第7夜 †イングランドの対外政策は欧州内での勢力の均衡に主眼をおいており、それは17世紀まで機能していた。しかし、目の届かないところでオスマン帝国は着実に勢力を伸ばしていたのである… 2度におよぶイングランド=オーストリア戦争で、イングランド大陸軍はオーストリアの首都ウィーンを陥落せしめ、これまで未知であったオスマン帝国方面の地図の入手に成功した。 が、その衝撃は深いものであった。 オスマン帝国はペルシア全域を手中に収めつつあった。そもそもサファーヴィー朝ペルシアが成立しておらず、なぜかマムルーク朝が生き残っており、そして一度はロシアに滅ぼされたアストラハンが反乱独立により復活し、しかもオスマン帝国の属国となっているのである。 R「アストラハンに手を出したらオスマン帝国と戦争になるわけで、そしたらまずもって勝ち目がなくって…」 頭を抱えるRyoであった。 イングランド内戦! †三十年戦争への介入がスカに終わったイングランドだが、ついにピューリタン革命がやってきた。これは1642年から始まる一連のイベントとして再現されている。 要は、王と議会の衝突で、最終的に王が処刑されて終わってしまうのだ。 まずは1642年のイベントからで、これで各地の反乱リスクが上昇することになる。 財政的にも対外的にも問題がないイングランドの現状では、この程度の反乱であればあっさりと殲滅可能。もちろん、戦争中だったらやばいに違いない。 でもって、鉄騎隊を率いる議会派のオリバー・クロムウェルがチャールズI世を処刑し、イングランド史上唯一の共和制時代が到来することになる。 国の紋章が変わると、なんだか気分も一新されるのだが、国境が改革派になってしまったせいで、プロテスタントとは仲悪くなるは、もちろん反改革派カトリックとも仲悪くなるは、安定度コストは跳ね上がるは、入植者も送れない(後にプロテスタントに戻るのは判っているから)は、おまけに… ブルターニュ、スペイン、ポルトガルとサヴォイアから宣戦布告されちまったYO! |