オスマン帝国の終焉

 アテネ公国とヴェネツィアとの戦争の間にオスマン帝国との休戦期間が終了しました。もはや待つ必要はありません。ヴェネツィアとの和平から4か月後の1465年8月、オスマン帝国に宣戦布告します。今回は同盟国の参戦は必要ないので単独での戦争です。

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 もう敵ではありません。


 オスマン帝国軍はあっさり全滅し、あとはひたすらThraceを包囲します。1466年5月ついにThraceは陥落。オスマン帝国はここに滅亡したのです。
 ここで首都をThraceに遷すか、Serbiaのままとするかの選択イベントが発生します。「セルビア人とローマ人の皇帝」を目指す立場としては、やはりConstantinopleこそが首都にふさわしい。ということで遷都です。

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 この改宗で自国領すべてが正教となりました。

セルビア帝国の誕生

 オスマン帝国の滅亡により長きにわたってその属国となっていたワラキアが解放されました。同盟に迎え、そしてセルビアの属国とします。1468年9月にはアルバニアも属国とし、ここに(俺の脳内)セルビア帝国が誕生しました。

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 濃い緑がセルビア、薄い緑が属国
(アルバニア・ワラキア・モルダヴィア・トレビゾンド)領です。


 さて、ここで我が帝国の方針ですが、

  • 当初の目標通り、ユーゴスラビア領域の領有、そしてバルカン一帯の制圧を目指す。
  • その前に立ちはだかるハンガリー、そしてオーストリアに対抗しうる国力をつける。
  • そのためには東方のイスラム諸国と戦い、豊かな地を手に入れる。
  • BBRを無駄に上げず、また州数増加による種々のコスト増加を避けるため、豊かでない州はできるだけ属国に取らせる(だって消費税インフレ率23.8%ですよ奥さん)。  というところでやっていこうと思います。

これってBBW?

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 こうして見るとパッとしませんね〜


 上記方針に基づき、目標とすべき州は、

  • 宝石・貴金属を資源とするArmenia
  • 交易センターを持つAzerbaijan・Alexandria  となります。Azerbaijanの交易センターは1597年以降イベントでサファーヴィー帝国の首都がIsfahanに遷るときになくなってしまいますが、それまででも十分に帝国経済に貢献してくれることでしょう。
     と考えていると、属国のトレビゾンドがArmeniaとAzerbaijanを保有する我らの標的、黒羊朝に単独で宣戦布告しました。
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 左上隅の薄い橙色がトレビゾンドです。黒が黒羊朝、
その東の茶色がティムール帝国。


 おいおい、いくらティムール帝国と戦争中とはいえ、そんな大国に単独で喧嘩売る気かよ!おかしいと思ってよく見ると…

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 スーパー悪い子ちゃんだったようです。


 セルビアは黒羊朝に対して大義名分を持っていないので、宣戦布告するとBBRの上昇が大きいのでここは静観します。死なない程度に頑張ってね。
 しかし、これ以降黒羊朝にとって悪夢のような展開が続きます。まず1468年11月、イベント「White Sheep Ascend, Black Sheep Descend」によりAzerbaijanとKirkukが白羊朝に奪われます。これでSivasとArmeniaは孤立する形となってしまいました。1469年2月にはラマーザーンが宣戦布告し、その同盟国であるカラマンとマムルーク朝も参戦します。1469年6月Aleppoでドゥルカディルがマムルーク朝から独立、マムルーク朝は政府崩壊を起こしますが、ドゥルカディルが同盟に参加することで参戦。1470年4月にはカヘティにも宣戦布告されます。1470年8月にティムール帝国から80ダカットを得て和平を結びますが、1471年9月には我が属国アルバニアも単独で宣戦布告。っていうかお前ら無視するなよ…誘ってくれよ…orz
 黒羊朝国内では反乱も相次ぎ、1472年7月にAwhazでアッバース朝、Quatarでアル・ハッサ、Baluchistanでバルキスタンが独立、政府崩壊を起こして終戦となりました。トレビゾンドはArmeniaを占領していたので、TurboannexationによりArmeniaを手中に収めたのです。

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 凋落した黒羊朝。ティムール帝国はさらに悲惨ですが。

地中海の花嫁を掻っ攫え!

 Armeniaはトレビゾンドに持っていかれたので、目標はAzerbaijanかAlexandriaかということになりましたが、白羊朝にもマムルーク朝にも大義名分がないので待つことにします。少々もどかしいですが、このプレイではBBRをできるだけ上げないことを目標にしているので、可能な限り理由なき宣戦布告は行わない方向でいきます。それに、SmyrnaやAnatoliaのナショナリズムがまだ残っていますので、それが減少するのを待つということで自分を納得させます。
 そうこうしていると、1483年2月、マムルーク朝が属国のラマーザーンを外交併合しました。これでマムルーク朝に対する2年間の開戦理由が得られます。1483年11月、マムルーク朝に宣戦布告します。

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 マムルーク朝とその同盟国。


 ドゥルカディルは同盟の履行を拒否したため、マムルーク朝とカラマンとの戦争になります(同盟主はカラマン)。今回の目標はAlexandriaの奪取およびアナトリアでの属国による勢力拡大(KonyaとAdanaを属国に取らせる)です。
 KonyaとAdanaの占領は属国に任せ、セルビア軍はカラマンの首都のあるTaurus、そしてAlexandriaの占領に集中します。
 まず1487年1月、カラマンと和平を結びます。Konyaはモルダヴィアが占領しました。モルダヴィアにはヒストリカルリーダーのStefan the Greatが登場しており、属国同士の占領争いの中で優位に立っているようです。

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 セルビア軍はAlexandriaをはじめ、Egypt・Deltaなどを次々と占領。Alexandria割譲に必要な戦果ポイントを稼いでいきます。そしてNileを包囲してあと少し、というところでマムルーク朝の36000の兵が接近!

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 接近する敵主力…


 現段階では陸軍技術力はともに2で互角、となると数で劣勢のセルビア軍は不利です。ここは和平を急がなければいけません。恐る恐るAlexandriaとAdana(モルダヴィアへ)の割譲を要求します。
 …マムルーク朝は和平に応じました。ふぅ。

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 ちょっと危なかったですが予定通りCoTゲットです。

対ヴェネツィア戦

 1489年2月、イベントでキプロスがヴェネツィアに併合されました。Cyprusはこちらの中核州になっていますが、キプロス領のまま手に入れると武力併合となってしまいBBRが+6されてしまうため手を出さずにいました(同じ理由で聖ヨハネ騎士団にも手を出していません)。ヴェネツィア領になればもう遠慮は無用ということで、早速軍事行動に移ります。

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 1489年6月の状況。ヴェネツィアはアテネ公国およびオーストリア(白)・
ティロル(橙色)と同盟し、ミラノ・サヴォイア・ジェノバ・教皇領の
イタリア同盟と戦争中です。


 敵の同盟にはオーストリアとティロルが入っていますが港を持たないので無視できます(オーストリアにいたっては参戦を拒否し同盟から離脱しました)ので、数の上でこちらが圧倒的に優位です。とはいえセルビアの海軍力はガレー船20隻と貧弱なのでヴェネツィアの首都のあるVenetoを攻略するのは不可能に近いので、IoniaとCyprusの割譲に必要なポイントを稼げるよう、アテネ公国には犠牲になってもらいましょう。
 アテネ公国軍は33000ほどいるのでそのまま突入しては不利なので、またしてもAlbaniaに誘い込んで撃破する作戦を取ります。敵にとってAlbaniaの供給限度はわずか6000、要塞レベルは普通なので、万が一野戦で敗北しても落とされる心配はないでしょう。

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 どこかで見たような(ry


 その間に別働隊はCyprusとIoniaに上陸してこれを占領。アテネ公国軍が壊滅した後にHellasを占領。1492年5月、ヴェネツィアはなんとかIoniaとCyprusの割譲に応じました。
 しかしこの戦争はそれだけでは終わりませんでした。1490年9月、我々との戦争で苦境にあったヴェネツィアとアテネ公国に対し、ハンガリーが宣戦布告していたのです。ハンガリーは火事場泥棒のごとく1493年11月にヴェネツィアを、1495年1月にアテネ公国を武力併合したのです。こうして次の相手はハンガリーに決定しました。

ハンガリー解体

 ハンガリーは1490年4月に発生したイベント「Death of Mathias Corvinus」によりポーランドの属国になっています。しかしそのポーランド自体がリトアニアの属国になっているためか、ポーランドとは同盟を結んでいません。陸軍技術力はハンガリーが6、セルビアは2と大差をつけられていますが、時間が経って先に火縄銃(レベル9)に到達されては勝負にならないので、属国総動員で「数の暴力」で勝負に出ることにします。1502年10月、セルビアはハンガリーに宣戦布告しました。

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 1502年10月、開戦時の状況。


 平地でまともにぶつかっては勝ち目がないので、敵の手薄な州を狙って占領、また渡河してくる敵を迎撃して対抗しますが、やはりこちらの損害も大きいです。

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 野戦でずいぶんポイントを失っています。


 1507年6月、Hellasをセルビアに、Transylvaniaをモルダヴィアに割譲させて和平を結びました。収入の多いTransylvaniaを奪ったことでとりあえず満足しましょう。
 その後は停戦期間が終了するのを待って宣戦布告を繰り返し、次第にハンガリー領を侵食していきます。オーストリアもそれに乗じる形で宣戦布告し、ハンガリーは急速に解体に向かいました。
 1521年4月、Bosniaを割譲させてハンガリーの持つこちらの中核州をすべて奪取しました。これで大義名分を失ったのでどうしようかと考えていると、1529年9月ハンガリーが属国ワラキアに宣戦布告してきました。わざわざ向こうからやられにくるとは…
 1532年10月にMarosをワラキアに割譲させて和平。こうしてセルビアとハンガリーとの30年にわたる戦いは、ハンガリーの衰退という形で幕を閉じました。

1507年6月
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1514年4月
1521年4月
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1532年10月
 オーストリアが着実に大国化しています。

Pavle Bakic'の登場

 1535年1月、セルビアの君主はPavle Bakic'になりました。

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 素晴らしい能力値です。


 貴族中心政治MAXでも外交スキル5と、BBRを下げるにはとっても役立たずな彼。そして統治スキルも3であり、改宗の成功率もとっても期待薄です。そして困ったことに1804年2月まで君臨してくれます…orz
 この時点でセルビアは中核州をほぼ回復し、あとはRhodesのみなのですが、ここは供給限度が14000しかないのに普通レベルの要塞があり、なおかつ陸海軍ともに技術力に差をつけられています。しかも聖ヨハネ騎士団は婚姻を受け入れないので、武力併合によるBBR+6のペナルティを避けるためには、属国を含む他国に武力併合させてからゲットするか、もしくはあえてこちらの州を割譲してから攻撃して属国化し、それから外交併合するという手段しかありません。ただいずれにしてもRhodes攻略自体がかなり犠牲が大きくなる上に、そんなに豊かな州でもないので、今回は運がよければ手に入れる程度で考えることにします。
 24.2%にまで達したインフレ率を下げるために知事に昇格できるインフラレベル5を目指しておとなしくしていたセルビアですが、1541年12月、「商人の苦難」イベントによりクリミアに5年間の大義名分を得ました。クリミアはギリシア文化の州であるKerchを領有しており、またその同盟国にはトレビゾンドと接するグルジアがいます。チュニジアとも同盟していますが、ここは目ぼしい土地もないので、適当に戦って和平を結ぼうかと思います。
 そんなわけで、1543年5月、クリミアに宣戦布告します。

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 クリミアとその同盟国。


 あまり苦戦して戦争疲弊度が上昇するとオーストリアが宣戦布告してきかねないので、早期終結を目指し、軍を二手に分けて海軍はチュニジアに向かわせ、残りはまずグルジアに向かいます。グルジア軍を蹴散らしIveriaを包囲。とはいえこのまま占領して武力併合するとBBRの上昇が大きいので、トレビゾンド軍が包囲に加わったのを確認し、ある程度包囲が進んだところでいったん包囲を解きます。こうすると占領の優先権がトレビゾンドに移ります。1544年6月Iveriaをトレビゾンドが占領。しかしトレビゾンドは属国なので勝手に和平は結ばないので、セルビアが単独でグルジアと無償和平。その直後、トレビゾンドがグルジアを併合しました。
 そして1546年2月にはチュニジア全土を占領。割譲させたいほどの領土はないので、そのまま属国化します。これで少しでも収入が上がるでしょう。技術コストも下がりますし。
 そしてクリミア攻撃と思ったのですが、ここで大事なことを思い出しました。

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 開戦時のクリミア周辺の状況。


 クリミアとは陸続きの州を持たないので、そのままだと船から上陸して攻撃することになります。チュニジアも同様の状況でしたがチュニジア軍は数が少なかったので問題なかったのですが、クリミア軍はそこそこいるようなので、念のために隣接国に通行許可を貰おうと思います。
 さて、対象となるのはスペインかリトアニアですが…関係は両国とも+25、国家よりの贈り物で急いで関係を高めましょう。

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 つうか無理だって。


 リトアニアに贈り物をします。こっちなら284ダカットとお安くなってますから。そして通行許可を貰うとKaffaに上陸。ここを拠点としてクリミア各地を攻略、1549年8月にKerchを割譲させて和平を結びました。

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 1549年8月時点のセルビア帝国。BBRは7.9です。ちなみに、
ハンガリーはオーストリアに併合されました。


大セルビア主義
我らに海を!
ジャイアニズムでいこう
新たなる帝国(このページです)
第二次百年戦争
栄光の統一帝国
おわりに


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Last-modified: 2006-07-02 (日) 19:21:13