今までのまとめ

  • モスクワの首都以外の2州獲得、首都はポーランドに。スズダリとトヴェリはリトアニアに、プスコフはプロイセンに、リャザンはキプチャク汗国にそれぞれ併合され、ライバルが全滅。
  • 徴税官を全土に配置し、戦争税を2回使い、$400の借金を5年内に無事返済。
  • スウェーデン領ラップランド(入植地)獲得。ただし飛び地で手出しできず。
  • スウェーデンと戦った残りの兵力でデンマークやメクレンブルク、ポンメルン、ドイツ騎士団の領内を荒らしまわり略奪と賠償金で小銭を稼いだ。

ノ英同盟

 前回言った通り、もう潮時なので、現在加入しているポーランド・リトアニアその他の同盟に用はない。1428年12月13日、バイエルンのポーランドへの宣戦からの参戦要求を拒否して同盟を抜ける。翌1月1日、トヴェリがリトアニアから独立したがガン無視し、イングランドの同盟に入れてもらう。植民地と交易所を持つノルウェーと戦うために英国海軍の助けを必要とおもったからだ。

 だが事態はいきなり急変する。7日にデンマークが何をトチ狂ったのかその次の攻撃目標だったノルウェーの属国化を自分から解除して戦争を開始したのだ。そんな事をしなくてもスウェーデンが離反すれば勝手に中核州化して転がり込んでくるのに、まったくせっかちなものだ。7月29日にフリースラント・オルテンブルク・ブルゴーニュとの戦争が終結したのを見計らってイングランドとの同盟は破棄した。

 9月、かねてからリトアニアに反乱を起こしていたヴラジーミル州がついにノヴゴロドへと亡命してきた。税収が8$とロシアにしては相当な高さなので、これが戦争なしで転がり込んできた事はかなり大きい。

新生カルマル同盟

 デンマークとスウェーデンはどういうわけかかつての友邦ノルウェーをいじめていた。1430年3月、それなりの準備ができたので、植民地を取られないうちに彼らの仲間に入れてもらう。

ノルウェーいじめ.jpg

 さらにノルウェーから略奪した金や翌年の年頭収入をごっそり合わせてデンマーク様に献上し、グリーンランドまでの地図を手に入れた。

 4隻のガレー船からなる我がバルチック艦隊は可能な限り遠洋海域を避け、大ブリテン近海を経由した結果、1隻の消耗もなく無事アイスランドに辿り着けた。北の島々には敵兵の姿どころか、友軍の足跡さえもなかったため、ノヴゴロド軍は何の気後れもなくアイスランド・グリーンランド両島の自国領を宣言。本土の占領が進んだ1433年12月28日にはノルウェー当局もそれを認めざるを得なくなった。

のこり5州.jpg  残りの中核州は5つ。

ハンガリーとのポーランド・リトアニア挟撃戦

 中核州の回収のために、今度はポーランドとリトアニアの向こう側の地域大国ハンガリーに接近する。領土が拡大して収入が増えたため、ジリ貧状態だった初期と比べると、外交の手段が選べるようになっている。1434年にはデンマークとの同盟を解消して、ハンガリーの同盟に入った。ハンガリー・ルクセンブルク・オーストリア・クロアチアとの同盟は現在モルダヴィアとの戦争に入っているがノヴゴロドは参加のポーズだけとって全く関与しない。

 最初に宗教スライダーの設定でカトリックを高くしていたため、カトリック教国とはこの段階で良好な関係が築かれている。これを利用してポーランドに予め通行許可を取っておいた。そして1435年4月、いざ同盟国リトアニアへ宣戦布告する。するとポーランド国民は戦争している事を忘れて敵であるはずのノヴゴロド陸軍に喜んで食料を与えてしまうのである。別にポーランド人だけがアホという訳ではない。このゲームのAIの問題である(プレイヤーチート)。この戦争に味方はハンガリーとクロアチアを除くの全ての同盟国が宣戦拒否した。

 今回狙うのはポーランド領モスクワと同盟を抜けていた間にキプキャク汗国からポーランドへ割譲されたリャザン、リトアニア領トゥーラと一度は独立したが再併合されたトヴェリの4州。敵には他ブランデンブルク・ベーメン・マインツが同盟しているが遠いのであまり勘定には入らない。ただし陸続きなので完全に手放しでもいられない。ハンガリーが片付けてくれればよいのだが。

 ポーランドは飛び地かつ宗教文化ナショナリズムペナルティーを有するロシア2州を全く使いこなせておらず、わずかな数の陸軍も押し寄せるノヴゴロドによってあっという間に片付けられていった。

 更に我が国はそこからリトアニア奥地へと兵を進めていく。リトアニアはただっぴろく、兵もまばらであるため、非常に攻め込みやすい。特に歩兵の安いロシア系国家だと消耗もそんなに痛くはない。ただし敵主力にぶつかった場合は包囲のための兵力をなくさないようすぐさま戦略的撤退を命じた。

ポーランド・リトアニア戦.jpg

 1436年5月、ポーランドの目標2州を落としたところで同盟主ハンガリーによる分離講和が成り、無事これらの州を得る事に成功した。8月にはモルダヴィアとの戦争を終えたハンガリーがリトアニアとの戦争中であるにもかかわらず更なる戦争をもちかけてきたので、今回は丁重にお断りしておいて、デンマークとの同盟に再び乗り換えた。

 その後も我が軍は無人に近いウクライナの草原を往き、1438年1月にはついにリューリクよろしくキエフの地を踏むこととなった。

 1439年1月28日、ついにリトアニアはトゥーラ・トヴェリの2州割譲と賠償金支払いを受諾。こうして残り中核州は1つだけとなった。



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Last-modified: 2011-07-29 (金) 02:49:17 (2368d)