687年、テルトリーの戦いをもっておよそ1世紀にわたったフランク王国の分裂に終止符が打たれました。統一された王国はいまやガリア・ゲルマニア・イタリア北部といった広大な地域に及んでおり、カール大帝の登場を待たずして復活西ローマはなったも同然といえましょう。ゲーム終了まであと133年。アキタニアやイタリアを征服し、より完璧・史実に近いフランクの領土を目指しても良いのですが、それでは残り時間のわりにやることも少なく、少々つまらない・・。

よって、今後は目標を完全なる「ローマ帝国」の再興に切り替え、プレイを続けていくことにしました。

687年のフランク王国の状況と今後の戦略

今後の戦略

では687年、テルトリー直後のフランク王国の状況について話していきたいと思う。
まずはヨーロッパの勢力図を。

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旧西ローマ帝国の領域は、我がフランク王国が広大な地域を有しているとはいえ、未だ諸勢力が乱立している状態にある。ブリテンに割拠する4勢力や、イベリアの覇者ヒスパニアを降すのはいかなフランク王国とはいえ容易なことではなかろう。
また、アキタニアやブルグントなどガリアに巣食う勢力は獅子身中の虫と言え、ここを併合するのも急務といえる。
東に目を向けると東ローマの領域が否が応にも目に付く。コンスタンティノープル・チュニジア・アレクサンドリアと3つのCOTを有し、地中海を完全に掌握する東ローマは今まさに最盛期を迎えている。国内も安定し、これといった反乱もみあたらない。この帝国こそが、我らが悲願、ローマ帝国再興の最大の障壁であるといえよう。
また、黒海沿岸からカスピ海にかけてはアヴァールが強大な勢力を誇っている。

687年時点の各国の力関係は以下のような感じ。先の半世紀、技術開発のほとんどは安定度回復に費やされていたためわが国は完全な技術後進国だ。特に陸軍Lvは深刻で、ペルシアなどが早くもLv9、CRTの向上を迎えているのに対しわが国は未だLv7、結局Lv9に上がったのは40年後の721年だったため、この間先進国との戦闘ではずいぶん苦しめられた。
収入でみた国力はローマに次ぐ第二位であり、三番手にはペルシアが来ている。

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さて、今後の戦略であるが、まずは各地に割拠する諸勢力をひとつずつ潰していって、旧西ローマ帝国領を統一したいと思う。現在のBBRは12.0と割と低めだが、それでもこれら全てを征服しようと思ったら限界地を越えてしまうだろう。よってBBWは必須になってくる。なので、それまでに東ローマ・アヴァールと同盟を組み、統一戦の際にこれらニ大国の干渉を排除する必要がある(BBWの際に同盟国からは宣戦布告されないことを利用する)。もしこれら二国の干渉を排除できなければ、ハンガリーやイタリアから侵略を受け、西ヨーロッパ統一どころかその前に国家自体が崩壊してしまうだろう。この二国以外は恐らく大丈夫。これらを除く全ての勢力から宣戦されても生き残るだけの力はフランク王国にはある。
西ヨーロッパ統一後は東ローマとの関係を破棄し、アヴァールとともにこれを撃破・征服し東西ローマの統合を再現する、というのがグランドラインであろうか。

国内の状況

国内政策だが、メロヴィング王朝編で言ったように、まずは陸軍主義を、次いで保守・農奴制にふっていったのだが、重大なことを失念していた。中央集権化スライダーの技術コスト減も安定度回復に寄与しているということだ。なので、中央集権化も進めなければ安定度回復のスピードはあがらないようなのだ。現に「内乱の時代」では保守・農奴制マックスだったにも関わらず最高投資で二年に1の安定度を得られる程度だった。このことに気づいてからは中央集権化を進め、なんとか一年半に1くらいのペースで安定度を得られるようになった。今後も引き続き中央集権化を進めていったが、1.08verでは外交併合することでも中央集権が−1されるようで、西ヨーロッパ統一戦の際に外交併合を多様したこともあって、思うように中央集権化が進まなかった。

以下は687年時点の国内政策スライダー。

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次に宗教政策であるが、前の時代の改宗事業は大きな成果をあげ、アンハルト・バイエルン・ボヘミアの一部の州を除きドイツ全土がキリスト教化した。異教は宗教の寛容スライダーに存在せず、反乱リスクにペナルティを持つため、戦争が長引くたびに異教の多いドイツの情勢は不安定になっていたために、この改宗は収入増と反乱リスク減少と大きな意義をもっている。特に、今後はBBWを控えており、戦争は長期化する傾向にあると思われるため、ここでドイツが安定化したことは大変喜ばしいことである。

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ピピンのイベリア・ブリタニア遠征(687〜699)

遠征前夜

実際の展開である。テルトリーの戦いに勝利した中ピピンは今やフランク王国唯一の宮宰として全権を掌握する身となった。メロヴィング朝の王達は確かに存在してはいるのだが、実権はないに等しく、有名無実と化している。よって、これからはカロリング朝の君主を中心にして話を進めていきたいと思う。

宮宰ピピンの最初の仕事は旧ネウストリア領の反乱を鎮圧することだった。ネウストリアは度重なる戦乱によって反乱が頻発していたようで、領土継承時、多くの州で反乱が起きていた。特に先の時代にネウストリアが西ゴート王国より獲得したイベリア領は半分が反乱軍に占拠されており、ここの反乱の鎮圧は急務といえた。反乱を鎮圧するかたわら、ピピンはネウストリア領域に州税官を配置していくなど、内政にも着手。

2年ほどかけてこれらの問題を片付け、国内を安定させたたピピンは外に目を向ける。フランク王国の統合に成功したピピンには大きな野望があり、それを達成するためならばどんな苦労も厭わぬ覚悟であった。彼の夢は完全なるローマ帝国の復活。395年に東西に分かたれた帝国を復興することにあった。しかしながら、東には正当なるローマの後継者、西の帝国とは異なり脈々とその命脈を保ってきた東の帝国がある。しかも今最盛期を迎えており、これを差し置いて、ゲルマンの一部族に過ぎなかったフランクの長が帝国復興などとは一笑に付されるのが普通である。しかし、フランク族の統合に成功したピピンも今や西ローマ帝国の旧領の大半を治める身であり、彼ならば西ローマの後継者を自称してもおかしくはないかもしれない。

ピピンは、西ローマの後継者としての自身の立場を確固たるものにするために、旧西ローマ帝国領に巣食う諸勢力を討伐していくことを決意した。最初の標的はヒスパニア。西ゴートを撃破し、今やイベリア全域を支配する新興国だ。また、ヒスパニアはブリテンの諸勢力(レジェド・ストラスクライド)と同盟しており、ヒスパニアを叩くことで、ブリテンも同時に叩くことができるという寸法だ。

689年3月、ピピンは貸した金が返ってこないことを理由にヒスパニアに宣戦布告。これがこの後およそ60年にわたって続く、西ローマ帝国領統一戦争の始まりであるとは、ただ一人ピピンを除いて、誰一人知る由はなかった。

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対ヒスパニア戦

現在のフランク王国軍は12万(ちなみにサポートリミットは18万)。遠征にあたってピピンはこれを大きく3つに分けた。
まずは自身が率いるヒスパニア侵攻軍6万。これはアラゴン・ヴァレンシアのそれぞれに配置し、開戦と同時にヒスパニア領に踏み込ませる。
次にブリタニア侵攻軍3万、ケントに駐留させた。これは専守防衛を旨とし、余裕があればウェセックスに侵攻させる予定だ。恐らく3万程度の軍勢ではブリテン島の大半を有するレジェド・ストラスクライド連合軍を倒すことはかなわず、各個に撃破されてしまうのがおちである。なのでブリテン島への本格的な進行はピピン率いる主力軍がヒスパニアを降し、ブリテンへ転進してきて後、ということにした。
残る3万は反乱軍やいざというときに備え国内の各地に配置した。また、これら12万とは別個にガリアにて新たに3万の兵を徴募し、対ヒスパニア戦線に送ることになっている。

ちなみに、軍の質はというと、戦争に参加する5カ国全部が陸軍Lv7。互角である。ただ、国内政策で陸軍主義に振っている関係からやや、フランク軍の方が優秀といえる。しかしながらLv7前後ではダイスの目いかんで戦闘はどうにでも転ぶのであまり質をあてにしてはならないと思われる。

東ローマの間接的介入と戦いの終結

対ヒスパニア戦線は順調に推移していき、692年10月までにジブラルタルを除く全域を占領。ピピンはアルグレイブ攻略後、軍艦によってブリテン島まで移動を試みる。そのときピピンの元に驚きの報が入る。なんと東ローマ帝国がフランクの属国・ランゴバルトに宣戦布告したというのだ。東ローマはピピンが宣戦布告する直前、クタマ族と交戦状態に入っており、これを聞いたからこそピピンはあの時期にヒスパニアに宣戦することにしたのだ。話を聞くとクタマ族はこの数ヶ月前に降伏しており、フリーになったローマは今度はランゴバルトに宣戦してきたとのこと。東欧方面に残した軍勢は1万5千。これではランゴバルトを助けることはできない。一応ランゴバルトからの参戦要請は受諾するものの、未だブリテンに無傷の敵を抱えるピピンに援軍を派遣する余裕はなく、ランゴバルトはこの3年後にシュタイアーーマルク・クライン・ペストの3州を東ローマによって奪われることになる。

さて、東ローマと交戦状態に入ってしまった。このことにより地中海はもちろんのこと、ブリテンまでの航海の安全も危ういものとなってしまった。それでもピピンはアルグレイブよりの出航を強行。案の定・・

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フランドル・カレー基地より出航してきた東ローマ艦隊とブルターニュ沖にて大規模な海戦が発生。ピピンは辛くもこれに勝利し、ブリテンにまでたどりつくが、今後航海には常に危険が伴うことになった。

ともあれ、693年8月にジブラルタルが陥落、ヒスパニアは降伏し、フランク王国の属国となった。ブリテン戦線も順調に推移し、697年5月にレジェドが、699年1月にストラスクライドを属国化する。

これにて実に10年にわたって続いたイベリア・ブリタニア遠征は幕を閉じた。

東ローマ帝国の怒りとピピンの敗北(699〜709)

アキタニアの挑戦

10年にわたる一連の戦争は結局はピピンの一人勝ちに終わった。ただひとつピピンが悔いていることといえば、属国であるランゴバルトを守れなかったこと。東欧をこのまま放置しておけば、いずれランゴバルト・ゲピドは各個に撃破され、東の帝国に併合されてしまうように思われた。イベリア・ブリタニア遠征後、ピピンはこの2国の外交併合に着手。701年までにこれを達成する。しかしながら、これによって上昇したBBR(外交併合直後、BBR=17.7)が新たな戦乱を呼び込むことになった。アキタニアが宣戦布告を通達したきたのである!

アキタニアは当時東ローマ帝国を同盟しており、かの国がこの強力な同盟主を頼りとしていることは明白だった。フランク王国にとっては二度目の衝突となる。この時期東ローマはすでに陸軍Lv9に達しており、CRTの向上を迎えていた。対するわが国は未だLv7。ために、正面きって戦っては敗北は必死である。ピピンは戦争の同盟主であるアキタニアを撃破し、東ローマとは事を構えないことを決める。東ローマの侵攻に対し、ただちに北イタリア・東欧国境地帯に駐留していた軍に退避命令が通達され、同時にピピン率いる6万の軍勢が電撃的にアキタニア各地を攻撃。戦争はわずか1年半で終結し、アキタニアもまたフランク王国の属国となった。

このあまりにすばやい行動に東ローマ側はなんの対応を起こすこともできず、ただただ歯噛みするのみだった。

北アフリカ遠征

対アキタニア戦後、ピピンは長年続いた戦争によって疲弊した国土を休めることにした。ここに束の間の平和が実現。といってもピピンはただ無為に時間を過ごしていたわけではなく、新たに属国となったヒスパニア・レジェド・ストラスクライド・アキタニアの4国との関係を改善。フランク盟主のもとで同盟を組ませた。さらに、東ローマの介入を排除するために、多額の金を贈り、婚姻を結ぶ。上洛前に背後の安全を確保するために信玄に対しへりくだり、婚姻を結んだ織田信長のようだ。

この間ヒスパニアは独自に西ゴートとの間で戦端を開いており、著しく領土を拡大。西ゴートを一州のみに追い込む。これにはピピンもおおいに喜び、ヒスパニアの君主を褒め称えた。これでイベリア半島は完全にフランクのものになったといえる。

705年、ピピンは新たな遠征計画を披露する。それは北アフリカに遠征し、クタマ族を併合するというものだった。クタマ族が先に東ローマと戦い敗れたことは語ったかと思うが、ここを放置しておけばクタマ族が東ローマによって併合され、北アフリカ全域が東ローマの支配下に入る可能性もある。西ローマの再興を目指すピピンにとってそれだけは避けたいことだった。それにこれ以上東の帝国が強大化することは到底容認できるものではない。なので先手を打ってこちらがクタマ族を併合してしまおう、ということだった(クタマは異教なので一発併合できる)。

<705年のイベリア・北アフリカ>

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705年9月、ピピンはまたもローンによって大義名分を得て、クタマ族に宣戦布告。宣戦と同時にピピンは6万の兵率いてをフェズに上陸。それを2隊に分け、一方をアトラス方面へ、もう一方をタンジール方面へと向かわせた。クタマ族への攻撃はピピンの予想をはるかに超えて、困難を極めた。供給限界の低い州に加えてアトラス山脈という天然の要塞に立てこもる2万余の軍勢。しかも、またしても陸軍技術Lvは同等。士気の差はほとんどない。さしものピピンもしばしば敗退を余儀なくされる。

東ローマの侵攻

戦役2年目、苦戦するピピンのもとに驚愕の報がもたらされる。なんと、東ローマが我らに宣戦布告してきたというのだ!!我々は婚姻を結んでいたというのに!
先のイベリア・ブリタニア遠征に加え、アキタニアの属国化、今回の北アフリカ遠征とピピンは少々やりすぎた。東ローマの帝国の不興を買ってしまったのだ。また、帝国側は、分裂状態から脱して後のフランク王国の不気味なまでの急速な成長が空恐ろしくもあった。わずか10年足らずの間にイベリア・ブリテンの大半を勢力下に置いてしまうとは!帝国は思う。今のうちに叩いておいた方がいい。特に陸軍の技術に差がある今のうちに。この決意の前に両者の姻戚関係なのどなんの障害にもならなかった。

これにはピピンも絶望する。最悪の展開が頭をよぎる。

ピピンは婚姻によって背後の安全を確保したつもりであったから、東ローマに対する備えを全くしていなかった。現在彼とともにフランク軍の主力は北アフリカにあり、国内はわずかな国境警備隊を残すのみ。さらに、地中海は東ローマの艦隊で溢れており、本土から来たアフリカへの兵の輸送は困難を極める。下手をすれば北アフリカ遠征が失敗するどころか、自身も命を落としかねない危険な状況。とりあえずクタマ族とは適当な条件で講和をし、本土に転進する手もあったが、ピピンは執念で北アフリカ遠征を継続。北イタリアや東欧の諸州を東ローマに蹂躙されつつも、隙をみては兵を艦隊で輸送・クタマ族を徐々に追い詰めていく。

途中ピピンは、東ローマに対して反撃を試み、国内の兵をかき集めて東ローマに挑むよう北アフリカより指示するも、CRT向上を迎えている敵軍に対してフランク軍はあまりに無力。二倍の兵数で挑んでも惨敗する有様である。何度目かの試みの後、今のフランク軍では東ローマに勝てないことを悟ったピピンはそれ以降東ローマに対して野戦を挑むことを固く禁じ、自軍には敵に陥落させられた州を奪還するのみの指示を与えた。

東ローマ参戦より2年、ようやくクタマ族を降し、その所領を完全併合を達したピピンは東ローマに対しても講和を打診。条件はダルマティアの割譲。東ローマはこれを受諾。時に709年10月のことっだった。

北アフリカ遠征は成功に終わったものの、東ローマに対してはピピンの完全なる敗北だった。ここに東ローマは375年の東西分裂以来最大の版図を達成する。

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ローマ帝国の旧領のうち3/4までを支配下に治めた東ローマ帝国。しかも、此度の戦で西ローマの継承者と密かに目されていたフランクの王も一敗地にまみれた。誰もが思った。この東の帝国こそが直にガリア・ヒスパニア・ブリタニアといった残りの諸州を征服し、東西ローマの統一を達成するのではないかと。
ただ一人、ピピンだけはこれにこりず、早くも、来るべき復讐戦の用意を始めていた・・。

フランク王国の逆襲(709〜714)

王国の危機

ピピン率いるフランク王国は東ローマ帝国に完敗した。最も悪いときには、割譲したダルマティアに加え、エミリア・ロンバルディア・オーデンブルク・ヴェネチアなどの州も占領されており、一州のみの割譲で済んだのは奇跡といって良かった。折りしも東ローマの東方、アルメニア地方で大規模な反乱が起こっていたことと、ピピンが奪われていた州を丁寧に奪還していき、講和締結時には占領州がダルマティアのみという状態にもっていったことが大きかったといえる。それでも、要塞レベル最小の州などは東ローマの突撃一発で落ちるような状態にあり、それをここまで持ち返したのはピピンの手腕といってよいだろう。また、東ローマ側は艦隊を集中運用しておらず、一隻一隻が各海域に浮かんでいる状態であったため、我が艦隊(60隻あまり)を、北アフリカへの兵の輸送のかたわらぶつけていき、各個撃破していくことで戦勝点を稼ぐことができたのも良かった。

なんとか東ローマとの戦争を終結したピピンであったが、これで全てが終わったわけではなかった。というよりも、これは始まりにすぎない。というのも、今回東ローマは結んでいた婚姻関係を破ってまでフランクを攻撃してきたのだ。このことから、東ローマが休戦期間の切れるほぼ5年おきにフランク王国に宣戦してくるであろうことは明白である。実はこの時点で東ローマ側の未回収のコア・プロヴィンスをもっているのはフランク王国のみで、加えて20近くあるわが国のBBR、東ローマとわが国の国力差(東ローマはフランクの1.5倍くらい)を鑑みるに、これは確実であると思われる。ビザンツAARでプレイヤーが再三オスマンに宣戦をくらっていたのと状況は酷似しているといえよう。

東ローマは北イタリアを完全に奪うまでは侵攻をやめない。

ピピンの当初の計画では、東ローマと事を構えるのはもう少し後の予定であった。少なくとも、陸軍Lvが9に達し、東ローマの軍と対等に戦えるようになるまで、また、西ローマ帝国の旧領を全て手中に治めるまでは決戦は見送るつもりであった。だからこそ多額の贈り物をしてまで婚姻関係を結んだのだ。しかし、最早そうも言っていられない。5年後の東ローマの再度侵攻を撃退できなければフランクに未来はない。

ピピンは彼我の戦力差を埋めるための策を考えていった。そして至極当然、というか単純な結論に至る。要するに戦わなければいいのだ。野戦になれば必ず負けるから戦わない。相手に包囲された州は申し訳ないが見捨てて、そのぶん逆に相手の州を包囲する。自軍の州が占領されたら敵がいなくなったのを見計らって奪還。これを繰り返すのである。このため、ピピンはイタリア侵攻用にエミリアに4万、ロンバルディアに3万、バルカン侵攻用に、トランシルヴァニアとルテニアそれぞれ1万の兵、オーデンブルクに3万の兵を配置した。約11万という大軍が東ローマ・フランク国境地帯に配置される様は壮観だった。

また、この5年の休戦期間を利用して、ピピンはヒスパニア・レジェドを外交併合。これによって東ローマとフランクの国力差はやや縮まった。

<決戦直前のフランク領>

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ピピンの死と東ローマとの戦い

714年1月、ピピン死去。享年74歳であったと伝えられる。ここからは少し史実の話を。
ピピンの死後、一時期フランク王国は混乱状態に陥った。ピピンの正妻の子は皆父より早くに亡くなっており、後継者の地位をめぐって内乱が起こる。結局この内乱を終結させ、権力を掌握したのは軍事的才能に恵まれたピピンの庶子のカール・マルテルだった。トゥール・ポワティエ間の戦いで歴史に名を馳せる英雄である。

ピピンの時代には、フランク王国は未だメロヴィング家の王戴き、ピピンはあくまで宮宰として王国を統治しいたのだが、マルテルの時代には、737年に国王テウデリック3世が後継者指名をしないまま亡くなると、マルテルは王位を空白としたまま王国の統治を行った。最早王国がカロリング家の物であることは明らかで、マルテルの子小ピピンの時代になると正式にメロヴィング家の王は廃され、カロリング朝が開幕することになる。


話を元に戻そう。ここからはゲーム(架空)の話。ピピン死後、今は東ローマという強敵に対し挙国一致で戦うとき、と誰が宮宰(事実上の王)の地位につくか、という話はとりあえず保留ということになった。だが軍の指揮となるとそうもいかない。総司令官なき軍隊など烏合の衆も同然である。ピピンの後を継いで軍隊の指揮を執ったのは庶子カール・マルテルで、彼はこのとき28歳。若き総司令官は父の時代からイベリア・ブリタニアなどに従軍し、経験を積んでいた。その血筋と、経験を買われての就任だった。

714年11月、予想通り、休戦期間が切れると同時に東ローマから宣戦を受ける。どうやら先の反乱の影響もあってか、主力の一部が中東にいるようで、前の戦いほどの圧力を感じない。マルテルの卓越した指揮もあって、戦線は順調に推移し、敵がチロルを包囲下におく間にこちらはフィレンツェ・シエナ・ローマ・シュタイアーマルク・バナト・ワラキア・セルビアを包囲下に置く。敵は我が軍には見向きもせずにチロルへの集結を図っており、このままこの状態が続けば先に挙げた全州を占領下におくことができるだろう。攻撃は最大の防御というやつのまさに好例。前回は後手に回ってしまったために東ローマに付入る隙を与えてしまったというわけだ。前回、もう少し上手く立ち回れば無償講和も可能だったかもしれない。

このまま戦争はフランク軍優勢のもと進んでいくかのように思われた。しかし、マルテルは味方に足をすくわれることになる。それは、東ローマに対して勝利した勢いを利用してマルテルが宮宰に就任、王国の統治に乗り出すことを危惧した輩の仕業であった。

内戦、再び

715年6月、マルテルに反対する勢力が各地で一斉に蜂起。味方の思わぬ反応に、マルテルは思わず舌打ちする。今はそんなことをやっている場合ではないのに。

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マルテルは戦力分散の愚を知っていた。だから反乱軍には一切戦力を割かず、東ローマ戦に集中することにした。いくらここまで優勢に事を運んできたからといって、相手は自国よりも格上の大帝国。一瞬の油断が戦線崩壊を招きかねない。反乱軍の相手をするのは東ローマを降伏させてからだ。そう、マルテルは強く思っていた。

さて、716年に入り、先に包囲下に置いていた各州が陥落する。この時点で戦勝点は62%、国土は反乱軍に蝕まれ、こちらの状況もギリギリだが、ここで州のやり取りなどの講和をしても根本的な解決には至らない。休戦期間の切れる5年後、東ローマはまた宣戦してくるだろう。この状況を切り抜けるにはただひとつ。東ローマの属国化である。
というわけで、マルテルはこの戦争の目的を東ローマの属国化に定める。属国にしておけば、同盟を組むのが容易になり、同盟を組んでおけば今後東ローマに宣戦布告されることもなくなる。これは今後西ローマ帝国領統一戦時にも大いに役に立つであろう。また、同盟さえ組んでおけばAIは勝手に属国関係を破棄するような真似はしなくなるのも嬉しい。

マルテルは艦隊に命令を下し、海路3万の部隊を敵首都コンスタンティノープルに送り込む。これが成功すれば恐らくは東ローマも属国化提案に同意することであろう。マルテルのこの試みは成功し、718年4月、ついに父の時代から頭痛の種であった大帝国は我がフランク王国のもとに膝を屈した。

ローマ降伏.JPG

だが気を抜くのはまだ早い。国内は先にあげた反乱軍に蝕まれており、イベリアやブリタニアなど、併合間もない地域ではナショナリズムと戦争による疲弊のために反乱が頻発し始めていた。

カール・マルテルの戦いはまだまだ続いていく・・。




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Last-modified: 2006-09-01 (金) 17:33:26