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 1520年1月10日、ノヴゴロドはロシアとなった。この時点でアメリカにおける植民活動は、2島がイングランドに入植されてしまった事を除けば極めて順調であり、アステカ・インカ侵略のための徴兵拠点の確保を目指し、税収の高い小アンティル諸島を優先して入植している。

 君主がノヴゴロド大司教フェオドシー*1からモスクワ大公のヴァシーリー3世に代わり、ノヴゴロドプレイとしては微妙な気分だが、君主の低い外交能力にはほとほとうんざりしていたため仕方なく受け入れる。

 中核州が爆発的に増加するまでにはまだかなりの時間を要する。それまでの間、世界各地のCOTを集め、併合イベントでの乗っ取りを進めていく。

リトアニア支援・チェコ占領

 リトアニア(将来BBR上昇なしで全土を得られる)が白羊朝・ジャンダルと戦争をしていたので、金で友好度を買い1522年9月には同盟に誘われる。その前月には白羊朝とは和平が結ばれソチが割譲されていた。更にジャンダル領トラブゾン・カスタモヌへ援軍を進めリトアニアの領土拡大を支援した。

 同時に1526年にはベーメンの併合イベントがあるため、これを奪うために大量の兵を差し向ける。1523年7月27日開戦。大義名分は王位請求によって得た。ポーランドがついてきたものの予め軍を領内に置いていたためすぐに白紙和平に応じさせた。この宣戦布告によってついでにリトアニアとの同盟を切ることができた。更に一度は同盟履行を拒否したザクセンが再加入したものの、これも領内に兵を進ませるだけで白紙和平。目的の相手以外とは徹底的に戦わないという方針でいく。

 プロイセンにシレジアを奪われて3州だけになっているため、包囲戦自体は手間がかからないものの、地形効果により野戦で苦労させられる。しかし何度か大軍で攻撃を繰り返すうちにベーメン軍は自国領の防衛をあきらめ、通行許可を持つ他国領を通って1524年11月にはロシア領ダンツィヒを包囲しだした。次月には突撃一発で陥落。だがどうせ全土を包囲されて徴兵もできず、今回の目的はあくまでベーメン全土の占領なので放置プレイを決め込んだ。

 対等の軍事レベルを持つ相手であり、初めて砲兵が活躍するかと思われたが、その翌年にはベーメンの諸都市も降伏しだしたため、結局徴兵した30門は使いどころがなかった。 3州とも奪取し終え、1526年8月にイベント発生。オーストリア如きにボヘミアはやれん。

 1528年2月には圧倒的な軍事力差でフルボッコにされたジャンダルがグルジア(白羊朝が属国化解除・宣戦→ジャンダルが同盟により参戦→武力併合して領有)とトラブゾン(トレビゾンド→ジャンダル→ビザンツ→ジャンダル)をリトアニアへ割譲した。

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 その時が来たら美味しくいただきましょう。

メクレンブルク奪取

 同年6月、ポーランド(およびリトアニア、ブランデンブルク)と再び同盟を組んだロシアはデンマークおよびスウェーデンと交戦状態に入った。COTのあるメクレンブルクはこの前の(ノヴゴロドも参加した)戦争でデンマークの領土となっており、これを奪う機会を虎視眈々と狙っていたのである。

 9月には盟主による和平と無駄な戦力を割くことを避けるため、折角の防衛戦争でBBRが勿体無いもののスウェーデンと白紙和平。

 同盟は同時にポンメルンとも戦争状態にあるため、同国の領土はデンマーク領への「道路」として有効利用させてもらった。

 前の戦いでデンマーク国境はメクレンブルクおよびブレーメンまで南進していた。だが軍事技術はフランスやオーストリア、神聖ローマ帝国諸侯からは大きく遅れていてLV9には達しておらず、ユトラント半島いっぱいまで溢れるロシア軍に対し海峡を少ない兵で渡り無謀な反撃を繰り返すだけだった。

 ホルシュタイン・メクレンブルク・ブレーメンの3州を奪取した時点でメクレンブルクの割譲が提示され、1530年4月9日、この度の目的が果たされた。

 最後に残った道路のこっち側(後ポンメルン)は既に大量の友軍が占拠していたため、あっち側(前ポンメルン)を担当、適当に陥落させたあと道路に落ちてたお金(賠償金)をありがたくいただいた。

第一次爆裂外交

 この時代からはBBRを節約してCOTを集めるためになりふり構わずに金の力で同盟をとっかえひっかえして「昨日の友を明日の敵」にするような真似を繰り返した。特にイヴァン雷帝が登場してからは彼の高い外交能力をフルに活かそうとして、まるで別のゲームをしているかの様な濃いプレイ密度となり、数年(戦争を1セット:1回の宣戦布告につき両陣営について2回戦争する)進むのに2日(計画1日・実行1日)が当たり前の状況となった。(そういうゲームなのかこれ?)この状況を脳内で「爆裂外交」と名付けた。

スペインの新大陸からの追い出し(1回目)

 フランス、グラナダ(ロシア領が領土を分断しているので反乱を鎮圧できなかった結果スペインから再独立)、ポルトガル、アデン、クレーフェとスペイン、イングランド、スコットランドの同盟が戦争をしていたので、1532年5月フランスの同盟に忍び込む。ここまで大国化すると巨大化したフランスと親交を結ぶための費用を得るのも容易い。予め配置しておいた新大陸植民地での占領と本土からの野戦(アラゴン)における勝利1回だけで8月には同盟主による和平が成立。これによって新大陸の交易所3州(原住民が全滅して破壊できないものが含まれる)がロシアのものとなり、ついにスペインは(一時的にだが)新大陸における所領を失う事になった。

 それにしてもフランスはなんと気前がよいのか、戦勝の大部分を自分たちで為したにも関わらずわずかな賠償金だけで満足して、助っ人を騙りつつ少ししか働いていないロシアに領土を与えてしまったのである。とは言っても予め関係改善のために大金を送っているので埋め合わせはできており、領土を金で買ったとも言える訳だが。しかしこのフランス、この前のスペインとの戦争で首都を占領して地図を手に入れたためいつもよりも早く植民地獲得競争に参入していて、カンタブリアまで領有している。なんとかしなくては。

ザンジバル奪取

 アデンによって本土における首都以外の全ての都市を奪われ、オマーンは非植民地領土が残り2州で風前の灯だった。首都(COTがなくなったマスカット)ではない唯一の都市ザンジバルはCOTを有し、インド洋に出る手段がなかったロシアにとって、喉から手が出るショーケース状態が続いていた。オマーン本土植民地の1州を都市化し、ホルムズが亡命してきて以来半年につき2隻のペースでインド洋艦隊を建造する能力を得たため、このタイミングでローンによる宣戦布告を計画した。

 1533年1月26日、同盟国フランスを伴って宣戦布告。領土縮小とイスラム技術グループの中国の超躍進に引っ張られ陸軍技術が9に達していたため、突撃しても落ちず苦戦する。上陸を妨害してくる海軍も相当煩わしく、海軍技術をまったく研究していない我が国は海上で襲撃を受けると戦略的撤退を選ぶ以外方策はなかった。

 翌年7月、ようやく首都マスカットが陥落。しかし(母港が陥落したことで居場所を失った)艦隊で蓋をされて、陸軍を回収できないという事態に陥ったため、仕方なくペルシャに新しく陸軍を集めてザンジバルへ向かわせた。1535年1月、艦隊による妨害を受けながらも、一度は同盟を離れたものの戻ってきたポルトガル海軍の援助もあり、ザンジバル海峡へ到着、上陸に成功し、少数の陸軍を撃破。一度突撃してみたものの、突破することができない。更に後発の艦隊に乗せた援軍の到着を待ってから再度突撃してやっとの事降参させることができた。

 1535年7月6日、オマーンからザンジバルといくつかの交易所を割譲させた。

ザンジバルケープブレトン・ギアナ戦争(フランスへの不戦勝)

 1533年12月4日、イヴァン4世が3歳で即位。この君主は史実ではノヴゴロドに(以外にもプスコフとか貴族とか実の息子とか犬猫にも)随分酷い事をしている。だがこの世界のロシアはノヴゴロド・ロシアなので、これから50年の治世を報いとばかりにノヴゴロド(を中心とした帝国)のために牛馬の如くこき使わせてもらう。

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 このゲームではイヴァン雷帝の外交能力が8とかなり高く評価されている。貴族主義にスライダーをふっているため、今は5人、戦時には6人もの外交官を毎年得られる。金と安定度に糸目をつけなければどんな外交芸もこなせる。資金は主に多数のCOTから齎される貿易関税があるため、少しの期間国庫へ投入するだけでインフレ上昇の低さに対して驚くほど大金が手に入る。安定度もこれまでBBR上昇を節約してきたためペナルティーが大きくなる程にまではなっていない。これまでの奇妙な征服行は全て更なる征服行への布石だったのだ。

 まずは手始めに金の力でオマーンと急速に仲直りする。そしておもむろに現在のフランスとの同盟をかなぐり捨てる。しばらく待つと…

7月 2, 1536 : ロシアは オマーンとの軍事同盟に参加しました。
7月 2, 1536 : ロシアは、オマーンと共に フランス, ポルトガル と クレーフェとの戦争に参加しました。
7月 2, 1536 : 我々はエストラマドゥーラにて、 攻城戦を開始しました。
7月 2, 1536 : 我々はレシフェにて、 攻城戦を開始しました。
ポルトガルは、 我々の寛大な和平への提案を拒否しました。
7月 2, 1536 : フランスは、 我々の寛大な和平交渉を受け入れました。

 全て計画通り。予めポルトガル領ブラジルなどの要塞のない州に1隻のガレー船を置いて稼いだ戦勝点で、予め通行許可を得て兵を侵入させておいた原住民の全滅させられたギアナのフランス交易所2箇所と植民都市になりそうだったロワイヤル島をすんでのところで割譲させた。

ハンガリー(略)

 1537年12月1日、チャガタイ汗国からビールジャンド(飛び地)が亡命。ペルシャ人はよほど我が国がお気に入りらしい。ロシア領ペルシャではたった3州の植民地を元手に4つの都市が釣れている。

 1540年のオーストリアのハンガリー継承を邪魔するために、ハンガリーと婚姻→王位の請求で大義名分を得て、1538年4月1日開戦。

 同盟国オマーンは参戦を拒否(安定度低下なしでの不要になった同盟の処分に成功)。敵同盟国はプロイセン・クロアチア・バイエルン・ヘルダーラント。うちプロイセンは予め自軍を領内に配置して即時白紙和平。バイエルンも陸軍のいないアンスバッハへすぐに自軍を進ませて包囲後すぐ白紙和平に持っていかせた。ヘルダーラントは近場の重要港湾であるメクレンブルクとダンツィヒに上陸攻撃をしかけてくるも大軍を貼り付けているため常に敗北。クロアチアは同等以上の軍事技術をもつものの小国であり、なおかつボヘミアへ侵入してきた軍の帰路がない(以前の戦争で他国領に取り残されていたらしい)ので珍しくまじめに相手してやることにした。

 ハンガリーの軍事レベルは低く、要塞は突撃一発で落ちていく。クロアチアは国家規模に見合う兵力しか繰り出してこず、やがて南北から攻め込んだロシア軍に全土が包囲された。

 1540年7月2日クロアチア全土を占領するもチェコがクロアチアに落とされていたので奪回に向かう。7月23日、ハンガリー全土の継承完了。翌年6月2日には取り戻し、100%の戦果でクロアチアを武力属国化。同日最後まで残ったヘルダーラント(消滅したハンガリーの野戦での戦果を全部被ってものすごい戦勝点に)から大量の賠償金を得てプレイ中3度目となる乗っ取り継承に伴う戦争が終了した。

オーストリア邪魔.jpg  おいこらオーストリア!お前がモラヴァ取ったせいで領土が分断しちまっただろうが!  



*1 実際は1421年〜1423年の大司教、ゲーム上では独立時代最後の大司教フェオフィルと混同されて1470年からの最後の君主として設定されている

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Last-modified: 2011-08-12 (金) 04:22:13 (2629d)