正当なる所有権の主張とその回復、史実での最盛期、巨大同盟の頼もしさと厄介さをあわせて語る

西方の失地

 Silesia・Kustrin・HinterPommernの三州は、昔はポーランド王国の領土であったが、その後、その地の支配を、次第に神聖ローマ帝国に奪われていったという経緯を持つ。史実では、ポーランドが次第に東方への比重を高め、西方領土回復への興味を失くしていったため、それらの地がポーランドに戻ってくることは無かった。この章でのポーランドの目標は、これらの旧領土をすべからく王国の旗の下に復帰させる事である。


フス戦争の終結

 新章がいきなり他国の話ではじまるのもアレだが、1436年1月、ボヘミアの中で、とったとられたをグダグダと繰り返していたフス戦争が、教皇派がフス派にOstmarchを割譲させるという条件で講和し、一応の終結を見た。
 そのすぐ後の、1436年2月、フス派に降参イベント、教皇派に勝利イベントが起き、教皇派がフス派を完全併合し、ここにフス戦争は教皇派の完全勝利と言う結果で終結した。


フス戦争終結.JPG
教皇派がフス派を併合し、フス戦争は終結した。
これからは、統一を回復したボヘミアがどうなっていくかにも、注意しなければならない。

現状確認とポンメルンとの同盟

西方旧領土の現状

 さて、ここで今回の獲得目標である三州の現状を見てみる事にする。まず、HinterPommernはポンメルンが領有していたが、ザクセン(戦争開始時はマイセン)との戦争に敗北し、ザクセンに併合され、今はザクセンの領土である。飛び地であり、隣接するブランデンブルクとザクセンは対立関係にあるので、ここを奪うのはそう難しくないだろう。
 Kustrinは、開始時と同じくチュートン騎士団の領土のままである。さっさと奪ってしまえば良いようにも思えるが、実はポーランドとチュートン騎士団が戦争中で、チュートン騎士団が劣勢になると、Kustrinをブランデンブルクに売却してしまうイベントが起こってしまうのである。(何故か、最初の戦争では起こらなかった)1500年以降になると、このイベントは起きなくなるので、二度手間を避けるために、1501年頃に行動を起こすことにする。
 最後に、Silesiaは、今や統一を回復したボヘミアが領有している。ボヘミアはオーストリアやハンガリーと同盟しており、これとまともに戦うのは、勝てないとは言わないがあまりにリスクが高い。これに関しては、この同盟間の隙を伺うしかないだろう。

ポンメルンの独立

 などと今後の方針をたてていると、1447年6月、ザクセンが飛び地であるHinterPommernの反乱を鎮圧できず、ポンメルンがザクセンからの独立を宣言する。いきなりの計画変更となるが、ポンメルンと同盟し、後に外交併合する方針に変更する。早速ポンメルンを同盟に招き、王室間の婚姻を結ぶ。
 元の支配者であるザクセンとその同盟国はポンメルンに攻め込むルートを持たないため、ポンメルンが併合される心配は無いので安心だ。


ポンメルンと同盟2.png
ポンメルンと同盟.png
現在の外交状況やはり、領土奪還においての一番の障害はボヘミアとハンガリーの同盟となりそうである。なんとかして、この同盟を決裂させたいものだが…。

Silesiaに対してのポーランドの主張

ニエシャヴァの特権 - 「地方集会」

 Kustrinは1500年以降に行動を起こす事に決めているので、Silesiaを獲得するチャンスが無いかと、伺いつつ時間を進めていると、1452年1月にイベント「ニエシャヴァの特権 - 「地方集会」」が起こる。このイベントによって、いよいよDanzigに待望のCOTがやってくるのである!…って、よく見るとこれは例の特権要求イベントの一つじゃないか!
 しかし、ここでは何故か貴族の要求を丸呑みしないと、DanzigにCOTはやってこないのである。税収が激しく落ちてしまうが、やっぱりCOTは欲しいので要求丸呑みである「集会を容認する」 を選択。今まで地道に中央集権化を進めてきたが、これで一気に地方分権に後戻りしてしまう。うぅ…。


添付ファイル: fileポンメルンと同盟2.png 46件 [詳細] fileポンメルンと同盟.png 47件 [詳細] fileフス戦争終結.JPG 42件 [詳細]

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Last-modified: 2006-07-02 (日) 18:09:54