欧州三国志(AGCEEP3人プレイAAR)

みたび、第二夜

 マルチプレイゲームは最初の勢いを切らさないことが重要、ということで1週間後に続きをプレイ。前回同様、宅飲みしつつまったりマルチである。
戦いの舞台は1459年から。

 〜二人とも、内政スライダは動かしたかー?

 R「陸軍重視に振り切ったから、次は農奴制か?…いや、攻撃主義だな」

 「農奴制に振るのは急ぐのかなー。安定度低くてもあまり困ったことはないような…」

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わがフランスは中央集権化に振ってみた。

さて、ジャンヌ・ダルクが戴冠させたシャルルVII世だが、彼の治世も1461年で終了。フランスにカムバックしたその子ルイXI世(慎重王)が王位に即く。カムバックと言ったのは父王の不興をかってしまい、ブルゴーニュに逃れていたからだったりする。

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シャルルVII世よりも優秀なルイ慎重王。

ルイXI世は即位後に前国王の側近達を宮廷から排除していくが、ブルボン公ジャンII世ら旧臣の反発も強く、やがては公益同盟戦争(1465年)へと発展していくのだな。
彼が偉いのはこの戦争で譲歩を見せても、その後に老獪な政策で諸侯を統制下に引き込んでいくところ。一番の反対派先鋒だったブルゴーニュ公シャルル突進公(シャルル突進公とルイXI世の性格は対照的といえる)も1477年にナンシーで戦死し、1482年にアラス条約を結んでブルゴーニュを低地諸国に押し込めることに成功する。

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国王がルイXI世になったとたん、外交官が年8人に増え、何度も失敗を繰り返したサヴォイアの属国化にも成功。

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その後、イベントでルシヨン(Roussillon)をアラゴンから購入できたり、ピカルディ(Picardie)、アルトワ(Artois)が中核州化したり、"デフレーション"イベントでインフレが-2%されたり、"国内における通商の法令化"で2州の基本課税価格が+1されたりと、良いイベントが続く。

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心配された公益同盟戦争イベントも、ただの反乱イベントであった。平和なフランスではこの程度は余裕で鎮圧できる。

史実ではこの戦争でルイと対立したブルボン公ジャンII世を重用するようになり、結果として反対派を押さえ込むわけだ。

百八艦隊物語

 フランスの次のハイライトは、1495年からのイタリア遠征。敵はルネッサンスのさなかのイタリア諸国・ミラノとナポリにちょっかいを出すことになる。豊かなイタリア諸国は陸軍技術の最先端を行っている上、ジェノヴァのような最先端の海軍国家が敵に回る可能性も高い。

そういうわけで、百年戦争が早期終結した今のフランスがすべきことは、海軍の拡充だろう。ドーバー海峡にガレー船10隻を配置するマル一計画、全沿岸にガレー船10隻を配置するマル二計画、イギリス海峡、ドーバー海峡のガレー船を20隻体制に拡充するマル三計画は完遂し、気が付くとフランス海軍は欧州一の規模になっていた。

次の一手は…

 〜今後を見据え、ガレー船100隻、外洋艦80隻からなる百八艦隊の創設を計画する!

 R「煩悩に満ちあふれてる艦隊みたいだなオイ」

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マル四計画・百八艦隊計画はこれまでになく壮大な建艦計画である。何が壮大って、期限が植民地戦争、300年後なのである。
まあ、ガレー船はすぐ揃えれるだろうから、軍艦・輸送艦は3年に一隻ペースで十分だろう。もちろん、軍艦の比率をできるだけ高くした方がいいが、輸送艦を艦隊に混ぜると損害の一部を輸送艦が担ってくれて、再建費が得。な気がする。

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今回はカルマル同盟(デンマーク・ノルウェー)の起こした北ドイツでの戦乱が、ドイツ全域に飛び火する展開。ボヘミアが西側に伸長していたり、ザクセンがブルゴーニュに併合されていたり。我がフランスにとっては、北ドイツが諸国乱立状態の方が望ましいのだけど。

ブルゴーニュ・退場

 1477年、シャルル突進公が戦死し、ブルゴーニュが一気に弱体化。

 〜ブルゴーニュよ、フランスに帰属すべき土地を返還すれば存続を許してやってもよい。

この史実を知ってるからこそ、フランスからはブルゴーニュに手出しをしてなかったのだけど、ちょっとずるいかな。

このあとブルゴーニュ側のイベントで、低地諸国の運命が決まるのだが、ブルゴーニュAIは史実通りの選択肢を選んだらしい。結局ブルゴーニュはオーストリアの属国になってしまった。この流れで行くと、1512年ころにブルゴーニュはスペイン・ハプスブルグが継承し、泥沼のオランダ独立戦争につながっていくはず。

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いずれにせよ、ブルゴーニュ(Burgogne)、フランシュ=コンテ(Franche-Comte)、アルトワ(Artois)、ピカルディ(Picardie)が中核州化したうえに、自然に転がり込んできたわけだ。

1482年にはプロヴァンスをイベントで併合。ブルターニュを将来のイベントで、フォワを自力で併合すれば、対独国境以外は当初の目標を達成できそうだ。

瑞露の密約

 R「指揮官いないし、戦争もないし、暇だぞ」

1459年からの最初の十年は、RyoのモスクワもNaviaさんのスウェーデンも北極圏への植民事業に明け暮れていたが、それらが一段落ついたあたりから瑞露両国の策動が始まる。

 「そろそろこっちにも余裕ができたわ。」

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Naviaさんは、ドイツ北部で絶賛大暴れ中のデンマーク・ノルウェーとの同盟継続は死亡フラグになると踏み、ポーランドを盟主とする東欧同盟に参加。たしかに北欧両国のBadBoy点は10を超えており、あちこちから喧嘩を売られうる状態。

 R「戦争ばかりでなかなか同盟が切れんが、切れたらモスクワが盟主になって再結成するつもりだぞ」

 「スウェーデンよりモスクワの方が国力が上だし、その時も参加させてもらうつもりよ」 

確かにポーランドはブランデンブルクと戦争したり、ボヘミアと戦争したり、同盟が期限切れになりそうな気配がない。

ロシア、北の大地に立つ

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1480年に「ロシア帝国」イベントでモスクワからロシアへと進化したRyoにチャンスが到来したのは、翌1481年のことであった。1479年のセーブ&ロード(10年ごと)直後が、AIが活性化して危険な瞬間だったが、これを平和に通過できたのは僥倖であった。

 R「同盟期限が切れた!これで勝つる!」

 〜ポーランドに同盟への参加を断られたりして…

 「その時は私が盟主になるわよ」

 R「…いや、成功した。うっし!」

 「じゃ、私も同盟に入れてもらうわね」

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 R「これでリトアニアに手を出せる」

1429年にリトアニアがプスコフを併合していたので、プスコフ(Pskov)を中核州に持つロシアはリトアニアに宣戦布告理由を持つ。Ryoが狙っていたのは、和平条件を自分で決められる同盟主の座、であった。

 R「宣戦布告の大義名分こそプスコフの回復だが、リトアニア領内の正教徒の保護こそが実際の戦争理由ってやつだな」

 〜ああ、本音はリトアニア領内の正教州を改宗される前に回収したいんですね。迫害されてる正教徒の保護を名目にした侵略戦争って、まさにロシア的な…。

 R「ほれ、スウェーデンも戦争の準備はできてるのか?」

 「えええ。えと、現エストニアとかラトビアのあるあたりはスウェーデンが取っていいの?」

そのあたりは、後々までスウェーデンとロシアで取り合いになる場所だぞ。というか、普通はそういうことは戦争直前に決めるんじゃ無くって、むしろ同盟を組むときに決めておくものではないかと思うが…。

Ryoの指示は明快であった。

 Rランドと名の付く土地は全部取れ!

 「じゃあ…」

 R「でもインゲルマンラントはやらん」

 「ですよねー」

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チュートン騎士団はリトアニアに外交併合されてしまっており、これが後で微妙に問題となる。

大北方戦争

 〜てことはこれから大戦争ね。二人とも徴兵は済んだの?

 R・ナ「「よーし!」」

 〜陸軍維持費は上げた?

 R・ナ「「よーし!!」」

 〜兵士にウォッカの配給は?

 R・ナ「「ウラー!!」」

それにしてもこの二人、ノリノリである。
かくして1481年9月17日、ロシア・スウェーデン・ポーランド同盟によるリトアニア侵攻、大北方戦争が始まった。

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RyoもNaviaさんも準備万端、やる気十分。
スウェーデン軍は地道に建艦してきたスウェーデン海軍を動員し、バルト諸州を海上封鎖しながら占領しつつ南下。ロシアはリトアニア領を東から、ポーランドが西から攻撃していく。
リトアニアと、その同盟国リヴォニア騎士団には気の毒としか言いようがない。国は違えど、普墺露による300年後のポーランド分割もこんな感じだったんだろうか。

まずリヴォニア騎士団が全領土を喪失して屈服。開戦から8年後の1489年にNaviaさんがエストラント(Estland)とクールラント(Kurland)を取って和平。ポーランドが取った騎士団領マゾヴィア(Mosovia)はリヴォニア騎士団の手に戻った。

リヴォニア騎士団とは和平してもリトアニアとの戦争は継続している。

 「ダンチヒが欲しい、ダンチヒー!!」

Ryoも私も貿易センターを保有しているので国家収入ランキングベスト10入りしている。ランキング27位のスウェーデンはダンツィヒ(Danzig)の貿易センターを切に求めているのであった。

 「メーメルとプロシアとダンチヒと首都を落としたけど和平に応じてくれない…」

 R「それ以外のリトアニア領はロシアが全部落としたぞ」

リヴォニア騎士団とスウェーデンが単独和平しているので、リトアニアに対するスウェーデンとロシアの戦勝点が別々に扱われているようだ。

 〜チュートン騎士団が残ってれば、スウェーデンが全領土占領したことになってたから取れたと思うけど、この場合だとダンツィヒは諦めるほかないんじゃないかな

 「うう。貿易センター…」

スウェーデンは代わりにプロシア(Prussia)とメーメル(Memel)を割譲させて和平。

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Ryoが改めてリトアニアの首都を占領し直し、1492年に最終的な和平が成立。

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150年ほど早く、バルト帝国を誕生させたスウェーデン。スウェーデンの人口も一気に倍近くに増加したのであった。

 「バルト海の反対側の土地、みんな首都州スヴェアランド(Svealand)よりも人口多いのよね。へこむわー」

 R「まだウクライナの辺りが正教州なんだが、BadBoy点が10まで上がったから一休みしておくか」

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そう言いつつもこの後、属国から40年目の1494年を待ってトヴェーリを外交併合したロシア。さすが大帝イヴァンIII世は伊達ではない。きっとBadBoy点もすぐに下がってリトアニアいじめが再開するのだろう。

イタリア戦争

 さて、フランスはイタリア遠征の準備中。
すごく簡単にまとめると、イタリア遠征→イタリア戦争は1494年のミラノ継承問題に端を発し、ナポリ継承問題に続いていく、イタリアとハプスブルグ家との争い。

ミラノ継承権を主張してフランスが北イタリアに侵入したのが1494年で、これをフランスのイタリア遠征と呼ぶ。フランスに対抗して、イタリア諸国がオーストリア・ハプスブルグ家(神聖ローマ皇帝)やスペインに介入してもらい、ミラノを奪還する1521年からの戦争期間をイタリア戦争と呼ぶ。
1525年パヴィアの戦いでフランス国王フランソワI世がスペイン軍の捕虜になったり、停戦して釈放してもらったフランソワI世が停戦条約を撤回して再戦を挑んだり、1527年には有名な神聖ローマ皇帝軍によるローマ略奪が起こったりとぐだぐだ状態。
そうこうしているうちに1529年にはこれまた有名なオスマン帝国の第一回ウィーン包囲があったり、フランスはハプスブルク家に対抗するためにオスマン帝国と同盟したりで、結局この戦争は1544年まで続くことに。

結果としてイタリア都市国家群はすっかり衰退してしまい、イタリアの統一は19世紀にまで遅れることになる。
最終的にフランスは全面的に敗北し、スペイン・ハプスブルグ家がナポリ、シチリア、低地諸国を領有し、オーストリア・ハプスブルグ家(神聖ローマ皇帝)がミラノを領有するカトー・カンブレジ条約が1559年に結ばれることになる。
そのわずか3年後にはフランスは宗教内戦・ユグノー戦争に突入していく。

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1493年時点で、ミラノはスイス、ジェノヴァ、トスカーナと同盟している。

我がフランス陸軍はスイスを速やかに下す部隊と、サヴォイア軍と共同してミラノにつっこむ部隊、海軍と共同でジェノヴァを陥とす部隊にわけて進軍する計画。

フランス海軍は地味な建艦を続けてきた結果、軍艦22隻、ガレー船100隻、輸送船5隻までの充実ぶりであり、今や欧州一の規模。

ガレー船は領海に配置して敵のゲリラ上陸に備えるので、イタリア戦役においては軍艦20隻を基幹とする連合艦隊が敵ジェノヴァ艦隊との決戦に挑むことになる。海軍レベルは3でジェノヴァの5には劣るが、数で押せればといったところ。

陸軍といえば、1486年に陸軍レベル9に上がったため火縄銃が解禁されている。トスカーナが陸軍レベル10で少し先を行っているが、数の力で勝てるだろう。

フランス重騎兵、イタリアへ

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そうこうしているうちにミラノ公が1494年に変死。フランス国王シャルルVIII世(温厚王)はオルレアン家の継承権を主張し、ミラノの首都州ロンバルディア(Lombardia)がフランスの中核州となる。

 〜全軍、前進せよ!

1495年4月1日、雪解けを待って我がフランスはミラノに宣戦布告。
ブルターニュが同盟履行を拒否、再同盟も断られる。どうせ兵力に余裕があるんだから単独で宣戦布告にしてれば良かったか…。

ルイ・ドルレアン中将とルイII世トレモワイユ少将のコンビでさくっとスイス2州を攻略。

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傭兵しか産業のないアルプスの山国なぞいらん。どうせ改革派になるし。ということで、スイスは通行許可代わりに属国にしてリリース。

1497年にはロンバルディアを占領。ポー河(Po River)をはさんでミラノ領エミリア(Emilia)とにらみ合い。川向こうにはトスカーナ主力とミラノ軍残党がいるので河越え攻撃は避け、先にジェノヴァの首都州リグリア(Liguria)の攻略を優先。

1498年4月に温厚王シャルルVIII世はうっかり死んでしまい、ルイXII世が登極する。

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ジェノヴァ艦隊はフランス艦隊の前にあっさり敗走。これで包囲が進み1498年にリグリアを占領。引き続きエミリアに進撃。ドーブニー中将の白兵5("攻撃主義"効果で白兵+1)は実に素晴らしい。

ジェノヴァの首都州リグリアを占領したことにより、ジェノヴァの地図が手に入ったところで1499年1月を迎え、今夜のプレイは終了となったのである。

おまけ

今日のNaviaさん。

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 「な、なにもクリックしてないわよ」

デンマーク側のイベントで決まったんでしょうなぁ…

フランス武将列伝(イタリア戦争前期)

フィリップ・ド・クレヴクール(P. de Crevecoeur)…リーダー定義ファイル内ではギヌガット(ギネガテ)の戦いの勝者と記載されているが、1479年8月のギヌガットの戦いではハプスブルグ家側のマクシミリアンが圧勝しているので矛盾する(フランス側指揮官は確かにクレヴクールと英語wikiには記載されている)。イタリア遠征の準備中に76歳で死去。指揮3射撃2白兵3。

ルイII世・ド・ラ・トレモワイユ(L. de la Tremoille)…1488年のサン・トーヴァンの戦いで決定的な勝利を収め、ブルターニュの独立に実質的な終止符を打つ。イタリア遠征にも従軍し、1495年のフォルノーヴォの戦い、1509年のアニャデッロの戦いに参加。1513年のノヴァーラの戦いではフランス軍司令官を務めたが悲惨な敗北を喫する。1515年マリニャーノの戦いでは勝利に貢献。第一次イタリア戦争のクライマックス・パヴィアの戦い(1525年)で戦死。指揮3射撃2白兵3。

ルイ・ドルレアン(Louis d'Orleans)…後のルイXII世でイタリア遠征を指揮。ゲームではフランス王位に登ると将軍としては死亡扱いになる。指揮2射撃2白兵3。

シャルルVIII世(Charles VIII)…1494年にイタリア遠征を開始した張本人であるところのフランス国王。1498年にうっかり鴨居に頭を打ち付ける事故を起こし、まもなく死亡したうっかりさん。でもうっかり王ではなく温厚王と呼ばれる。指揮2射撃2白兵2包囲2。

ロベール・スチュアール・ドーブニー(Robert d'Aubigny)…1495年セミナラの戦いでスペイン軍の「大将軍(エル・グラン・カピタン)」ゴンサロ・デ・コルドバを破る。
ちなみに彼の生涯唯一の敗北となったこの敗戦を研究したゴンサロは、スペイン軍の軍制を改革し(後に有名な"テルシオ"へと発展する)、以降は常勝将軍としてスペインの伝説になる。指揮2射撃2白兵4。


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Last-modified: 2013-04-15 (月) 19:41:00 (1561d)