常套手段について

 通行許可を持つ国には自分から宣戦布告することはできない。また、相手が異教国でない限り正当な大義名分があろうと宣戦布告によるBBRの上昇は避けられない。侵略戦争において都市を1つ割譲させるごとにBBRは2つずつ増加していく。通行許可を返上してこちらから戦いを挑むのは全くの愚策であるといいきれる。

 目的の国が戦争をしている場合相手の同盟に入り込むことができればどのような場合でも戦争を開始することができる。しかしながら、待てど暮らせど戦争を始めない場合がある。そんな時はこちらから工作をして戦争の原因を作ってやればよいのだ。

 戦争をはじめようとしない国に戦争をはじめさせるには対象国の同盟に自国を加盟させ、第三国に宣戦布告すればよい。こうして同盟を履行した対象国は「味方として」戦争を開始することになる。先に講和して戦争を抜け、今度はさきほどまで戦争していた相手と親交を深め、同盟を提案してくるのを待つか相手の同盟に入る(自分が盟主になってはならない)。そうすれば戦争の原因を作ったにも関わらず「裏切り者として」元同盟国の敵になれ、高い供給限界を保ったままで堂々と「防衛戦争」を行えるのだ。

 人間関係に例えるとすごく嫌われそうなやり方だが、金が全てを解決してくれるのだろうか。各々の国との関係は悪くなってもBBRは逆に増えにくい。

 この外交芸には大量の資金と外交官、それから低い安定度コストが要求される。大量の資金を得るためには大国になる必要があり、大国になると安定度回復が遅くなることが避けられない…ように見えるが、今回のプレイでは高収入州を集め武力併合を全く避けたため、安定度は半年ほどで回復し、全く問題がない。

第二次爆裂外交

インドカレーをおごってやろう

 ノヴゴロドはロシアとなってからも他国の植民地建設と領土継承の妨害を続け、ボヘミア・ハンガリー・ロワイヤル島(ケープブレトン)・ギアナ・メクレンブルクと膨張を続けていた。東方ではデリーが周囲の国々を併合して大国化していたため(COTを持つカッチも領有)、次はこの国を侵略目標とした。

 と、その前に恒例行事となる生贄(同盟相手)の選定を行う。今回はついさっきまで敵国だったフランスとポルトガル。というのもキューバ島のグアンタナモにフランスが入植してしまい、こともあろうにCOTが開設され我が国から商圏を奪ってしまったのである。しかもCOTのある植民地は原住民を刺激しても人口が10人から減らず、破壊する事が不可能であった。また以前からポルトガル領アンゴラのクバンゴにもCOTが開設されていて、西南アフリカでの貿易を握られているためこれも欲しい。

 1542年12月、ローンによって宣戦布告。フランス・ロシア・ポルトガル・クレーフェ・バイエルン対明・デリー・ウズベク汗国という欧亜間の大戦の構図が出来上がる。といってもHoiではないため遠隔地との戦争に適した思考ルーチンをAIは有しておらず、主な戦闘はロシアが行うことになる。

 まずはウズベク汗国と白紙分離和平。これで同盟主による講和が防がれた。

 ロシア陸軍はムガル帝国領を通ってデリーへ侵入し、軍事技術に任せた突撃で西から都市を奪取していく。デリーの陸軍レベルは6だが、明は13に達しており、インドに作られた植民都市から繰り出される明軍には苦戦を強いられた。しかしどういう訳か2つある植民都市の一つコーチンには少数の兵しかなかったためこれを破り、要塞もなかったため占領することができた。それでも明は技術の卓越する超大国であるため和平提案には応じなかった。それから更に野戦で勝利し、ヴィジャヤナガルの全都市を占領して通行許可と賠償金で分離和平をしたところで明とも和平を結ぶことができた。

 と、戦いのさなかムガル帝国がデリーへ日和見宣戦布告。いきなり首都デリーを包囲しだす。デリーが陥落するとデリーがムガルへ併合されてしまう。

これはいけるんじゃないか!たまんねぇ!!!!!作戦変更!全都市に突撃Урааааааааааа!!

デリー横取り.jpg

 こうして1546年9月5日、継承イベント「パーニーパットの戦い」が発動し、ロシアはデリー以外の全ての州を得たのだった。

しけてるチベット.jpg さすがチベット、取れるものが何もない…。後から戦争に参加したのにその責任全部負わされるとか可哀想だし通行許可だけで勘弁しといてやるか。

第二次対仏不戦勝

 終戦後ただちに明へ大金を与え、「なにこれふざけてんの?」といった速度で関係を改善。1546年12月14日には同盟に入り込み真の敵フランスとポルトガル、それからついでにデリーの弱っているところで宣戦してきた汚い(←お前が言うな)ムガル帝国と交戦状態に入った。

 同月26日、要塞のない植民都市ノヴァスコシア占領による戦勝点を使ってフランス領グアンタナモ(4点)を割譲させた。AIにとっては税収の低い植民都市>>>>(超えられない壁)>>>>COTのある植民地なのだろう。更なるプレイヤーチートを重ねている感じがして悪い気さえする。(この和平によって残りの戦争は侵略戦争となりBBRが余計に増えるため報いは受けているわけだが)

クバンゴ奪取

 ブラジルの要塞のない都市が亡命してきて(後述)戦勝点がかせげなくなったため、COTを割譲させるためにレシフェとエストラマドゥーラ(スペインからポルトガルへ亡命してきた)を落とすことにする。

 バイエルンとも交戦状態になっているため、再び敵軍の比較的少ないアンスバッハへ大量の歩兵を侵入させた。

 以前からフランスの通行許可を得ていて、フランスはボヘミアに隣接するヴュルツブルクにまで領土を拡大していたため、本土で徴兵した陸軍はロシア領イスパニヤまで陸路で移動させることができる。そうして増強したイスパニヤ方面軍を二分し、エストラマドゥーラに連続突撃*1をかましてほんの1ヶ月で陥落させた。このときアンスバッハでは野戦の途中だったが充分な戦勝点を得たので割譲を打診してみる。

 1547年1月7日、ポルトガルからアンゴラのクバンゴを割譲させることに成功した(BBR+2)。

東方領土の確立

 フランスとポルトガルとの戦争を早々に終わらせ、今度はムガル帝国から取るものを取ることにする。なにやら赤と黒の旗がひらめいている州があるが、そこはノータッチ。それ以外の各都市に突撃して順次占領していく。

 敵のレベルが低いので(とは言っても今回はイスラム技術グループトップの明がすごいことになっているためいつもよりずっと早く進歩しているが)やはり全く苦労せず勝つことができる。寧ろ自国領の反乱軍の方が東方戦線での大きな脅威となりえた。おまけにどさくさにまぎれてマッサワ(東アフリカ)で原住民に交易所を破壊される始末。エチオピアでやたらと反乱軍に負けるため何事かと見てみると射撃能力のない無能な指揮官が居座っていた。

カシモフスキー.jpg  名前から察するにカシモフ汗国のタタール人貴族といったところか、火縄銃の使用を拒む困った馬鹿殿様には反乱多発地域からご退去願い、友軍の包囲現場という適職を差し上げる。

 都合のよいことに以前にムガル帝国はカリフ領を併合していたため、ペルシャ湾岸にまでその領土が広がっていた。政府崩壊が起こらないぎりぎりまでムガルの都市を陥落させ、1548年11月28日に4州(アフワーズ・バスラ・クシュカ・ビカネール)を割譲させて講和。

東方領土.jpg

 分断されていたペルシャ・アラビア・北インド・パンジャーブが一繋がりになり、広大な東方領土を現出せしめる事に成功した。

ロシアへようこそ

 時は1539年11月に遡る。ポルトガル領ブラジルのパルナイバで反乱が発生し、反乱軍は北上しそのままロシア領ブラジルのパラへ侵入。ロシア当局は全力でこれを見逃したため、最終的に反乱軍はポルトガル領の飛び地マラジョーで動きを止めた。

 反乱の発生時ポルトガル領ブラジルには全く陸軍がなく、徴兵の様子もなかったため、沖に私掠船を呼び、要塞のあるレシフェには(徴兵してもすぐ全滅させられるように)大量の兵を駐屯させ、ポルトガルによる奪回を妨害した。反乱軍の進行にそなえてアマパに大軍を配備したものの、一向にアマゾンを越えて来る気配はなく、(その州に陸軍があると亡命が起こらないために)亡命させるためには「海賊船の殻」を自分で叩き割ってパラ州へ自国軍を入れて奪回する必要があった。この「卵割り」作業には総勢24隻のアメリカ艦隊が参加し、低い海軍レベルのせいで何度も打ち負かされながらも1隻ずつ沈めていき、1544年6月にはなんとかして上陸させることに成功した。

 翌月、チラカンブとパルナイバの2都市がロシアへ亡命。奪回を察知して移動してきた反乱軍を撃退し、翌年11月にはマラジョーもロシア領となった。とうとうブラジル(アメリカ大陸)におけるポルトガル領はレシフェだけだ。

あとはレシフェ.jpg

もうグルジアでいいんじゃないか?

もうグルジアでいいだろう.jpg

戦争に夢中でリトアニアのおもりをおろそかにしてしまったためクリミアが独立してしまった。領土はソチ(首都)とアゾフの2州、うちアゾフはザクセンへ割譲され、ポーランドの属国となっている。グルジア汗国とか誰得…。



*1 一度突撃して要塞の士気を下げ、疲弊した兵を入れ替えて再度突撃してとどめをさす戦術。レベルが同等でも短期間で落とすことができる。

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Last-modified: 2011-08-14 (日) 03:12:51 (2445d)