ver1.41で再開、完結しました。ビザンツ帝国AAR(AGCEEPマルチプレイ)旧版も参照のこと。
Victoriaに移行しています

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 これまでに、AGCEEPの普及を目的としてポルトガルの序盤戦略手引き(AGCEEP)、AGCEEP翻訳プロジェクトを進めてきた。その一環としてビザンツ帝国をプレイしてみたのだが、5月23日にAGCEEP最新版1.41がリリースされてしまった。最新版では君主、指揮官IDが新規に割り振り直されたので、以前のバージョンのセーブデータからは再開不能となり、再プレイすることとなった。

 ということで今回のプレイ環境は英語版1.09 + AGCEEP1.41 + 日本語化である。例によってマルチプレイを敢行してみたので、その雰囲気を味わってもらえれば幸いである。

 本プレイの売りをまとめると、

1.AGCEEPでのマルチプレイAAR(2人プレイ)
2.難易度最高・攻撃性臆病(1.41では臆病が推奨されている。1.42からは弱いが推奨)
3.ファンタジーイベントあり 4.ミッションの選択禁止

である。

 

プレイヤーの設定

 さて、対戦相手はこれまで何度も(両シチリアAARを参照)対戦したU女史(ナヴィアさん)である。EU2VICコンバーターを用いてVictoriaに移行するつもりなのは今回も一緒である。ナヴィアさんはやはりサヴォイアを選択した。

 

初期戦略について

 ver1.41になってからAIの初期戦略が多少変更されたようだ。ビザンツ帝国の場合、これまではゲーム開始早々にオスマン帝国がハンガリーと戦争になり、そのどさくさに紛れてモレアかアテネ公国を併合することが容易であった。
 しかし、今回はAIの臆病さがさらに増したようで、オスマン帝国を例に取るとゲーム開始後30年くらいまで開戦しないこともザラである。ついでに30年くらい開戦しないと、高確率でまずビザンツ帝国に宣戦布告してくる。
 ビザンツ帝国にとってこれは、どんなに頑張ってオスマン帝国の機嫌をとっても、同盟を組まない限りは必ず攻められるということだ。というか一度マルチプレイでビザンツ帝国が滅亡して終了したことがあった。これは実に恥ずかしい。

 またオスマン帝国は、ビザンツ帝国が属国でいる間は(30年くらいは)大目に見てくれる。が、ビザンツ帝国がヴェネツィアやハンガリーにくっつこうものなら、速攻で宣戦布告をかけてくる。もちろん、トラキア1州のみの状態でビザンツ帝国がオスマン帝国と戦うのは、無謀以外の何ものでもない。

 

 一方のサヴォイアであるが、港がないことがまず一番の問題である。隣接するプロヴァンスを取るのはフランスの機嫌を損ねるし、ジェノヴァは黒海やコルシカに領土を持っているので、海軍を持たない限り自力で併合するのは難しい。
しかしイタリア半島には港は4つしかなく、うち3つは教皇領以南である。つまり、最低でもフィレンツェまで遠征しなければ港を手に入れられない、ということになる。
 それを考えると、前回のプレイは実に上手くいっていたといえるのだが、まあ仕方がない。

 

ゲームの開始(1419〜)

 ゲーム開始と同時にアテネ公国から通行許可を取る(おそらく定石)。さらに外交官が貯まり次第、ハンガリーからも通行許可を取る(これも定石)。カトリック国との関係は日を追う毎に低下して行くので、特に開始時の友好度が+150のアテネ公国から通行許可を取ろうと思ったら、ゲーム開始直後しかチャンスはない。

 モレアとの開戦のタイミングは、オスマン帝国がどこかと戦争状態になった時がよいのだが、前述の通り1.41ではなかなか戦争が始まらない。そこで、定期的に兵を移動させるオスマン帝国が、ヨーロッパの兵を小アジアに移動させた時がチャンスだ。モレアとの同盟を解消し、1ヶ月後に単独状態で宣戦布告する。こうするとオスマン帝国の属国のままなので、宣戦布告される確率は低い。さらに、「オスマン帝国の帝位僭称者」イベント(1421年)でオスマン帝国との関係を改善しつつ125ダカットを得た後であればなお良い。

 今回は1421年9月にモレアに宣戦布告。通行許可を利用してアテネから侵攻し、モレアを包囲する。と、翌年3月、オスマン帝国が通行許可を返上してきた。これはオスマン帝国からの宣戦布告にリーチがかかったことを意味しているので、この時点で属国化を解除し、ハンガリーと同盟する。ハンガリーはゲーム開始時からヴェネツィア、アテネ公国と戦争を続けているので、後者らとも戦争になる。モレアとの同盟を解除した後にすぐ他の国と同盟しないのは、この戦争に巻き込まれるのを遅らせるためである。

 対モレア戦は1422年5月にこれを併合して終了した。

 

対オスマン帝国戦

 予想されたとおり、1422年7月にオスマン帝国が我がビザンツ帝国に宣戦布告してくる。

 これまでの何回かのソロプレイの結果、AIは海上移動および輸送が下手なので、同盟国はヴェネツィアよりハンガリーの方が断然頼りになることがわかっている。この戦役でもハンガリーはワラキアを併合し、アルバニアを完全に押さえ込み、さらに同盟国セルビアがボスニアを併合するという勝ちっぷりであった。

 一方ビザンツ帝国は、併合したばかりのモレアを包囲されるが、まだオスマン帝国軍主力は小アジアにあり、今回もボスポラス海峡だけは死守。その間にマケドニアを攻略する。バルカン半島のオスマン帝国の同盟国は上述のようにハンガリーとセルビアが叩きのめしてくれたので、我が軍は占領に専念。

 前回はルメリアを早期に手に入れたのだが、ここはイスラム教の州であったため宗教寛容度の設定に悶絶することになった。また、バルカン半島一帯はあまり肥沃な土地がない(基本課税価格が軒並み3〜5)が、我がトラキア、マケドニア、ブルガリアは別格(10以上)である。よって今回はルメリアよりもブルガリアの攻略を優先した。  

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 1424年10月、我が軍がモレアを奪還する前に、盟主ハンガリーが和平を締結してくれた。望みうる最高の戦果であった。

 

ギリシャの回復

 技術グループが正教に属するビザンツ帝国、この先周辺国との技術差は拡がることこそあれ、追いつくことはないので、積極的な拡大に出る。今回AIがより慎重になったので、つまり同盟の期限切れも頻発する。

 そこで1433年7月、ヴェネツィアとの同盟が切れたばかりのアテネ公国に宣戦布告、翌年6月にヘラスを占領し、併合する。

 これによってトラキアからモレアまでが陸続きの領土となったのであった。

 一方のナヴィアさんはというと…

 

「今回はトレムセンはトスカーナを併合しに来ないのね。だらしない」

 

 いや、それは違うかも。

 

対オスマン十字軍

 1443年1月、ビザンツ帝国が海軍の拡大に努める一方で、二重同盟を持つハンガリー(ゲーム開始時から、オーストリアらとの同盟とセルビアとの同盟の2つを持っている)が、オーストリアらとオスマン帝国に宣戦布告。我が国もチャンスを見てこれに便乗しようとするが、ドブルージャをハンガリーが獲得して和平。あんな基本課税価格1の州なぞ欲しくない。

 しかし、これでオスマン帝国のヨーロッパの領土はルメリアだけとなった。ルメリアを獲れば、しばらくの間オスマン帝国は黒海に港を持たなくなる。海軍技術に差がついてからではボスポラス海峡を維持することすら困難になるだろうから、1451年2月、思い切ってオスマン帝国に宣戦布告する。が、ルメリアを占領する前にハンガリーが賠償金を取って和平してしまう。

 それではと、1457年に今度は単独でオスマン帝国に宣戦布告。海峡の向こうには11万ものオスマン帝国軍が見え、率いるは征服王メフメトII世である。というか11万は州供給の上限を超えていて、月代わりにどんどんオスマンの兵が消耗していくのが見える。お前は馬鹿か。

 ルメリアを占領。もちろんこれだけでは戦勝点は足りないが、海峡に突入するオスマン帝国海軍を片端から撃沈し、1459年2月にルメリアを割譲させて和平。
これでオスマン帝国はヨーロッパから駆逐されたことになる。あとはスミルナを奪回すれば、ビザンツの復興が宣言されるだろう。

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帝国軍、東へ

 1466年、オスマン帝国が白羊朝に宣戦布告。この時点での白羊朝はオスマン帝国よりも巨大であり、願ってもいないチャンスである。5万以上は確実にいるオスマン帝国軍が東に去り、白羊朝の都市で攻囲戦の煙が上がったのを確認し、1466年10月にオスマン帝国に宣戦布告、ハンガリー、セルビアもこれに協調する。

 こちらの陸軍レベルは2、相手は3で、まともに当たっては勝ち目はない。敵の主力が向かってきたら素直に退却し、敵の進路以外の州では最低兵力で包囲を続ける。スミルナ、アンタリヤ、コンヤを占領、しかしまだ和平には応じない。ハンガリーは全く兵を派遣してこないが、同じ正教を信仰するセルビアは3万の兵を派兵してくれ、しかもオスマン主力にぶつけてくれている。

 首都アナトリアを占領したところでオスマン帝国も折れ、1468年11月、スミルナの割譲で和平が成立。すぐさま「ビザンチン・ルネッサンスの開始」イベント、「聖ソフィア教会の再興」イベントなどが発生する。前回のプレイに比べると、ずいぶん楽にここまで到達できた印象である。宣戦布告を食らう回数が少ないからか。

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 一連のイベントで各州の基本課税価格が2以上上昇し、さらにランダムイベントでルメリアが正教に改宗(!)したおかげで、収入がかなり改善する。おかげで我が領内は正教で統一されることとなった。

 しかし技術力の無さは如何ともしがたく、イタリアでは陸軍技術レベル5が登場し始めているのに、我が軍は未だ2である。

 そこで宿敵ヴェネツィアとの技術差が絶望的になる前にと、1476年にヴェネツィアに宣戦布告する。何故か2万3千のヴェネツィア兵がひしめいていたコルフ島の攻略は早々に諦め、無人のクレタ島、イオニアを攻略する。ハンガリー軍がクロアチアを取り戻し、イストリアを陥とし、ヴェネトに突入したところでヴェネツィアが折れ、クロアチアをハンガリーに割譲、クレタ、イオニアをビザンツ帝国に割譲して講和が成立した。

 これで、ヴェネツィアが持つ我が国の中核州は、コルフとラグーザのみとなった。陸戦では下手をすると2倍の兵力でも負ける(相手はレベル3)が、ガレー船同士の海戦(自軍レベル2、ヴェネツィア4)だと、あまり技術差が影響しないのか、数の多い側が有利な印象だ。

 一方のナヴィアさんは、

 

「1.41でイタリア統一に時間制限が付いたから、もう待てないわ。」

 

と、同盟相手のいないマントヴァに開戦理由無しで宣戦布告して、1471年にこれを併合したのである。が、

 

「悪い子点が一気に8まで上昇するわ、カトリック諸国との友好度が軒並み100近く下がるわ、割にあわなさすぎ。」

 

とのこと。だから外交併合を狙ったら?とアドバイスしてるのに。

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技術後進帝国ビザンツ

 1486年9月、ヴェネツィアがハンガリーに宣戦布告する。我々も同盟を履行し、またしてもヴェネツィアとの戦争に突入する。コルフには4万以上のヴェネツィア軍がひしめいていて、今回も手が出せない。

 悪いことに、翌1487年にポーランドがヴェネツィアと同盟し、ハンガリーに侵攻してくる羽目になってしまった。残念ながら、ハンガリー、セルビア、我が国は完全に技術後進国で、倍の兵力をぶつけても全然勝てない。陸軍技術が2しかないので、基本士気値が低すぎて、士気崩壊で敗走してしまうのだ。

 丁度都合よく、オスマン帝国がロシアらと戦争しているのだが、もちろんそちらに手を出す余裕がない。ポーランドの大兵力をうまくさばきつつ、ヴェネツィアの領土であるラグーザを占領する。1489年に我々が189ダカットをもらって和平に成功。

 しかし、直後の1490年、ヴワディスワフ・ヤギェウォがハンガリーの王位に就いてしまい、その結果ハンガリーはポーランドの属国となってしまった。これでハンガリー=ビザンツ同盟は解消である。晴れてわがビザンツ帝国が盟主になったのだが、ちっとも嬉しくない。

 腹いせに1495年、同盟を持たずにいたカラマンに宣戦布告するが、カラマンはオスマン帝国の属国であり、供給限度が6しかない土地にオスマン帝国の兵8千が駐留していたのであった。オスマン帝国とは戦争状態にないので戦闘は発生しないのだが、ものすごい勢いで攻囲部隊が消耗していく。悪夢のような2年に渡る攻囲の後、カラマンを併合する。

 再び悪い子点が7点台まで上昇したが、オスマン帝国がカラマンを外交併合する予定だったのは目に見えていたので、すこしでもオスマン帝国の力を削いだと思おう。国境線がのびた上に飛び地を得たのではあるが。

 1498年、再びヴェネツィアがセルビア=ビザンツ同盟に宣戦布告。またもポーランド軍が押し寄せてきて劣勢に立たされる。今度はハンガリーがいないので(そのハンガリーはオーストリアに攻められて国土の半分を喪失している)、やられ放題である。1501年に75ダカットで講和。一度占領したダルマティアをポーランドに奪回されたが、隙をみて再攻略できたのが大きかったようだ。

 

 1505年、やっと陸軍レベルが3になった我々に、今度はオスマン帝国が宣戦布告してくる。5度目の対オスマン帝国戦争の勃発である。

 この戦いはきつかった。なにしろオスマン帝国は既に鉄砲を持っているのである。騎兵2万を同兵力にぶつけてもてんで話にならない。タウルスとスミルナを瞬時に失い、陸軍主力はバルカン半島に待避。

 割譲を何度も要求するオスマン帝国を無視し続け、待つこと4年で好機が到来する。オスマン帝国がサファーヴィー帝国と戦争になったのだ。
オスマン帝国が主力を東に向けるまで、じっと待ち、首都周辺ががら空きになった時点で全軍に海峡を渡らせ、国土を奪還、さらに2領邦を落とす。オスマン帝国軍主力が引き返して我が軍を蹴散らし始めたところで、ギリギリ和平が成立。50ダカットの支払いで講和、11年に渡る戦争であった。

 

 が、平和も束の間。1518年3月、ヴェネツィアがセルビア=ビザンツ同盟に宣戦布告。これまた5度目の対ヴェネツィア戦である。

 こうしてゲーム最初の100年は戦争のうちに終わった。100年間に10回も大国と戦争してるのだが、なんとか生き延びることには成功している。しかし、このオスマン帝国とヴェネツィアが交互に宣戦布告してくる状態はキツ過ぎ。40隻のガレー船でエーゲ海には踏み込ませていないのだが、お金を貯める暇がない。せっかく交易センターがコンスタンティノープルにできて財政が潤いはじめているというのに、すべて軍事費に消えていく。

 世界に目を向けると、ハンガリーが相次ぐ戦争ですっかり衰退し、滅亡寸前といった状況。フランスが着実に領土を回復していると思ったら、フランスの同盟主は我らがナヴィアさんであった。

 

「もう、AIフランスが馬鹿でバカで、ブールボネ一つ併合するのに何回戦争してりゃ気が済むんだか…」

 

 気がつくと、悪い子点が0.7まで減っていて、しかもスイスとモデナを属国にしているナヴィアさんである。

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存続の危機(1519〜)

 ヴェネツィアに宣戦布告されただけでは済まなかった。何を血迷ったのか、我が同盟国アルバニアが教皇領に宣戦布告したのである。仕方なく我々も同盟を履行するが、アルバニアは教皇領との緒戦にあっさり敗北して、1年も経たずに併合されてしまう。セルビアは同盟の履行を拒否していたので、バルカン半島大同盟は、100年も持たずに瓦解してしまったのである。とことん同盟国には振り回されっぱなしのビザンツ帝国である。

 ここで我が国は独り者になったが、ヴェネツィアとオスマン帝国に挟まれていて、どちらも我が国に大義名分を持ち、どちらも技術で上を行っており、どちらもマンパワーで上を行っている。正教国であるビザンツ帝国と仲が良い国はほとんど無い。ハンガリーはオーストリアに併合される寸前だし、オーストリアはスペイン、ポルトガルと同盟していて同盟主はポルトガル。恐らくビザンツ帝国がオスマン帝国と戦争になっても知らんぷりを決め込むだろう。
 信仰を共にするロシアは、ポーランドとリトアニアに押されまくって国境線がだいぶ後退しているし、オスマン帝国とは国境を接していないので、戦争になっても有効な支援は期待できないだろう。。

 

 我が国に利害を一致させうる国はどこにもないかと思われたその時、私の頭に革新的なアイデアが浮かんだ。

 

−ナヴィアさん、是非あなたの同盟に加えてください!

「え?なに、なんで?」

−我が国が資金を提供しますので、その金で高品質の兵(こっちはレベル4、あっちは10を超えてるのだ)を貸与、というか派遣して下されば結構です。

「派遣て言っても私、港持ってないし」

−ほら、アドリア海を我がビザンツ海軍が押さえますので(ハッタリ)、港のないサヴォイアも一安心。フィレンツェを手に入れた暁には、地中海は我らが海ってもんですよ。

「うーん…」

−じゃあ、手付け金に100ダカット。

「了解したわ」

 

 金を条件に出した途端に成立するあたり、さすがは女性である。といっても、この同盟が成立したのは、ナヴィアさんが100ダカットに目がくらんだからなどでは決してなかったことが、後に判明する。

 

第5次対ヴェネツィア戦と、対教皇領戦、対ミラノ戦に対イングランド戦に…

 同盟に参加したと思ったら、1519年11月、いきなりナヴィアさんのサヴォイアはミラノに宣戦布告する。ミラノはイベントでスペインの属国になった直後で独り者だったのだ。我がビザンツ帝国も同盟を履行するが、さすがにガレー船で北イタリアまで遠征するのは難しい。早くもハッタリがばれそうな、我がビザンツ帝国である。

 

「ミラノは、1540年までにスペインに併合されちゃうから、このタイミングで勝っておかないと…」

 

 どうやら、イタリア戦争で列強が介入してくる前にケリをつけようという作戦のようだ。イタリア戦争といえばフランスのイタリア侵略(1494年〜)で始まるはずだが、これまでの所、サヴォイアは同盟主としてこれを完全に阻止している。ナイスだ。

 ミラノには5万の兵力がいたが、フランス軍がこれに真っ向から仕掛け撃破。そのままフランスが首都のあるロンバルディアを包囲している間にサヴォイア軍がフィレンツェ、エミリアを包囲している。

 

「フランスには将軍がいるから、ロンバルディアができるだけ持ちこたえてくれないと、全部持ってかれちゃう」

 

 ロンバルディアが陥落し、将軍付きのフランス軍がエミリアに到着する直前にサヴォイア軍がエミリアを攻略(!)。めでたくエミリア、フィレンツェをサヴォイアが獲得したのである。

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 これでロンバルディアを獲れば、イタリア建国のフラグが成立するようになるはずだ。

 

 さて、1519年になりふり構わずカトリック国と同盟したビザンツ帝国は、1522年、さらになりふり構わずタウルスをヴェネツィアに割譲して講和した。ここにきて初めての領土喪失である。というかタウルスを持っていてもオスマン帝国の戦勝点の餌になるだけだ。それならヴェネツィアとオスマン帝国でつぶし合いをしてくれた方がマシ。

 

 もう一方の戦争は。
 教皇領に併合されたアルバニアを奪回したが、どうしても教皇領が和平に応じようとしない。7%の戦勝点で、無償和平を申し出ても駄目である。向こうからも条件を出してこないので、どうもならない。
 仕方なく、アドリア海にガレー船を40隻ほど浮かべ、教皇領の海軍を片っ端から殲滅することとする。

 そうこうしている間に1523年、イングランドがフランスに宣戦布告。我々も同盟を履行したのだが、ひどいことにフランスは1525年に3州を回復して単独和平したのである。Victoriaといい、このゲームといい、フランスはキタナイ。復讐リストの、ヴェネツィアとオスマン帝国の次に書き込んでおこう。

 教皇領との戦争は、海戦の戦勝点のおかげでアルバニアを獲得して1426年に和平。

 

…さらに、オスマン帝国戦!

 1529年12月、サヴォイアが1州のみとなったミラノに宣戦布告。ロンバルディアを包囲し、イタリア達成は間近である。

 一方、定期的に我が国に戦争をふっかけてくるオスマン帝国。しばらくおとなしくしているかと思ったら、1529年にマムルーク朝を併合したのである。小アジアから北アフリカまでがオスマン帝国の版図となったのだ。
 そうなると、オスマン帝国の次の目標は、どうみてもここだよな…

 1530年2月1日、オスマン帝国が我々に宣戦布告。第6次対オスマン帝国戦の勃発である。
 スイス、モデナ、フランスが同盟履行を拒否。ナヴィアさんがすかさず再交渉し、スイスとモデナは同盟に参加し参戦してくれたが、フランスはこれも拒否。フランスのカエル野郎は絶対に許さん!

 スミルナはやっぱり占領される。というかここの防衛は既に諦めていて守備隊すら置いてない。
 同年12月にサヴォイアはミラノを併合。北イタリアがサヴォイアによって統一される。しかし、ナヴィアさんの悪い子点は12まで上昇…

 すかさず教皇領がサヴォイアに宣戦布告。しかも、教皇領の同盟国はヴェネツィアと、ヨハネ騎士団である(!)

 さらに翌年にはシエナがサヴォイアに宣戦布告!

 

 これって、もしかして、バルカン半島でこぢんまりと同盟してた時の方が平和だったような。

 

四面楚歌

 さて、状況を鑑みるに。

 敵はオスマン帝国、ヴェネツィアの宿敵コンビで、これにクリミアやトレムセン、シエナや教皇領、聖ヨハネ騎士団が付属している。忘れかけていたが、1523年にイングランドがフランスに宣戦布告して始まった戦争も、フランス野郎が一抜けした後もずーっと続いていて、これにデズモンド、アルスター、アブハジアがくっついている。

 一方こちらはサヴォイアを盟主にスイス、モデナ、我がビザンツ帝国である。

 難易度最高だとAIの軍隊維持費にチートがかかっているため、敵の総兵力はとんでもない数だ。教皇領だけでサヴォイアとビザンツ帝国の両方の兵力を上回っているくらいだ。幸いAIは用兵が馬鹿なので無体に過剰兵力で供給限度の低い都市を包囲し続けるとか、海軍を分散させるとか、こちらが都市を包囲しても無視するとか、つけいる隙はある。ただ、狭いイタリア半島だと迂回の余地がないのが厳しいところだ。

 教皇領の隙を窺うべく、イタリア半島にビザンツ陸軍を派遣したが、一人だけ飛びぬけて低い陸軍技術のため、かえって足を引っ張るだけであった。

 

「ビザンツ陸軍がいると、こっちの陸軍士気が半分くらいになるから、いない方がましだわ。バルカン半島に引っ込んでてくださいな〜」

 

 …いつか、いつかはうちの陸軍だって。

 しかし、海軍は負けてはいない。技術こそ大きく遅れをとっている(こちらの海軍技術は2、ヴェネツィアは10だ)が、ガレー船の集中投入で5分の戦いを繰り広げる。ヴェネツィアは戦力の消耗が激しい。

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形勢逆転

 イタリア半島から追い出されたので、仕方なく地道にバルカン戦役にいそしむ。ラグーザから陸づたいにヴェネツィアを目指すのである。

 1532年、盟主サヴォイアがイングランドからの賠償金339ダカットで和平。

 1533年4月、ラグーザを奪取。

 1533年、盟主サヴォイアがシエナと無条件和平。続いて教皇領とも無条件和平。

 1534年、我がビザンツ帝国はサヴォイアに国家の贈り物x2で支援。

 1534年2月、ダルマティアを奪取。

 1536年3月、イストリアを奪取。

 1536年12月、海軍技術2のビザンツ帝国海軍がヴェネツィア湾へ突入、ヴェネツィア艦隊に勝利する(!)。これと時を同じくして、リトアニアがクリミアに宣戦布告し、オスマン帝国とも戦争に突入する。オスマン帝国の注意が黒海北岸に向いている隙に、我が軍はスミルナの奪還に乗り出す。

 1537年、ヴェネツィアはコルフを我が国に割譲することで単独和平する。コルフには2万のヴェネツィア陸軍が駐留しており占領は不可能であったため、単独和平の場合のみ「十分な戦勝点があれば占領していない中核州を要求できる」ことを利用させてもらった。

 1537年11月、盟主サヴォイアがオスマン帝国に50ダカット支払う事で和平を成立。

 1538年、盟主サヴォイアはヴェネツィアからの賠償金300ダカットで和平に調印。これまた大戦争であった。
 都合の良いことに、この直後にオスマン帝国がヴェネツィアと戦争を開始したので、我が国には束の間の平和が訪れたのである。1542年には貴族の大反乱イベントが起こるので、それに間に合わせることができて良かった。

 

貴族の大反乱

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 1542年6月、皇帝ヨハンネスの帝位をめぐって大反乱が起こり、これの鎮圧に奔走している最中の10月、スイスがプファルツに宣戦布告する。我がビザンツ帝国も同盟を遵守してこれに参戦するが、さすがにアルプスの向こうの戦争には介入のしようがない。

 が、11月に教皇領がサヴォイアにリターンマッチを挑み、この戦争には思いっきり巻き込まれることとなった。これで7度目の対ヴェネツィア戦である。こっちは反乱リスク+8が3年間という極悪イベントのせいで、反乱鎮圧が精一杯。
 何とか兵力を捻出し、1544年2月にラグーザを奪取。ヴェネツィアも教皇領も、主力を北イタリアに向けているのが救いだ。

 が、当然、この状況をオスマン帝国が見逃すハズもなく。

 

 1544年3月、オスマン帝国が我が国に宣戦布告。第7次帝国大戦(仮称)の勃発である。モデナとスイスが同盟の履行を拒否するが、サヴォイアがすかさず同盟を組み直して参戦させる。

 当然のごとくスミルナを失うが、ここからが勝負だ。幸いマムルーク海軍を併合したオスマン帝国は、その海軍主力を北イタリアに向けており、エーゲ海に突入してくる艦隊は小規模なものばかりである。

 1545年3月、盟主サヴォイアがまずはプファルツから111ダカットの賠償金をもらって和平。10月には教皇領とも和平する。これでイタリア半島の同盟軍主力はヴェネツィアの首都ヴェネトに侵攻する余裕が出た。海上ではヴェネツィア、オスマン帝国を相手に5分5分の海戦を繰り広げている。常にこちらの兵数が優勢な状態で海戦しているので、消耗率は敵の方がずっと上である。敗北する時は士気崩壊で敗北しているのだ。

 1548年、ダルマティアを奪取したところで、盟主サヴォイアがオスマン帝国と無償和平に成功する。イタリア半島に上陸したオスマン帝国軍をことごとく殲滅したことで、スミルナを奪回しなくても十分な戦勝点が貯まったようだ。

 国内では反乱が相次ぎ、一時は首都コンスタンティノープルのあるトラキアが反乱軍に占拠されるが、1549年にオスマン帝国がヴェネツィアに宣戦布告したおかげで、対ヴェネツィア戦がぐっと楽になった。この機会を逃しては、バルカン半島の平和を手に入れることは永遠に不可能である。

 1550年にイストリアを奪取。ここでヴェネツィアも力尽きた。ビザンツ帝国はまたもヴェネツィアと単独和平を打診し、1551年7月、キプロス島の割譲でこれを成立する。キプロス島には普通サイズの要塞がある上、ヴェネツィア陸軍が万単位で駐留していて、まともに占領するのは不可能であった。

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これでヴェネツィアの海外領土は小アジアのタウルスだけである。

 

鉄砲の発明

 1553年、ついに陸軍技術が9に到達する。これまで陸戦の射撃フェイズでは一方的に撃たれるだけだったが、少しはましになったはずである。ここにきて急速に技術開発が促進されたのは、ジェノバ領アブハジアが反乱独立して正教国アブハジアとなったからかもしれない。いきなり隣国からの技術ボーナスが+25も付いたのだ。

 1557年までオスマン帝国とヴェネツィアが戦争していたおかげで、我がビザンツ帝国は国力をじっと蓄えることができた。もちろん、オスマン帝国とヴェネツィアが和平してしまえば、彼等の共通の敵はここである。

 

 1557年6月、オスマン帝国は我々に宣戦布告。第8次帝国大戦(仮称)である。スイスとシエナ、いつの間にかモデナを外交併合していたサヴォイアもこれに参戦する。

 さらに1560年1月、懲りない教皇領がヴェネツィアと組んでサヴォイアに宣戦布告してくる。

 

 これまでなら厳しい戦いであったが、今回我々は火縄銃を持っているのだ。スミルナに攻めてきたオスマン帝国軍を撃退し、首都アナトリアに2万の兵をぶつけ、この守備隊を撃破する。しかし、よくよく見ると、オスマン帝国は既にマスケット銃を開発(陸軍レベル14)していたので、やはり不利な戦闘なのは変わらなかった。アナトリアの包囲が、敵の反撃と敗北により時々解除されてしまうが、オスマン帝国の注意が首都に向いている隙に、アンタリアを占領する。見るとサヴォイアは黒海を越えてトラプゾン、カスタモヌを占拠しているではないか。

 1561年、オスマン帝国はアンタリアを我が国に割譲、トラプゾン、カスタモヌをサヴォイアに割譲して講和。オスマン帝国と真っ向勝負して勝ったのは100年ぶりのことである。

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 よく見ると、ポーランドがものすごく巨大になっている。というかロシアがだらしない…。

 

ナヴィアさんの野望

 1561年、ラグーザを占領したところで気が付いたが、サヴォイア軍がダルマティア、イストリアを既に包囲している!まさか、アナタ…

 

「あら、アドリア海の反対側にも領土があると、えらく見映えが良いのである。って誰かからどこかで聞いたわ」

−(…それ俺)('・ω・`)

「ようやくヴェネツィアが海外領土を失った(タウルスをオスマン帝国に割譲)から、これで晴れて本格的侵攻ができるってわけ」

−そうか!、これまでのビザンツ帝国の危機に際し、律儀に同盟を履行してきたのは悪い子点を上げずにヴェネツィアを併合するためだったのか!

Victoriaでは、この一帯を最初に持ってると楽でしょうからねぇ。そもそもダルマティアはビザンツの中核州じゃないから、問題ないでしょ? 文句あるかしら?」

 

 サヴォイアの中核州でもないし、イタリアの中核州でもないだろ!というツッコミは心の中だけで入れる私であった。なにしろ同盟主は向こうであり、その気になればいくらでも理不尽な講和ができてしまうのである。

 それから5年を費やしてヴェネトを占領したサヴォイアは、戦勝点100%を獲得。ラグーザをビザンツ帝国に、ダルマティアとイストリアをサヴォイアが獲得、さらに賠償金500ダカットをむしり取って1566年に講和したのである。

 

 ナヴィアさんの野望はそれに留まらなかった。1567年のオスマン帝国からの宣戦布告(第9次帝国大戦(仮称))で同盟を履行すると、翌年にはせっかく獲得したトラプゾンとカスタモヌをオスマン帝国に返還して講和。なんで?

 

「そろそろイタリア建国するので。あ、次の戦争には参加しないから」

 

 オスマン帝国との国境を消すために、2州を返還したのである。せっかく苦労してオスマンを弱らせていたというのに!

 

イタリア王国の誕生(1575〜)

 1573年11月、飽きもせずオスマン帝国は我が国に宣戦布告。第10次帝国大戦(仮称)の勃発である。シエナは律儀にも同盟を履行したが、宣言通りにサヴォイアは同盟から離脱。スイスも離脱する。

 この日のために基本課税価格が4の山岳地帯、アンタリアに普通サイズの要塞を建設してオスマン帝国に備えていた私である。敵をアンタリアに誘い込み、ゲリラ的に敵の手薄な地域を占領していく。

 

 一方、ナヴィアさんは同盟から離脱した後、かつての仇敵、教皇にすり寄ってこれに同盟する。これでイタリア王国建国のフラグは完成である。

 

 そして1575年10月5日、イタリア王国が建国されたのであった。

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三帝戦争の勃発

 こちらは目の前のオスマン帝国を独力で何とかしなければならない。こっちの陸軍技術は11、相手は15で、CRTに一段階の差がついている。緒戦はオスマン帝国の防備が手薄なクリミア半島に別働隊を送ったり、普通サイズの要塞があるアンタリアに敵を集中させたりして耐える。

 開戦から5年目、ついにスミルナを占領されてしまうが、翌1579年、こちらにもチャンスが巡ってきた。オスマン帝国がサファーヴィー帝国(ペルシア)に宣戦布告したのである。

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 オスマン帝国軍の圧力が一気に弱くなり、我々はスミルナの奪回に成功する。続いてキプロスから海上移動でオスマン帝国領の各地を包囲し、1582年までにコンヤ、アダナ、タウルス、アレッポ、アンゴラ、シワス、さらにはレバノン(!)までを占領する。オスマン帝国領内は、殆どが最小サイズなので、こちらが攻勢に出ると脆い。

 1582年2月、オスマン帝国からタウルスと賠償金175ダカットを貰って和平する。これまた9年に渡る大戦争であった。

 

 第10次帝国大戦の我々の勝利がオスマン帝国に与えた衝撃は大きかったようで、停戦期間が過ぎてもオスマン帝国が再び我が国に宣戦布告してくることはなかったのである。

 そして、この平和が続くうちに16世紀は終わったのであった。

 

ポーランドの強大化

 オスマン帝国の目の敵的立場からついに脱することに成功すると、ようやくヨーロッパ情勢に目を向ける余裕がでてきた。が、ポーランドよ…

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 ボヘミアとリトアニアを併合したポーランドは、南ドイツを横断するように領地を広げ、すごいことにフランスと国境を接している。そしてもって、フランスとポーランドと教皇領の3国は、常に同盟をキープしている。この状態で三十年戦争になったら、ドイツが消滅してしまうんではないだろうか。
 救いとしては、ブランデンブルクがそこそこ大きいのと、クレーフェが生き残っているので、1609年のクレーフェ継承イベントによりブランデンブルクがさらに大きくなる可能性があることだ。

 三十年戦争のもう一方の主役、オーストリアはポルトガルを盟主としてスペインと同盟している。スペインが定期的にインカ帝国と戦争しているおかげで、この同盟は解消されることがなさそうだ。オーストリアは南からのオスマン帝国の脅威がないので、これまたドイツの未来が心配だ。

 三十年戦争の原因の一つオランダは、1584年に建国されたが、上記のスペイン連合にボコボコにされ、オランダ2州をポルトガルに割譲している。それでも北米に入植しているらしいことはイベントで伝わってくる。

 

 大国の利害は意外な形で行動となって現れた。1599年、フランスがスイスに宣戦布告したのである。スイスの同盟主はイタリアであったが…。

 しばし逡巡した後、ナヴィアさんは同盟の履行を拒否したのであった。

 

「フランスとポーランドに北から攻められて、南から教皇領に攻められたら、絶対無理。ほんっとに嫌らしい包囲網を敷いてきたわね」

 

 結局スイスは1603年にフランシュコンテをポーランドに割譲して和平した。

 

技術立国への道

 1600年の最初の四半世紀はビザンツ帝国にとって重要なイベントが続く。この一連のイベント群は、まずは1604年1月1日の「血族の乱」から始まる。この時点までに内政スライダの貴族中心政治の項目を、ほぼ左端(富豪中心政治)にしておかなければならない。

 血族の乱イベントでは、女帝ゾエを擁立する。これが以後のイベント成立のフラグである。
 この後、いくつかの反乱が起きることになるが、貴族中心政治が2以下の場合、これを回避できる。

 

 しかし、1611年3月29日の「貴族の反乱」イベントは回避してはいけない。このためには貴族中心政治が1以上、つまりスライダが一番左端になっていなければ良い。このイベントにより、各地で反乱祭りになる上、反乱リスクが1年間+10という強烈な効果を食らうが、オスマン帝国に比べればたいして怖くはない。

 このイベントをくぐり抜けると、1612年に以下のイベントが発生する。

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 これで寛大な処置をとれば、準備完了である。

 まずは1618-19年に「社会改革」イベントが発生。500ダカットで工場を2つ手に入れるか、500ダカットで内政スライダが革新主義に+5されるという選択肢が登場する。

 このイベント群の最終的なゴールは、1642-1700年に内政スライダの革新主義が10の時に発動する(つまり、一番右端)、このイベントである。

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 技術グループがラテンになることで、オスマン帝国との技術差を逆転し、さらにはヨーロッパ情勢に介入するだけの国力を持つことができるようになるのだ。

地中海貿易戦争(1642〜)

 実は、マルチプレイで一番厳しい戦いは銃火を交えての戦闘ではない。札束を交わす戦闘、貿易戦争こそが、ゲームの中盤から最後まで続く戦争なのだ。

 技術グループがラテンとなり、欧州の中堅国筆頭となったビザンツ帝国の1642年の状況は以下のごとくである。インフラ、貿易への投資を地道に続けてきたおかげで、これらについては欧州列強にひけをとってはいない。

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 オスマン帝国との戦争中に、インド方面の海図を何度か奪取したことでインド方面のかなり詳細な地図が手に入っている。これを利用してグジャラートやベンガルに商人を送ることにする。一回の派遣に30ダカットほどかかるため、戦争に明け暮れている頃は商人を派遣する余裕など全くなかったが、オスマン帝国方面が落ち着いてる今なら可能である。貿易禁止を食らうことを防ぐため、一度に送る商人は月1回ひとりまでとし、インド方面に商人を少しずつ送り始める。

 ナヴィアさんがインド方面に(まだ)商人を送っていない今がチャンスだ。

 

オーストリアのバルカン侵攻

 1673年、オーストリアが前触れもなくセルビアに宣戦布告する。セルビアはビザンツ帝国の中核州で、しかも正教国なので、後に外交併合しようと属国にしておいたのだが、同盟までは組んでいなかったのだ。

 これは判断ミスだったかというと、そうとも言い切れない。もし同盟していれば、ハンガリー全土を治めるオーストリアと、その同盟国であるスペイン、ポルトガルの海軍国コンビを敵に回すことになっていたわけだ。その場合はたぶんビザンツは吹き飛ばされていたに違いない。
 さりとてセルビアをくれてやるわけにもいかない。義勇軍派遣…はVictoriaのコマンドだし、多少の援助をしても1州しかないセルビアが生き残る可能性は無に等しい。

 

 そこで。

 最終的な解決策として、我がビザンツ帝国はセルビアの属国化を解除し、翌月にセルビアに宣戦布告したのである。1674年7月、ビザンツはオーストリアより先にセルビアを占領し、これを併合したのであった。

 

「なかなか冷徹な判断をするわね」

 

 オーストリアは腹いせに隣国で我がビザンツ帝国の属国でもあるボスニアに宣戦布告。ボスニアは中核州ではなく、しかも同盟国でもないこともあり、あっさりとこれを見捨てる私。

 かくして1476年、ボスニアはオーストリアに併合されてしまった。

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「これは、えぐい外交だわ」

 

 マキャベリズムと言ってください。

 

イタリアとの貿易摩擦

 探検家は登場しないものの、地図交換を駆使して中国まで地図を広げたビザンツ帝国。上海に商人を送りこみ、インド・中国方面だけで年400ダカット以上の収入を生み出すことに成功する。

 しかし、イタリアは自国領ヴェネトや、オスマン帝国領アゼルバイジャン、アデンなどを独占し、この3つだけで年1000ダカットの収入(!)を得ているようだ。

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 我がビザンツもアゼルバイジャンには細々と商人を送ってはいるのだが、なにしろ相手の貿易レベルの方が上なので、独占どころか3〜4人の商人を維持することすら難しい。救いなのは、まだイタリアが中国の地図までは手に入れてないことだ。

 それでも多額の貿易収入のおかげで、貿易政策を開始してから50年後には列強といえるくらいの国力がついてきたビザンツ帝国である。

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列強のパワーゲーム(1709〜)

 さて、18世紀を迎えたヨーロッパ情勢だが。

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 何と言ってもポーランド=フランス=教皇領同盟(赤線)が強力である。ザクセンを併合した結果、ビスケー湾から白海まで領地がつながっていたりする。

 ナヴィアさんはスイスと同盟(緑線)しているが、確かにフランスと戦争になったら南北から挟撃される危険な状況だ。

 オーストリアはポルトガルと同盟。スペインはフランスの属国。イングランドはデンマーク、オランダと同盟している。

 

 我がビザンツ帝国は1650年頃からロシア、プロイセンと同盟(黄色)しているが、この強大なポーランドと衝突することは避けられない、というか、この状態でVictoriaに突入したらポーランドに欧州を統一されてしまう。何とかして勢力を削いでおきたい所だ。

 この時点でビザンツ帝国軍は、オスマン帝国の陸軍レベル(24)を上回る27のレベルに到達している。しかし、もうオスマン帝国内の我々の中核州を奪取しても、文化と宗教の違いから苦労するだけ(1600年以前に小アジアを領有した場合、イベントで100年後にギリシア文化となる)なので、もはやオスマン帝国にあまり興味はなかったりする。

 ちなみにイタリアとの貿易戦争は未だに続いている。各地の交易センターで、イタリアの商人とビザンツ帝国の商人が激しい戦いを繰り広げる。イタリアの商人を追い出すと、モニタの向こうからの恨みの電波が無線LANにノイズを混ぜるようだ。嘘。
 何度商人を送ってもすぐに独占状態を取り戻されるので、アデンへの進出は断念。しかしそのまま暴利を貪られるのも癪なので、時々嫌がらせのように商人を送ってみたりする。

 

大戦前夜

 1728年、オーストリア、ポルトガル、ベルク連合がスイスに宣戦布告する。スイスはイタリアの同盟国で…って、あれ?

 

「同盟切れた瞬間を狙われた…」

−プレイヤーがよく使う手ですが、AIもそんなこと仕掛けてくるんですねぇ。

「とりあえず、スイスが無くなるのを防がないと…」

 

 ナヴィアさんはスイスと同盟を組み直すと、翌1729年にオーストリアに宣戦布告する。
 我がビザンツ帝国は、やっと海軍レベルが27になったので、せっせとアメリカ沿岸州を発見して回るのに忙しい。

 オーストリアの大兵力にはイタリアも苦戦しているようで、しかも1730年にスイスがシュヴィーツを割譲して和平してしまったので、イタリア1国で3ヵ国を相手にする羽目になったようだ。
 ヨーロッパではオーストリアとアルプスを挟んで激戦を繰り広げ、アフリカのコンゴやギニアのあたりではポルトガルと陸海戦になってるらしい。

 結局、1732年までイタリアは粘ったが、白紙和平が成立。

 

「いつか絶対オーストリアに復讐してやる〜」

 

 …怖っ。

 しかし、この戦争は別の観点からも評価できる。すなわち、今のイタリアの国力は難易度最高のAI列強国2つ(敵は3国だったがベルクは列強とはいえないので実質2国)を相手に互角に戦えるということだ。つまり、イタリアと同等の経済力に達したビザンツが、ポーランドに挑む準備は整ったのである。

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 その前に、まずは1751年、オスマン帝国に第11次帝国大戦(仮称)を挑む。南方国境は安定しているのだが、小アジアに残るギリシア文化中核州を獲得してから欧州戦線に乗り込みたい。
 陸軍レベルが40を超えるビザンツ帝国に対し、未だに26しかないオスマン帝国は抗しえず、1753年にトラプゾンとコンヤを獲得して和平。コンヤはトルコ文化だしイスラム教だから要らないのだが、向こうから言ってきた条件なので飲むこととした。

 オスマン帝国の弱体化を見て取った欧州列強は、ここに興味を示したようだ。1757年、フランスの属国から独立したスペインとジェノヴァがオスマン帝国に宣戦布告。

 

 しかし、我が国の目はすでに北に向けられていたのである。

ポーランド分割戦争(1760〜)

 ポーランドと戦争に至った場合を考えてみる。
 幸いポーランドはビザンツ帝国の中核州ドブルージャを領有しているので大義名分は我にある。また、オーストリアが上手い具合に緩衝国になっていて、我が軍はオーストリアを通過してポーランドの南側面を自由に叩けるが、ポーランドはドブルージャ=ルメリア回廊しか進入路が無いのである。

 この戦争で一番キツイのは西のフランス、東のポーランドから挟撃されるプロイセンであるが、何と言ってもフリードリヒII世大王を筆頭に、ザイドリッツ、ハインリヒといった強力な指揮官がいるので、持ちこたえられるだろう。

 

 ところが、事態は意外な展開を見せる。

 1760年、ポーランドの同盟が失効した瞬間、オーストリアへの復讐心に燃えるナヴィアさんが、フランスをイタリア同盟に引き込んだのだ!

 これは願ってもないチャンスである。同年11月、我がビザンツ帝国はポーランド・教皇領同盟に宣戦布告する。できるだけ領土を削ることが目的、特にロシアの国土をもう少し広げるのが目標だ。
 直後、イングランド・スウェーデン同盟もポーランドに宣戦布告。こうしてポーランドを巡る戦いは、初っ端から世界大戦の様相を呈してきたのである。

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 君主としても優秀であるだけでなく、指揮官としても指揮6、射撃6、白兵6、攻城1という化け物のような能力を誇るフリードリヒII世大王。
 ポーランドは国内が不安定で、また主力をプロイセンが撃破したこともあり、あっさりと屈服。2年後にシュレジェンをプロイセンに、モスクワおよびヴォロネジをロシアに割譲して講和が成立。

 その5年後の1767年、我がビザンツ帝国は再びポーランドに宣戦布告。列強にはすでに第一回ポーランド分割イベントが発生した後である。ポーランドが十分に弱体化するまでは、中核州ドブルージャは絶対に受け取らないで、開戦理由ありの戦争を繰り返すという作戦だ。

 今回も精強プロイセン軍は素晴らしい進撃を見せ、開戦後わずか1年で、ヴュルツブルク、ポズナン、エルツを獲得して単独講和する。
 ビザンツ陸軍はポーランドの内部を荒らしつつ、ロシアの領土奪回を支援。ロシアが3州を獲得して1770年に講和。

 

 しかし、欧州はますます混迷を深めていくのであった。

 

混乱の欧州外交

 事の発端は、1767年にナヴィアさんの率いるイタリア同盟がジェノヴァに宣戦布告したことにさかのぼる。フランス、イタリア、スイス対スペイン、ジェノヴァの構図である。

 ところがオーストリアがその隙を衝き、1768年にスイスに宣戦布告。これに対し、イタリアが同盟の履行を拒否したのが問題の始まりであった。よっぽど先の戦争でオーストリアに苦戦したことがトラウマになっていたらしい。

 

「ベルンは山岳な上に、要塞サイズが巨大だから、落ちっこないし」

 

 これには私も同感だったのだが。

 イタリアはジェノヴァの黒海沿岸領ケルチ、コルキスを奪って講和。さらにサルディニア島をスペインから割譲させて単独講和。これでジェノヴァは1州のみとなり、ナヴィアさんの思惑通りといった様子。
 一方でアメリカ大陸ではスペインが優勢で、イタリアに一抜けされたフランスは、本土のギュイエンヌを含む7州をスペインに割譲して講和が成立。カエル野郎ざま〜みろといったところだ。

 ところがその間にベルンが陥落し、オーストリアがスイスを併合してしまう事態が発生する。巨大サイズの山岳の要塞を、オーストリア軍が陥落させたのだ!

 

「え、ちょっ…」

 

 1771年、あっさりとスイスは消滅してしまった。あわててフランスと同盟を組み直すイタリアだが、すでにフランスとスウェーデンが同盟を成立させていたので、イタリアは盟主ではなくなってしまった。
 しかも、フランス同盟にポーランドまでが参加するおまけ付き。

 1774年、フランス同盟とオランダとの戦争が勃発。ポーランドとイタリアは同盟の履行を拒否。
 何故かその直後、ポーランドとイタリアの同盟が成立。イタリアはプロイセン、ロシア、ビザンツ同盟に対抗するつもりなのか!?

 

「あ〜リターンキー連打したら同盟誤爆した…。こんな死に体のポーランドに付きあうわけないでしょ。」

 

 …やることなすこと裏目に出ているナヴィアさんであった。

 その間に我がビザンツ帝国は、3度目の対ポーランド戦を仕掛ける。イタリアは当然のようにポーランドとの同盟の履行を拒否。この戦争の勝利によりロシア国境をさらに前進させる。
 さらにエーゲ海を完全支配すべく、聖ヨハネ騎士団にも宣戦布告。10万人の兵力をロードス島に上陸させ、5万の騎士団を質と数の差で撃滅。大量の砲兵、海上封鎖、対岸からの歩兵のピストン輸送とで最大サイズの要塞を陥落。騎士団を併合する。

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 結局ポーランドはフランスの同盟に戻ってしまったので、次の戦争は厳しいものになるだろう。まあ厳しいのはビザンツ帝国じゃなくてプロイセンなんだけどもね(ぉ。

 

対イタリア戦!

 1783年にジェノヴァに宣戦布告し、これを併合したイタリア。これで北イタリアの完全な統一を達成したことになる。しかし、そこからどう続けるかを悩んでいるようだ。

 

 「オーストリアからスイスを取り戻すには、フランスと組まないといけないわけで、そうなるとポーランドを巡る戦いに巻き込まれちゃうことになるし…」

(…なんでスイスにこだわるのかなぁ)

 

 結局ナヴィアさんは、フランス、ポーランド、スウェーデン、教皇領との同盟への参加を決めた。そうなると、次の対ポーランド戦争では、ビザンツ帝国連合はイタリア半島全体を敵に回すことになる。何と言っても強大な経済力を誇るイタリアは、しかも人間が操作する国との戦争は実に厄介だ。ここは引くべきか?…いや!

 

 1786年4月、ビザンツ帝国はポーランドに宣戦布告。これまでで最大規模の戦争、ロシアからフランスまでが巻き込まれる欧州大戦が勃発した。敵はフランス、イタリア、ポーランド、スウェーデン、教皇領。こちらはロシア、プロイセン、そしてビザンツ帝国である。

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 我がビザンツ帝国は東地中海の制海権を維持することが至上命令となる。東地中海を押さえれば、黒海沿岸のフランス、イタリア領はロシア、ビザンツの草刈り場となる。敵は教皇領、イタリア、フランス海軍。相手に不足はない。
 幸い、敵海軍は同時侵攻をかけてこなかったため、最初にイタリア軍との間に発生したイオニア海海戦が最大の戦闘となった。これになんとか勝利し、黒海への突破を阻止。

 陸軍は、イタリアとダルマティア=ラグーザ間で国境を接するのだが、ダルマティアには最大サイズの要塞があってちょっと攻略は無理っぽい。ここは両軍1万の軍勢が国境を挟んでにらみ合いとなった。
 海戦での勝利と、コルキスをロシア軍が占領した時点で、ナヴィアさんに講和を打診。

 

「まあ黒海沿岸領はジェノヴァの併合のために獲った領土だし、必要ないわ」

 

 恨みの電波が飛んで来ることもなく、1787年にあっさりとコルキスの割譲でイタリアとの単独和平が成立。焦土戦よっ!とか言われたらどうしようかと思ったが…。
 ドイツ方面では、フリードリヒII世大王は亡くなってしまったものの、統率3、射撃5、白兵4、攻城1という、これまた優秀な指揮官ブリュッヒャーがフランスの猛攻をしのいでいる。ビザンツ帝国も急遽ドイツ方面に6万の軍を派遣し、これを支援する。それでもフランス軍との戦争で、みるみる兵が消耗していく。プロイセンの優秀な指揮官がうらやましい…。

 1788年、スウェーデンがオロネッツとエストラントのロシアへの割譲を申し出、これを受諾。

 1789年、カッファのロシアへの割譲を条件に、フランスと和平。その直後、フランス革命が発生。

 1790年、ドネツク、ウクライナ、リヴラントのロシアへの割譲を条件にポーランドと和平。
こうして18世紀の第一次欧州大戦は終結したのであった。

 

ロシアへの牽制

 ゲームも残すところあと30年、Victoriaに移行するつもりなので、先のことを考えておかねばならない。

 Victoriaでの目標は全中核州の獲得となる。ビザンツ帝国はギリシアに移行するので、史実同様の凄惨な希土戦争が繰り広げられるはずだ。
 ここで問題になるのはロシアの動向だ。クリミア戦争をはじめ、ロシアがこの地に介入したがるのは間違いない。ビザンツ帝国としては、目の前の餌をロシアにさらわれることは避けねばならない。

 そこで、1797年、第12次帝国大戦(仮称)をオスマン帝国に仕掛ける。目標はアルメニアの奪取、ロシア=オスマントルコ国境線の縮小である。
 もはやオスマン帝国軍に昔日の面影はなく、1798年にアルメニア、アダナの割譲を条件に講和が成立。

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 ロシアが領有するビザンツ帝国の中核州イヴェリアは、Victoriaに移行してから土地交換で手に入れることにする。その交換材料として、シベリアに植民してみた。

帝国主義の時代(1799〜)

 1799年、ビザンツ帝国はポーランドに宣戦布告。第二次欧州大戦の勃発である。
 先の戦いに懲りたナヴィアさんは同盟の履行を拒否。フランス、ポーランド、スウェーデン、教皇領対ロシア、プロイセン、ビザンツ帝国の構図である。

 ところが。

 フランス軍がぐいぐいとプロイセン軍を押し込む。ビザンツ帝国派遣軍も押し返せない。
 その直後、各国で「ナポレオン戦争」イベントが発生。そうか!

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 ナポレオンキター! 指揮6、射撃6、白兵6、攻城2は、かのフリードリヒII世大王よりもちょびっとだけ優秀である。

 おまけに1800年、オーストリア、ポルトガル、ベルク、マインツ連合がプロイセンに宣戦布告するにあたり、一気に情勢が不利となる。
 ドイツ方面軍はライン川を挟んで一進一退の攻防。黒海では大サイズの要塞があるフランス領アゾフを、ロシア軍と共同で攻略。陸軍技術の低いポーランドを叩きまくって戦勝点を稼ぐ。
 その甲斐もあって、1800年にフランスがアゾフのロシアへの割譲で講和を打診してきたので、これに飛びつく。これで対オーストリア戦線に集中することが可能となり、ぐっと楽になった。

 オーストリアはドイツ方面に主力を向けており、バルカン戦線は手薄。ボスニア、ワラキア、モルダヴィアを陥落させ、ハンガリーへと侵攻を開始。ドイツ方面でもプロイセンが優勢となったところでオーストリアもギブアップ。
 1801年、ボスニア、ワラキア、モルダヴィアをビザンツ帝国に割譲して講和が成立。これらの州は、ゲーム終了直前に属国にしてしまおう。

 

第二次ナポレオン戦争

 1705年、再びナポレオン・フランスに挑む。もはや黒海沿岸にはアブハジアとイタリアしかなく、黒海戦線は存在しない。ロシアも主力をポーランドに向ける。不思議なことにプロイセンは、自分の中核州であるダンツィヒやヴィエルコポルスカには主力を向けず、南ドイツにばかり侵攻したがる。何故だろう?
 そのおかげで、またもやフランスとプロイセンがライン川を挟んで一進一退。フランス軍はナポレオンだけでなく、ダヴーやミュラ、ネイといった有名指揮官が目白押しである。対するプロイセンにビューローやクライストが登場するのは、もう少し先の話である。がんばれブリュッヒャー。

 フランス軍を撃退することはできるが、フランス領内への侵攻は全く無理、という状況の中、ポーランド戦線での勝利がものを言い、1807年、フリーセンとアンハルトをプロイセンが、イェディサンとクレメンチュグをロシアが獲得して講和が成立。

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イタリア軍、アルプスへ

 これまで動きの無かったイタリアだが、第三次ナポレオン戦争(1812〜)の最中、オーストリアに宣戦を布告する。

 

「目標はスイスの奪回!」

 

…どうしてど〜してそんなにスイスに(ry

 さすがにスペインに次ぐ経済大国は伊達ではなく、シュヴィーツ、ベルンの2領邦をオーストリアから奪取して講和。
 さらに、

 

「ビザンツ同盟に参加させて!ポーランド領フランシュコンテを欲しいの。ナポレオンの圧力をうちとプロイセンで分担すれば、少しは次の戦いが楽になるわよ。」

−え〜、もちろん全然構いませんが、次の戦いが年代的に最後の戦いですけど。

「だから参加するのよ」

 

 ということで、1818年からの第四次ナポレオン戦争にはイタリアも参戦したのであった。この戦争にはオーストリア・ポルトガルもフランスに宣戦布告するというオマケもついた。

 第四次ナポレオン戦争の結果、ドニエプル=ドニエストル川がロシア=ポーランド国境に、ヴィスワ川がポーランド=プロイセン国境に、ライン川がプロイセン=フランス国境となった。
 ポーランドはバイエルンおよびボヘミア地方を治めてはいるが、強国二つに挟まれた苦しい状態でVictoriaをスタートすることになる。

 最後に、ビザンツ帝国の中核州ではないボスニア、ワラキア、モルダヴィアを属国として作成、イタリアもスイスを属国として作成し、1819年12月30日のゲーム終了を迎えたのであった。

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 よくみると、イングランドがシナイ半島やフランスのガスコーニュを領有しているとか、フランドルがポルトガル領になっているとか、フィンランドのど真ん中、サヴォラクスがプロイセン領だったりとか、微妙なところはあるが、そんなに違和感のない欧州情勢となった。

ウィーン会議での感想戦(1819)

 さて、400年の長きに渡って行われたAGCEEPグランドキャンペーンマルチプレイもここに完結である。サヴォイアからスタートし、見事イタリアを建国したナヴィアさんの感想。

 

「後から読むと、結構ヘタレなプレイヤーね、私w」

−セーブ・ロードができないと、なかなか博打的な戦争はできませんですなぁ。

「イタリア建国しようと思ったら、列強がイタリア半島に介入する前じゃないと厳しいわ。そうなるとスペインがミラノを併合する1540年より前に行動しなきゃならないから、難易度最高だとこの辺が大変だったわ」

−そういえば、イタリアが建国されてから、後半は戦争全然してませんでしたね。

「イタリア南部には、大義名分がつかないし…」

−って、よく見たらオーストラリアとかニュージーランドとか、全部イタリア領になってるじゃないですか!?

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「え…、あ〜、革新主義で入植者を確保するのが大変だったわぁ」

−おまけにシベリアにも進出してるし。

「まあ、ビザンツ帝国だって、極東一帯を押さえてるし、おあいこ」

−あれはロシアとの交換用で、全部交易所なんですけどね。

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−他国の動静はどうでしたか

「いっつもフランスに食べられるドイツ諸国は、今回は頑張ってくれたけど、代わりにポーランドが大きくなったわね」

−イングランドがヘボかったような…

「そういえば、全然目立たなかったわね」

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−英国インド会社はどこに(涙)。これだけ東南アジアに小国が生き残っても、Victoriaに国タグ用意されてませんなぁ、困りましたなぁ。

「北米なんてもっとひどいわよ」

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「史実のイングランドの役割を、デンマークが果たしたようね。そういえばアメリカ合衆国って建国されてなかったっけ?」

−あ〜、合衆国は、1817年にデンマークに外交併合されちゃいましたね。

「AIの入植は、かなりましな方だとおもうけど、20年ごとにセーブして一旦ゲーム終了してたのが良かったのかしら」

−そうですね。20年ごとにゲームを再開しなおす技は、-The Greatest AIの作者さんが勧めているんですが、これをやるとAIが活性化されるのか、良い感じでしたね。

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「南米なんて、まさに史実通りと言った感じね」

−さて、これからVictoriaに移行するとしたら、どんな流れになるんでしょうかね。

「なにしろデンマークが強力だから、丁普戦争とか、結構やばいんじゃない?」

−それよりも、プロイセンとオーストリアの国境が南ドイツにしかないし、そもそもボヘミアをオーストリアが所有してないから、普墺戦争が成立するのかどうか…。ああ、ポーランドが存在するから、プロイセンで自由主義革命を乗り切るのは楽でしょうなぁ。

「結局、植民地競争が鍵になるわね」

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「アフリカは当然として、このデータを引き継ぐと、北米も植民地競争の舞台になってしまうわよね」

−アメリカ合衆国が建国されるのか、そして北米の覇者になれるのかで変わってきそうですが、この終了時の状態を見る限りはモザイク状態になりそうですね。

 

「弱小国で開始しても、最初はキツかったけど、最終的にはやっぱりプレイヤー国は楽勝モードになるわね」

縛りルールとかを導入しても面白そうですね。

「うん、それぐらいのハンデがあった方がいいかも。ただ、その場合イタリア建国はほぼ不可能になるでしょうけどねw」

−貿易競争とか、プレイヤーがもう一人いたらもっと面白かったでしょうねぇ。

「あは、それは面白そう。次やるとしたら3人とか、もっと大勢ですると面白いかも」

 

雑感

 ちなみに、20年ごとにセーブして一旦終了の手順を踏まずに、普通にゲームを進めた場合の北米の入植状況は下記のようになる(これは別のグランドキャンペーン終了時の状況)。手順を踏んだ場合との違いは一目瞭然である。

anotherEND.jpg

 また、EU2VICコンバーターを用いてVictoriaに移行する場合、勝利ポイントが威信にコンバートされる。その兼ね合いもあり、ミッションの設定を禁止(〜を保持、等をマメに続けるといくらでも勝利ポイントを稼げるため)したのだが、最終的な勝利ポイントは下記のごとくとなった。

GAMEEND.jpg

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Last-modified: 2006-07-18 (火) 04:31:10 (3997d)