でたびたび混乱が起こるはずだから、崩壊しないように助力する、ということくらいかしらね、できるのは。」
「崩壊しないように助力するっていうのはどうやるの?」
「叛乱軍はどこの国の正規軍でも倒すことができるのよ。通行許可はもらってるんだから、叛乱軍によって陥落した街を1こ1こ占領していけばいいの。」
「そこまでしますか。」
「した方がいいんじゃないかな、と思うけど。」
「そこまでして強力になったマムルーク朝に襲い掛かられたら、目も当てられないね。」
「そうなったときは叩きのめして、無償和平で許してあげればいいんじゃない?」
「う〜ん。」
「忍ぶ恋ね。」


メフメト2世の復位

「あ…、死んじゃった。」
「おつかれさま。」
「ほんとうに、何しに戻ってきたんだか分かんなかったね。」
「ま、でもほら、宿願のアウストゥリヤの滅亡も叶ったことだし。記録されるべきことがあって良かったよねぇ。」
「あんたもフォローする気、全然ないでしょ?」


1451年2月3日、オスマン帝国第7代スルタン、メフメト2世、復位。


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Last-modified: 2007-12-09 (日) 00:04:00 (3639d)