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前回の更新からずいぶん時間が経ってしましましたが、MES・AAR第三弾、ドイツAARであります。
遅くなった理由としては、このドイツ、プレイするのが見た目ほど簡単ではなかったことがあげられます。どういう風にプレイするのが最善かを模索しているうちに、これだけの時間が経ってしまいました。
当初は、かの有名なフリードリヒ1世の時代までを扱う予定だったのですが、それではドイツに用意されているイベントの持ち味を活かしたプレイレポートが書けないと思ったので、フリードリヒ2世までの100年間を扱うことにしました。

シナリオはグランドキャンペーン(1150開始)。難易度は「最高」、AIの攻撃性は「臆病」です。

なお、このAARにおいての神聖ローマ帝国の版図は、ゲーム内の宗教画面で定義されている版図ではなく、ドイツ王国とその属国の支配領域ということにします。また、ドイツがある国を属国化した場合は、その国は神聖ローマ帝国に編入された、と表現することにします。

それでは、始まり始まり〜

目次

序章 

はじめに

みなさまもご存知のとおり、西暦962年にオットー大帝が皇帝に即位したことにより神聖ローマ帝国の歴史は始まった。それから1250年までの約290年間を三王朝時代と呼ぶ。三王朝とは、ザクセン朝、ザリエリ朝、シュタウフェン朝のことである。
今回プレイするシナリオ(グランドキャンペーン、1150年開始)は、シュタウフェン朝初代皇帝コンラート3世が没し、世にも有名なフリードリヒ1世、通称バルバロッサが即位するところから始まる。
この三王朝時代の最後を締めくくったシュタウフェン朝の時代は、ドイツの歴史のくっきりとした分水嶺になった。すなわちこの時代とこの時代の後にやってきた大空位時代によって、地方分権的な、「君主制の持つすべての属性の欠如した」ドイツの君主制が、成立したのである。
史実においては「王座の最初の近代人」と謳われたフリードリヒ2世がラストエンペラーとなり、シュタウフェン朝は事実上断絶してしまったが、ゲームにおいては1208年までにヴェルフェン家を打倒することでシュタウフェン朝を継続させることもできるようになっている(コンラーディン以降は仮想君主。あまり優秀とはいえないが・・)。
このAARでは、シュタウフェン朝を継続させ、大空位時代を避けるとともに、中央集権的なドイツ王国、神聖ローマ帝国の樹立を目指してプレイをしていきたいと思う。

以下はシナリオ開始時、1150年のドイツ王国とその周辺図。

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ドイツ王国はコンラート3世のもと、ひとつに統一されており、非常に強力な印象を受ける。これに比べると隣のフランスなどは諸勢力が割拠しており、西欧にはドイツに対抗できる勢力はないかのように見える。しかしながら、極度に地方分権化していったこの時代のドイツの歴史の流れを再現するために、ドイツ王国には多数の地方分権化イベントが用意されており、地方分権化は、ドイツ王国より諸侯や司教が属国として独立するという形で表現されているため、ゲームを進めるとともに、ドイツ王国内の各諸侯が次々と独立を果たし、ドイツの統一は徐々に失われていってしまうようにできている。すなわち、この統一はかりそめのものに過ぎないのだ!

この地方分権化イベントには、ヒストリカルイベントとランダムイベントの2種類が存在する。本編に入る前に、序盤に起こる地方分権化イベントをざっと紹介していきたいと思う。

地方分権化イベント紹介(ヒストリカル)

全て下記の年に到達することで発生。基本的に独立を許可するか拒否するかの二択である。独立を許可した場合は、該当地域がドイツ王国の属国として独立するとともに、その国の所有する州は非中核州化する。 拒否した場合は、独立しようとしていた地域の反乱リスクが増加するのだが、ザクセン独立イベント以外は無期限に反乱リスクが増加し、永久に解除されないので、ザクセン以外は独立拒否しないほうがよいと思われる。

年月日イベント内容備考
1152年ザクセンの独立
1156年ラインプファルツの独立
1156年バイエルン・オーストリアの独立ザクセン独立を拒否している場合はオーストリアのみが独立する。
1157年ブランデンブルクの独立

ちなみに、上記イベント全てに対して独立を許可するとこうなる。

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一応独立した国々はドイツ王国の属国ではあるのだが、シナリオ開始時と比べると隔絶の感がある。ちなみに、「独立を許可」がヒストリカルな選択なので、これを見るとシュタウフェン家の王たちの苦労が忍ばれる。

地方分権化イベント紹介(ランダム)

ランダムイベントでは主に司教領の独立が扱われている。これは中央集権スライダー、革新主義のスライダーが一定の数値でないときにランダムで発生し、ゲーム開始時ドイツ王国は地方分権・保守主義にスライダーが振り切れているので、序盤、かなりの高確率で発生することになる。上記各諸侯の独立イベント同様、独立を許可すると、該当地域がドイツ王国の属国として独立し、拒否すると、無期限で反乱リスクが上昇 することになる。イベントが起こってしまったときには運が悪かったとあきらめて、おとなしく独立させてやるのが吉である。
また、ヴェネチアやジェノバといった都市勢に対しても似たようなイベントが用意されており、イタリア王国からジェノバが独立するのはよく見かける光景である。これもあわせて紹介していこうと思う。

独立国発生条件
マグデブルク大司教領(1)中央集権スライダーが8未満、または革新主義が6未満の時に発生
マグデブルク大司教領(2)中央集権スライダーが7未満、または革新主義が5未満の時に発生
ケルン大司教領(1)中央集権スライダーが9未満、または革新主義が8未満の時に発生
ケルン大司教領(2)中央集権スライダーが8未満、または革新主義が7未満の時に発生
ケルン大司教領(3)中央集権スライダーが6未満、または革新主義が5未満の時に発生
マインツ大司教領(1)中央集権スライダーが9未満、または革新主義が8未満の時に発生
マインツ大司教領(2)中央集権スライダーが6未満、または革新主義が5未満の時に発生
トリアー大司教領中央集権スライダーが9未満、または革新主義が8未満の時に発生
ザルツブルク大司教領中央集権スライダーが9未満、または革新主義が8未満の時に発生
ミュンスター司教領中央集権スライダーが9未満、または革新主義が8未満の時に発生
ヴェネチア(1)中央集権スライダーが9未満の時に発生
ヴェネチア(2)中央集権スライダーが8未満の時に発生
ヴェネチア(3)中央集権スライダーが7未満の時に発生
ジェノバ(1)中央集権スライダーが7未満の時に発生
ジェノバ(2)中央集権スライダーが5未満の時に発生

このように各司教の独立に関しては、中央集権スライダーを9以上にすることでこれらのイベントを回避できるようである。なので、ドイツでやる場合はとりあえずこの数値を目指すとよい。 何回かやってみた感触では、中央集権スライダーが7を越えたあたりからはほとんど独立イベントは発生しなくなったので、それほど神経質になることはないかも。ただ、地方分権に振り切れている状態では上記イベントのすべてのトリガーを満たしていることになるので、序盤ふたつみっつの司教に独立されるのは覚悟したほうがいいかもしれない。

ちなみに、グランドキャンペーンでは、「Independent German Archbishops」というオプションがあり、これをオンにすると、ケルン、マインツ、ファルツ、ザルツブルク、マグデブルク、ブレーメンといった大司教領が独立した状態でゲームがスタートする。ここからスタートしてドイツの再統一を図るのはかな〜り厳しいので、一度お試しあれ。

第一章 フリードリヒ1世・バルバロッサの時代(1150〜1191)

この時代の注意点

このバルバロッサの時代、難易度最高でやる場合に致命的なイベントがひとつある。
「第五回イタリア遠征」である。バルバロッサがイタリア政策に力を注ぎ、幾度にもわたってイタリア遠征を行ったというのは有名な話である。そしてそれが結局失敗に終わったことも周知の事実だ。そう、この「第五回イタリア遠征」のレニャーノの戦いにおける大敗こそが、バルバロッサをしてイタリアから撤退せしめ、さらにはヴェネチアおよびコンスタンツの和約において教皇やロンバルディア都市同盟に対して妥協を余儀なくさせた元凶なのである。

ゲームにおける「第五回イタリア遠征」イベントの効果はかなりエグイ。選択肢は二つあり、ひとつめの選択肢を選ぶと、ロンバルディア都市同盟すべてと交戦状態にはいるとともに、BBRが10あがるのである!前者はまあいいとして、難易度最高でやるのに後者の効果はまさに致命的である。また、ふたつめの選択肢を選ぶと、中央集権化が3下がるとともに、今まで征服していたイタリア地方の土地を全て返還せねばならなくなる(文字通り返還だったり、独立させたり)。

<ロンバルディア都市同盟の図>

ロンバルディア.JPG

どちらの選択肢を選ぼうが、その後の展開が厳しくなることは明白で、これはもうイベントを回避するしか道はない。しかしながらこのイベント、回避するのは容易ではない。普通にプレイしていたらまず間違いなく発生する。このイベントのトリガーは「ロンバルディア都市同盟」イベントの発生なのだが、「ロンバルディア都市同盟」イベントのトリガーは「第四回イタリア遠征」イベントである。
つまり、「第五回イタリア遠征」を回避したかったら、「第四回イタリア遠征」を回避すればよいということになるが、それでは「第四回イタリア遠征」はどうしたら回避できるのかというと、これは「1166年9月時点でローマ教皇領が存在しないこと」なのである。

そういうわけで、今回のプレイでは、1166年9月までに教皇を打倒し、イタリア遠征がらみのイベントを回避することでその後のゲーム展開を有利にすることをまず念頭においてプレイしていくことにする。

第一節 コンラート3世の治世(1150〜1152)

さて、ずいぶん前置きが長くなってしまったがようやく本編の始まりである。

シナリオ開始時の国王はコンラート3世。また、ドイツはアルル王国、イタリア王国と同盟を結んでいる。まずやるべきことは、初期に保有している外交官を用いてポーランドと婚姻を結ぶことだ。ドイツ王国の初期保有兵力はわずか3000に過ぎず、なにも手を打たないでおくと、ポーランドから宣戦布告されるケースが非常に多い。なのでポーランドと婚姻を結び背後の安全を確保するとよいだろう。

その後はセオリー通り収入を国庫にいれ、収税官を配置することだ。このとき、後に独立する領地には収税官を配置しないこと。また、司教領として独立する可能性がある地域も後回しにしたほうがいいだろう。収税官を立て始めたとたんに独立されたらシャレにならない。ザクセンには金山があるので、ここにまず初めに収税官を配置し、あとは自国文化である、upper〜middle german文化を持つ州から優先して建てていこう。南ドイツに収税官を建て終わるころにはフリードリヒが登極する。

ちなみに、国内政策は以後一貫して中央集権化を進めていくこととする。

第二節 フリードリヒ1世の登極とローマ教皇との戦い(1152〜1158)

1152年2月、フリードリヒ1世・バルバロッサが即位。君主としての能力値は最高クラスである。指揮官 としてはイマイチだが、ランクがキングなので、使い道は色々あるに違いない。

バルバロッサ.JPG



さて、バルバロッサの即位とともにザクセン独立イベントが発生する。 この当時ドイツはシュタウフェン家とヴェルフェン家の血みどろの戦いの渦中にあり、史実的にはバルバロッサは、皇帝に即位するために対立候補たるヴェルフェン家のハインリヒ獅子公にザクセン・バイエルンを与えることを余儀なくされた。
が、そんなことは知ったこっちゃない。ザクセン独立、及びザクセンの非中核州化は痛すぎる。独立を拒否すると、ザクセン地域の反乱リスクが20年間+4されるほか、バルバロッサの外交・内政能力が著しく落ちてしまうが(こちらは33年間)、致し方ない。ヴェルフェン家の者には政治の表舞台から消えてもらうことにしよう。

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バルバロッサの登極とともに、対教皇戦のための準備に移る。

一時収税官の配置をストップし、兵を募る。と同時にイタリア王国より軍隊の通行許可を獲得する。バルバロッサは、1152年10月、教皇領に理由なし宣戦し、自ら1万5千の兵を率いアルプスを南下、マルケにて教皇軍を粉砕し、教皇領全州を包囲下におく。開戦から二年後の1154年10月には全州の占領に成功し、教皇はマルケを割譲するとともにドイツ王国の属国となった。マルケ割譲が後々の教皇領併合のための布石であることは言うまでもない(外交併合するには対象国と地続きの領土を持つ必要があるため)。
これによってドイツ王国のBBRは6にまで上がったが、後にオーストリアやらラインプファルツ、ブランデンブルクの独立を許可する予定なので、このくらいは許容範囲である。

この頃には王国全土に収税官が配置されており、技術に投資できるようになる。技術開発はインフラ・貿易を優先して進めていくこととする。

1156年〜1157年にかけてラインプファルツ、オーストリア、ブランデンブルクらが相次いで独立。先に述べたように、独立を拒否すると無期限で反乱リスクが上昇するため、これは承諾せざるを得ない。
また、この間、1156年4月にはアルル王国がイベントによってドイツの属国となっている。

こうして、1158年1月時点の勢力図は以下のようになった。

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諸侯独立の影響もあり、このとき、BBRは0.4にまで下がっている。と、なれば外征である。バルバロッサの目は、後にアドリア海の女王と呼ばれることになる、あの都市に向いていた・・・。

第三節 イタリア戦争(1158〜1160)

1158年2月、イベントによってボヘミアを属国化したので、すぐさま同盟に引き入れる。そして翌3月、COTを有するヴェネチアの富に目をつけたバルバロッサは、ローンによって 大義名分を獲得し、ヴェネチアに宣戦布告。目的はヴェネチアを自国に併合することだが、BBRがあがるのは嫌なので属国に併合させることにする。

ドイツ王国の属国はいくつかあるが、ヴァネチア宣戦の直前にイベントによって属国化したボヘミアには、この時期ウラディスラウ2世というヒストリカルリーダーがおり、ボヘミアが包囲の優先権を獲得しやすい。なので、併合したい都市などは、いったん ボヘミアに併合させてから、ボヘミアを外交併合することで平和裏に手に入れることにする。

1159年にはイベントによってイタリアが属国化するとともにミラノが独立、 ドイツ王国とも交戦状態にはいる。こうしてドイツとその同盟国はミラノ・ヴェネチアという二大都市を相手に戦争を行うこととなった。このふたつの戦争中、ボヘミアは大活躍で、こちらの目論見どおりミラノ・ヴェネチアの二都市を武力併合してくれた。 こうして戦争終結時、1160年10月のイタリア情勢は以下のようになった。

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第四節 神聖ローマ帝国の完成(1160〜1175)

1164年9月には教皇領を外交併合、これによって1166年の第四回イタリア遠征イベントをめでたく回避することに成功した。また、続いて1168年にはボヘミアを外交併合。 これによって、1168年のドイツ王国および神聖ローマ帝国の版図は以下のようになった。

アルル王国、イタリア王国、オーストリア、ブランデンブルク、ラインプファルツはドイツ王国の属国である。また、イタリア戦争後ジェノヴァがイベントによってイタリアより独立している。

1168 ger.JPG

ボヘミアはエルツに金山が、そしてヴェネチアにはCOTがあるため経済的には豊かなほうで、最低年数である10年では外交併合は難しいかとも思われたが、無事併合することができた。これによりBBRは8.1になり、BBRが落ちつくまで、しばらくは内政に専念することに。この期間の間に旧ザクセン州の反乱は完全に鎮定され、王国は富み、年初の収入は200Dを越えるようになった。また、首都州には美術館が建設された。こうしてドイツは、収入面においてモンゴルを押さえ世界一位となり、世界最強の王国、ヨーロッパの覇者として君臨していくことになる。

今や教皇は滅び、長きにわたる叙任権闘争にピリオドが打たれた。また、イタリア遠征イベントの回避によって、イタリア王国の解体・ロンバルディア同盟の結成も起きず、イタリアは完全にバルバロッサの支配下にある。

ここに神聖ローマ帝国は完成した。

第五節 十字軍(1175〜1181)

神聖ローマ帝国は完成した。しかし、その後もバルバロッサは精力的に活動していく。1175年1月にはイタリア王国にジェノヴァを併合させることに成功し、これでシチリア・サルディニアをのぞくイタリア全土が神聖ローマ帝国に編入された。バルバロッサの威令は鳴り響き、国は富み、人々は帝国内で自由、そして平和を謳歌した。

国内を固めたバルバロッサの胸にひとつの思いが去来する。

十字軍への思いである。第一回十字軍が打ち立てた 十字軍国家のほとんどは、サラーフ・アッディーン率いる アイユーブ朝に滅ぼされた。アイユーブ朝を打倒し、聖地イェルサレムを帝国の統治下におく、それがバルバロッサの抱いた夢であった。

<1175年当時の中東>

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神聖ローマ帝国より聖地へと向かうには陸路と海路のふたつがあるが、 いずれをとるにしてもビザンツ帝国の協力が不可欠なことは明らかであった。 前者は言うに及ばす、後者の方法をとるにしても、当時の航海技術の水準では、 ヴェネチアよりイェルサレムまではかなりの時間がかかり、途中、寄港地が 必要であったからだ。ビザンツ帝国は、クレタやロードス、そしてキプロスなど、地中海に数々の 拠点を有しており、逆に言えば、この国の協力が得られれば、バルバロッサの十字軍計画 も俄かに現実味を帯びてくるのである。

バルバロッサはビザンツ帝国に接近していく。そして、1175年12月には通行許可を、 翌年2月には、なんとビザンツ帝国を同盟に引き入れることにまで成功する。こうして1176年11月にはアイユーブ朝に対して宣戦布告が行われ、神聖ローマ帝国、そしてビザンツ帝国より兵士たちが次々と聖地へ向けて旅立っていったのであった。

バルバロッサは第一軍、騎兵2万6千を率い、1年の航海を経て、1178年1月に聖地に到着。そこで早速アイユーブ朝の軍と激突した。アイユーブ朝の軍は精強であった。 士気は敵方が圧倒的に優勢であり、全軍騎兵編成のおかげでなんとか互角に戦えるものの、バルバロッサのほうはまるで兵員の補充が効かないような状況。加えて、勝利はしたものの、初戦でなんと8千近くにまで兵を減らされてしまったのである。

はやくも暗雲が立ち込めてくる。バルバロッサは急ぎ本土より追加の騎兵隊を送るよう通達するとともに、自身は8千の騎兵でもってイェルサレムを攻囲した。唯一の救いとして、アイユーブ朝の防衛体制が整っていなかったことがあり、敵方は首都カイロにて徴兵を繰り返すのみで、こちらに兵を繰り出してこなかった。このすきをついて、1179年7月までにバルバロッサはイェルサレム、ついでサマリアを陥落せしめる。両都市陥落とほぼ同時に本国よりの増援部隊が到着し、これでバルバロッサの手元には約3万の騎兵が集まった。ようやくこちらから攻撃をしかけるだけの兵力が整ったといえよう。

しかし事はそう簡単には進まなかった。やはり十分な補給を受けられるアイユーブ朝の利は圧倒的で、バルバロッサの手元に増援部隊が届いたころには、敵首都には4万5千もの大軍が終結していたのである。バルバロッサの動きも慎重になる。バルバロッサは自らは1万の騎兵でシナイを、別の将に5千の騎兵を預けてヨルダンを包囲させ、敵が動くのを待つ。1180年6月、カイロの敵主力がナイルの反乱軍鎮圧のために南下の動きを示した。こうしてカイロに残された軍勢は1万5千となり、バルバロッサは自身、1万5千の騎兵を率い、決戦を挑む。兵力は互角。しかし、予想外に敵兵の騎兵率が高く、敗退し、バルバロッサは手勢のほとんどを失ってしまう。敵方の被害も甚大であったことが唯一の救いか。

このカイロにおける決戦に敗れたことで、バルバロッサの十字軍は崩壊寸前になる。 ヨルダン陥落後、アラビアを包囲していた別働隊もアイユーブ朝の同盟軍に敗北を 喫しており、バルバロッサの手元には4千ほどの騎兵が残るのみであった。ここぞとばかりにアイユーブ朝は攻勢に出る。同年7月には3万の兵でもってイェルサレムを包囲。しかし、ここでバルバロッサの元に騎兵2万の増援軍が到着。この騎兵を率い、一気に勝負をかけるバルバロッサ。1180年9月26日、両軍はイェルサレムで激突し、この戦いにバルバロッサは大勝、敵軍をすべて殲滅せしめた。

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この勝利は十字軍の成功を意味した。その後バルバロッサはアイユーブ朝の残存兵を一掃し、敵首都カイロ、そしてアレクサンドリアなどを包囲・陥落させ、1181年9月にはアイユーブ朝を降伏に追い込む。こうして、アイユーブ朝はイェルサレム・サマリア両州を神聖ローマ帝国に割譲することに同意した。聖地が再びキリスト教徒のもとに戻ってきたのだ!!

バルバロッサは、聖地にイェルサレム王国を建国するかしばし考えた。しかしながら、アイユーブ朝の脅威は未だ健在で、今独立させたとて、再び滅ぼされる可能性が高いという結論にいたる。聖地は皇帝直轄領として、今後統治されることになった。

第六節 シチリアの帝国編入とバルバロッサの死(1181〜1191)

十字軍の後、バルバロッサはイタリアを外交併合し、皇帝直轄地とした。これにより、BBRは18.3にまで上昇し、外征行うには困難な状況に。しばらくは大人しくすることになった。この間、潤沢な資金を用いて聖地のキリスト教化が行われた。異教徒の手より取り戻したといっても、未だ聖地はイスラーム教を信仰しており、ここをカトリックに改宗してこそ、真の意味での聖地奪還はなるのだ!

1189年9月、「War of succession in scily」イベントにより、シチリア王国に対する大義名分を獲得、即刻宣戦布告し、シチリアと交戦状態に入る。バルバロッサは十字軍以来ずっと聖地におり、この戦争では聖地より海路マルタ島へ向かい、そこの攻略にあた ることになった。ドイツ本土からも続々と騎兵部隊がシチリアへとなだれこみ、あっという間に全州を包囲下に置く。

この戦争の途上バルバロッサがついに崩御し、長男ハインリヒがドイツ王、そして神聖ローマ皇帝に即位。世に言うハインリヒ6世である。この戦争はハインリヒに引き継がれ、ハインリヒは1191年8月にはシチリア王国全土を占領し、これを属国化することに成功。こうして、1191年、ハインリヒ即位当時の神聖ローマ帝国の版図は以下のようになった。

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ヨーロッパは神聖ローマ帝国とビザンツ帝国という二帝国によって支配されるところとなった。前者は、バルバロッサの40年近い治世の間にイタリア・ボヘミア・アルル・イェルサレムを獲得し、その版図を著しく拡大した。後者は北上を続け、ハンガリーの大半を奪い取った。残りの地域に目を向けると、イベリアはレコンキスタの真っ最中。南部には未だイスラーム勢力が猛威を奮っている。フランス・イギリスはというと、今回は珍しくアキテーヌとイングランドの合併が起こらず、アンジュー帝国が成立しなかったこともあり、群雄割拠の時代を迎えている。

バルバロッサの後を継いだハインリヒ6世、シュヴァーベン公フィリップ、そしてフリードリヒ2世の時代にはフランスへの勢力伸張、すなわちシャルルマーニュ帝国の復興という途方もない政策が展開されていく・・。

第二章 ハインリヒ6世、フィリップ両帝の時代(1191〜1212)

この時代の注意点

この時代の注意点はふたつ。

一つ目は、「ハインリヒ6世の死」イベントに関して。これは文字通り、ハインリヒ6世の没する1197年9月に起こるもので、これが発生すると、ホルシュタイン、ヴェルフェン(ハノーファー)、ザルツブルク、ケルン、ルクセンブルクといった勢力を独立させなくてはならなくなる。

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上記5カ国に独立を与えるのはかなりつらい。EU2ver1.08では、外交併合するたびに中央集権が−1されるので、あまり外交併合は使いたくないし(特にドイツの場合は司教独立のランダムイベントがあるので、中央集権が下がるのは本当に痛い)、かといって武力併合は難易度最高でやる場合にはもってのほかだ。これはドイツでやる以上回避しようがないが、このイベントの効果を軽減させ、かつ今後のプレイに活かしていく方法をひとつ考案した。

それは、「ハインリヒ6世の死」イベント発生直前に、ザクセンを独立させるというものである。ザクセンの支配領域はクレーフェ、オルデンブルク、ブレーメン、ホルシュタイン、ハノーファー、メクレンブルク、アンハルトと7州に及び、このうちの2州はイベントによって独立する地域に含まれている。つまり、ザクセンを独立させることで、ヴェルフェン、ホルシュタインの独立を回避することができるのである。また、ザクセンの所有する州はすべてドイツ王国の中核州なので、

属国作成(BBR−7)→宣戦(BBR+1)→ザクセンの首都以外を割譲させて単独講和(中核州なのでBBR+0)→ザクセンの首都はその後ドイツの属国に併合させる→属国を併合するときについでにザクセンの首都の回収(BBR+1)

という風にすると、なんとBBRを都合5も減らすことができてしまうのだ!!このエンジンは非常に有用で、このプレイも終盤にはいり、BBRが高くなり身動きとれなくなった時にはこの方法を用いてBBRを下げていった。ちなみに、本来イベントで独立するはずのヴェルフェン家が1208年まで存続していると、帝位はシュタウフェン家ではなくヴェルフェン家のオットー(ハインリヒ獅子公の子)に与えられることになる。その結果、プレイヤー国はドイツ王国→シュヴァーベンとなり、ヴェルフェンがドイツ王国となる。

で、注意点の二つ目は、第四回十字軍がらみのことである。皆様もご存知のとおり、第四回十字軍は、フランスの諸侯とヴェネツィアを中心として行われた十字軍だが、結果的にキリスト教国のビザンツ帝国の都・コンスタンティノープルを攻略したことで有名である。この十字軍の結果、本来ビザンツが所有していたコルフやイオニア、クレタといった島嶼部のほとんどが、ヴェネチアの手に帰したのである。ゲームにおいてもこれは再現されており、1203年〜1250年までの間にビザンツ帝国がコンスタンティノープルの支配を失うと、ヴェネチアにコルフ、イオニア、クレタ、ダルマティアを割譲するというイベントが用意されている。

第四回十字軍は、1196年〜1201年の間にヴェネチアに起こる「The Roman issue and the 4th crusade」(ビザンツが存在することがトリガーとなって発生)がもととなって発生するので、もし第四回十字軍を起こしたければ、その期間の間にヴァネチアを独立させておかねばならない。今回は、聖地を管理するためにも、地中海の島嶼部はビザンツではなくドイツの属国、神聖ローマの一部たるヴェネチアに所有してもらいたい。なので、ハインリヒの死ぬ直前にヴェネチアも属国として独立させることにする。

第一節 ハインリヒ6世の治世(1191〜1197)

さて、ハインリヒ6世の治世である。この皇帝は32歳の若さで死んでしまったために、彼の在位はわずか7年でしかない。この皇帝が長生きしていれば、ドイツの歴史も今とは違ったものになっていただろう。

それはさておき、この期間には上記に述べたように、ザクセン、ヴェネチアを独立させたほか、ラインフプファルツを外交併合するなどのことが行われた。

1197年にはハインリヒが死去し、彼の弟のシュヴァーベン公フィリップが帝位に着くことになった。

第二節 フィリップの登極とフランスへの道(1197〜1212)

ハインリヒの死とともに、「ハインリヒの死」イベントが発生し、ケルン、ルクセンブルク、ザルツブルクらに独立が与えられた。

新たに帝位についたフィリップは西を見据えていた。ドイツ、イタリアは父・兄によって完全に統一された。神聖ローマ帝国の力は遠くイェルサレムにまで及んでいる。しかし、古のカール大帝の領地はフランス・ドイツ・イタリアの三国をあわせたものだ。我々は未だそのうちの二カ国を支配するにすぎない。ドイツ・イタリアを固めた今こそ、フランスに侵攻する好機なのではないか!

こうしてフィリップはフランス侵攻の道を模索する。そして、その機会は意外にはやく訪れた。1199年、フィリップが帝位についてからわずか2年、フランス王がイングランドに敗退し、首都州以外の全ての領地を失ったのである!

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これは千載一遇の好機である。なぜならフランスは1202年になればイベントによってイングランドの大陸領を没収し、再び強大化するからだ。この段階でフランス王を攻め、これを属国化することはまさに海老で鯛を釣るというもの。

フィリップは隣国ブルゴーニュより軍隊の通行許可を取り、パリへの進行路を確保するかたわら、ローンによってフランスより大義名分を得て、1200年2月には宣戦布告。 10月にはパリを落とし、フランスを属国化することに成功した。こうしてなんとフランス王領までが神聖ローマ帝国に編入されたのである!

これよりドイツはフランス、アルル王国、ブランデンブルクと同盟を組み、これらとともにフランスを舞台に大きな戦争を戦っていくことになる。


さて、1202年、フランスで待望の領地没収イベントが発生。これによってフランスは大陸にあったイングランド領のすべてを奪い返すとともに、イングランドと交戦状態に入る。当然ドイツ王国も全力をあげて支援にあたることとする。属国化以来、ドイツはフランスにたいして多額の資金援助を与えていたため、フランスの戦力は充実しており、各地でイングランド軍を破っていく。

1203年4月、ランダムイベントでフランドル伯に対する大義名分を手に入れたため、 即刻宣戦布告。当時フランドル伯はゲーレ・フリースラントと同盟を結んでおり、 その勢力は低地地方全体に及んでいた。これを機に低地地方に巣食う諸勢力を 一掃することにする。ドイツ王国軍は各地でフランドル伯を破り、1203年10月には敵首都を陥れる。

その後まもなくしてイングランドを降したフランス王国軍がドイツ軍に合流、ドイツ側の戦力はかなり充実していた。これに低地諸侯が抗することができるわけもなく、 フランドル伯に対しては属国化とアルトワをフランスに割譲という条件で講和が結ばれ、ゲーレ・フリースラント両国はフランスに併合された。1207年1月のことであった。 こうして、対イングランド戦、対低地諸侯戦終了時のドイツ王国及び神聖ローマ帝国の版図は以下のようになった。

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その後フリードリヒ2世が即位するまで南仏や東欧の諸勢力との小競り合いが続くも、いずれも確たる成果の得られぬままであった。

第三章 王座の最初の近代人・フリードリヒ2世の時代(1212〜1250)

第一節 フランス制覇(1212〜1231)

1212年、フリードリヒ2世が即位する。史実においてはシュタウフェン朝のラストエンペラーとして悲劇的な最後を遂げた彼だが、ゲームにおいては祖父バルバロッサより受け継いだ神聖ローマの版図をフランスにまで拡張するという快挙を成し遂げることになる。

そんな彼が最初に行ったのはザクセン遠征であった。ザクセンは、ハインリヒ6世の死の間際に独立して以来、皇帝がフランスでの戦役に忙殺されていたこともあり、平和を謳歌してきた。フリードリヒはここを再び皇帝直轄地へと戻すべく、この戦役を開始した。1215年にはザクセンに対する宣戦布告が行われ、ザクセンは首都ハノーファーを除く全州を割譲したうえで講和した。

フリードリヒは1220年にはフランスを外交併合する。フランスはAIが好戦的であるせいか、色々な国にケンカを売りやすく、しまいには擬似BBWみたいなことにも発展したりする。なのでこのくらいの段階で併合してしまうのがちょうどいいだろう。これによってドイツ王国のBBRは13.4にまで上昇した。

フリードリヒは、1221年には休戦期間の切れたザクセンに対して再度宣戦布告。このときザクセンはブルターニュやアキテーヌなどフランス西部諸侯と同盟を結んでいたため、これらを一掃し、一気に西フランスを神聖ローマ帝国の勢力下におくこともこの戦争の重要な目的であった。フリードリヒは1228年11月にはアキテーヌを属国化し、1231年8月にはブルターニュを属国化。ザクセンは、結局ドイツの属国たるブランデンブルクによって併合された。

こうして、トゥールーズやピレネーふもとのわずかな領域を除く全フランスが神聖ローマ帝国に編入されたのだった!また、この戦争の直後、フランドル伯を外交併合。この結果、1231年当時のドイツ王国及び神聖ローマ帝国の版図は以下のようになった。

1231 ger.JPG

第二節 第四回十字軍、再び(1231〜1237)

フリードリヒ2世がフランス征服に没頭している間、東にて驚くべき事態が発生していた。彼がブルターニュを降したのと同じ年に、なんとヴェネチアがハンガリーによって併合されてしまったのだ!今回はことのほかビザンツ帝国がしぶとく、コンスタンティノープルが陥落しなかったせいで第四回十字軍イベントが完成せず、ヴェネチアは地中海領土を手に入れることができなかったのだ。そして、ビザンツとの戦いで消耗したところをハンガリーに襲われ、併合されてしまったというわけである。

フリードリヒは、第四回十字軍によってコルフ、イオニア、クレタなどの地中海領土をヴェネチアが取ることで、属国ヴェネチアに地中海の覇権を握らせ、それを介して神聖ローマが地中海の覇権を握る、という壮大な構想を思い描いていた。そのために彼の父ハインリヒ6世はヴェネチアに独立を与えたのだ。幸いビザンツ帝国よりのヴェネチアの 地中海領土継承イベントは1250年まで有効である。ここは早急にハンガリーよりヴェネチアを奪還し、フリードリヒ自らコンスタンティノープルの攻め、イベントを発生させることにする。

1231年11月、そんな皇帝の雰囲気を読んだのか、属国オーストリアがハンガリーに宣戦布告。その流れにのって我々もハンガリーに宣戦布告(このときドイツとオーストリアはちょうど同盟を結んでいた)する。フリードリヒはすぐさま数万の大軍を東欧へと送り込み、ヴェネチアを包囲するとともに騎兵部隊をハンガリーの本拠地に進軍させ、敵主力を撃破していく。

このときハンガリーはかなり高いBBRをほこっており、擬似BBWがおきていた。ハンガリーは、南からはビザンツに、東からは神聖ローマに攻められまさに四面楚歌の状態。この状況ではまともな戦いになるわけもなく、フリードリヒは、1233年7月にはヴェネチアを割譲させて単独講和。あとは属国オーストリアに任せることにする。

ヴェネチアは奪還した。さあ次はコンスタンティノープル攻めだ!失敗に終わった第四回十字軍を、今再び神聖ローマ皇帝の名の下に再開するのだ!!

フリードリヒは婚姻から王位の請求によってビザンツ帝国に対する大義名分を手にいれ、1235年11月には宣戦布告。4万5千の騎兵隊を海路、コンスタンティノープルへと 送り込む。1237年3月にはコンスタンティノープル陥落。これにあわせてヴェネチアを属国として独立させると、諸々のイベントが発生し、コルフ・イオニア・クレタといった地中海領土をヴェネチアが獲得した!

ヴェネチア.JPG

これによって聖地にいたるまでの航路が神聖ローマ帝国の管轄下にはいった。我々は今やビザンツ帝国に対する軍隊の通行許可なしに、聖地へと赴くことができるのである!!

第三節 シャルルマーニュ帝国の再来(1237〜1250)

さあここからは属国の整理統合にはいる。フリードリヒ2世の死までに可能な限り皇帝直轄領(ドイツ王国領)を増やすのだ!

まずは1238年1月、ブランデンブルクを外交併合。これによって再びザクセンを独立させるのに必要な州が皇帝の直轄化に置かれることになった。その後アルル王国を外交併合。これによってBBRは29.1/30とかなりギリギリになったので、すかさずザクセンを独立させ、BBRの引き下げを図る。

さらに1240年にはザクセンに対して宣戦布告、あっという間に全州を占領し、首都州以外の全州をはぎとり単独講和。同盟国として参戦していたオーストリアやアキテーヌなどはその後も戦い続け、結局首都州はアキテーヌが奪い、武力併合した。1248年にはそのアキテーヌも外交併合。

こうして1250年、フリードリヒ2世が没する頃には、カール大帝とほぼ同等の版図をほこる大帝国が完成したのであった!

1250 ger.JPG

もちろん勝利点は総合1位、最終的な中央集権スライダーの値は8、BBRは26.1/27であった。

フリードリヒ2世の死後は彼の息子コンラートが皇帝に即位した。コンラート4世の誕生である。これよりシュタウフェン家の皇帝世襲が決定づけられたといえる。バルバロッサ、ハインリヒ6世、フィリップ、そしてフリードリヒ2世・・、シュタウフェン朝の皇帝達の100年にわたる戦いによって、ついにドイツは中央集権的・世襲君主制国家へとその姿を変えたのであった・・。

終章

ドイツAAR、いかがだったでしょうか。思ったよりも長くなってしまい、これじゃショートAARとは呼べないかもしれませぬが、そこはまあご勘弁を。

ドイツは諸侯や司教独立イベントがかなり辛く、さすが史実において解体しただけのことはある、と思わず実感してしまいます。正直イベントに対し全てヒストリカルに選んでいったら(もちろん第五回イタリア遠征なんかも回避せずに)、とてもじゃないがやってられないでしょう(特に難易度最高では)。

ただまあ、それらのイベントを乗り越えることさえできれば、ドイツに敵はいません。今回のプレイでも、アンジュー帝国が成立しなかったこともあり、やりやすかったとはいえ、フランス全土を征服するところまでいけました。さすが、もともと一国持ってると違いますね。前回のフランスAARでは元手が2州しかなかったので、同じような期間やって結局フランス統一までしかいけませんでしたからね。

今回のプレイではシュタウフェン家の存続を念頭にやっていきましたが、どうもイベントファイルを見てみると「ヴェルフェン家によるドイツ王国再興」というifイベントが用意されているようで、こいつに挑戦してみるのも一興かと思ったり。この場合シナリオ2でやることになるのでしょうかね。

最後に、ドイツはなかなか味わい深い国家であります。なので、一見して強そうだからと敬遠せずにプレイしてみることをおすすめします。数々のイベントに翻弄されつつ神聖ローマ帝国の完成を目指すのはかなり楽しいですよ!

ではでは、また会う日まで〜。



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Last-modified: 2006-12-07 (木) 23:12:42 (3825d)