クロタール王の死

561年、クロタール王が死去。フランク王国は、再び彼の4人の息子らによって分割された。

ゲームではネウストリア、アウストラシア、ブルグントの三国の中からひとつを選びゲームを続けることになります。

クロタールの死.JPG

この後の歴史の流れを注意深く追ってみると、613年にネウストリア王クロタール兇アウストラシアを破りフランク王国を再統一することになっている。しかしながらこれはゲームでは反映されておらず、クロタール気里箸のような再統合イベントが用意されているわけではないようだ。

では次に(ゲーム的に)フランクが再統一されるのはいつなのかというと、はるか後年687年のテルトリーの戦いによるものだということが判明。ここでの勝者はアウストラシアであることから最終的にアウストラシア主導でフランク王国の再統一が成されるものと判断、ここは二番目の選択肢「アウストラシア」を選ぶことにする。

これによってクロタール死後の勢力図は以下のようになった。 ちなみに、イベントによってやり取りされるのはフランク王国の中核州なので、中核州ではないイベリア・ブリタニアの飛び地やゲルマニアの領土はプレイヤー国に継承されることになる。

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クロタールの息子は上から順にカリベルト・ジギベルト・グントラム・キルペリクの4人。長男カリベルトと四男キルペリクがネウストリアを(この二人はゲーム内では共同王の形でネウストリアに君臨)、次男ジギベルトがアウストラシアを、三男グントラムがブルグントを治めている。ちなみにアキタニアはプレイヤー国の属国となる。  

567年に長男のカリベルトが死ぬと、キルペリクはネウストリアの単独統治者となり、アウストラシア・ネウストリア・ブルグントといったフランク王国の伝統的な中核地域を中心とした三分王国制が完成する。ここより兄弟間の血で血を洗う闘争の歴史、メロヴィング家の衰退の歴史が始まる。

王妃ブルンヒルデ

ここでは史実におけるブルンヒルデの一生を追うことでこの時期のフランク王国の歴史をざっと見ていきたいと思います。

ブルンヒルデとは

クロタールが死んだ561年から、フランク王国が613年にクロタール兇亮蠅砲茲辰萄禿合されるまでの半世紀はブルンヒルデという一人の女性によって特徴付けられる。彼女はドイツの叙事詩『ニーベルンゲンの歌』に登場するヒロインのモデルとなった人物で、西ゴート王アタナギルドの末娘という高貴の生まれであり、当代随一の才色兼備をうたわれていた。彼女はアウストラシア王ジギベルトの妻であり、ジギベルトや、ジギベルトの死後は息子や孫を通じて、政治に絶大な影響力を及ぼしていた。というわけで、ゲームにはあまり反映されていないが、561−613にかけてのアウストラシアは実質的にはブルンヒルデによって支配されていたといっても過言ではない。

ネウストリアとの戦いとジギベルトの死

彼女はその生涯をネウストリアとの戦いに捧げる。彼女の宿敵はネウストリア王キルペリクとその王妃フレグンデ。この争いはキルペリクが、ブルンヒルデの姉ガレスヴィンタを一旦は妻に迎えておきながら殺してしまったことに端を発する。ここには当時キルペリクの愛人であったフレグンデも一枚噛んでおり、フレグンデはその後まんまと王妃の座におさまるわけである。ブルンヒルデは姉の仇を討つため、夫であるジギベルトを動かしネウストリアと血で血を洗う闘争を繰り広げる。

シギベルト.JPG

 

一進一退の攻防の末にジギベルトとブルンヒルデはパリに本陣を構え、キルペリクとフレグンデをトゥールネの城に追い詰めるも、フレグンデの放った刺客によりジギベルトが暗殺されてしまう。一転して窮地に立たされたブルンヒルデは5歳の息子キルデベルトを「アウストラシア王キルデベルト供廚箸靴涜┛未気擦襪海箸砲論功するも、自身は勢力を盛り返し、パリまで再進撃してきたキルペリクによって捕らわれの身となってしまう。

キルデベルト.JPG

イベントによるフォローがないので普通にプレイしているだけでは気づきませんがこの代替わりには実はこんな背景があったりするのです。

メロヴィクとの結婚とブルグント継承

さて、パリにて捕らわれの身となったブルンヒルデ。彼女はこのとき28歳だったのだが、容色決して衰えず、その高貴の血筋と深い教養でもって、なんと憎き仇キルペリクの息子メロヴィクを虜にし、結婚までしてしまったのである!!

当然キルペリクは激怒するが、息子の意思を覆すことができずにブルンヒルデを釈放し、アウストラシアに帰国させることで事態の収拾を図る。こうして晴れて自由の身になったブルンヒルデは息子キルデベルト兇鬚燭討棒治の実権を握る。

584年には仇敵キルペリクが亡くなり、その妻フレグンデとその子クロタール兇寮力は縮小する。また、592年のブルグント王グントラムの死に際しては(グントラムには嫡男がいなかった)、息子クロタール兇砲修領涼呂魴兢気気擦茲Δ箸垢襯侫譽哀鵐任魏,気─▲屮襯鵐劵襯任魯ルデベルト兇縫屮襯哀鵐箸魴兢気気擦襪海箸棒功する。このあたりがブルンヒルデの絶頂期ではなかったか。

グントラムの死.JPG

グントラムの死後、ゲーム内ではブルグントを属国として得ることができる。

ブルンヒルデ、その死まで

まんまとブルグントをキルデベルト兇坊兢気気擦襪海箸棒功したブルンヒルデだったが、キルデベルト兇そのわずか3年後に20歳の若さで死亡。これよりブルンヒルデの凋落が始まる。

息子の死後、ブルンヒルデはその所領を孫のテウデベルトとテウデリクに分割相続させる(二人ともキルデベルト兇梁子)。もちろん彼等は幼児なので、祖母のブルンヒルデが摂政として実権を握ることになる。テウデベルトがアウストラシア王に、テウデリクがブルグント王となる。

二人の王子2.JPG

ところがこの兄弟の間では所領をめぐっての争いが絶えずブルンヒルデの王国は深刻な内乱に突入する。ブルンヒルデはこの内乱を終結させるためにブルグント王テウデリクに二つの王冠を継承させることを画策し、612年にテウデベルトを修道院に監禁した後に殺害。

テウデベルト.JPG

こうしてテウデリクはアウストラシア・ブルグント両国の王位を手に入れる。ゲーム内ではこれを表現するためか、イベント後はアウストラシアはブルグントの属国となる。

ところがこの翌年テウデリクも死没し、彼女はテウデリクの子であったジギベルト兇魏Π未砲弔韻襦

ジギベルト.JPG

そこにクロタール供淵ルペリクとフレデグンドの子、ちなみにフレグンドは597年に死亡)が攻め込んできた。もはや年老いたブルンヒルデはなんとか迎え撃とうとするがエーヌ河畔の戦いに敗北し、あえなく捕われの身となる。クロタール兇麓分の母フレデグンドと争ったブルンヒルデを散々に罵り晒しものにし、手足を縛って馬の尾につないで引き回して惨殺し、死体を焼き払ってその灰を野にまいてしまったという。

このブルンヒルデの死によってクロタール兇魯▲Ε好肇薀轡△筌屮襯哀鵐箸硫Π未魍容世掘▲侫薀鵐王国の再統一に成功したのである。ゲーム内ではネウストリア・アウストラシア両王国の国王にクロタールが即位する同君連合の形で表現されている。

クロタール兇錬僑横固に亡くなり、その遺領は2人の息子によって分割された。しかしすぐに長男ダゴベルトが弟を殺して全ガリア(現フランス)を統一し、メロヴィング朝フランク王国は彼ダゴベルト1世の時代に全盛期を迎えるにいたる。南方ではバスク人の侵入を阻止し、西方ではブルトン人を威圧、東方ではヴェンド人と交戦したといわれる。

 

これが史実におけるフランク王国の歴史である。で、ゲームではどうだったかというと、上でスクショ使ってることからわかるようにイベント自体は起こっているものの、私があんまり歴史を再現する気がなかったこともあり、大分違う展開を迎えている。ってかそもそもブルンヒルデ存命中にネウストリアと一回も戦ってないしね。というわけでゲームにおける展開は次の項からスタートである。

外交革命とイタリア戦争

ゲームにおける展開である。ようやく本編の方に戻ってこられた。
まずは我がアウストラシア王国の版図を確認しておこう。アウストラシアはドイツにネーデルラントを足したくらいの勢力である。ネウストリアやブルグントと比べると頭ひとつ飛びぬけている印象だ。

アウストラシア561.JPG

さて、クロタールの死後、国名が変わったことにより、またまた外交関係は白紙に戻ってしまった。はてさてどうしたものか。ゲーム開始以降長らく同盟を組んできた(実に200年あまり!)イタリアは東ゴートと東ローマに攻め立てられ、完全な死に体になっている。ここと結ぶことはあまり得策とは思えない。また、上の版図をみてもわかるとおり、クロタールの領土の分割相続のためにラングドックやロージリアンといった領地が飛び地となっており、ここと本国を接続するためにも是非イタリア北部がほしいところだ。というわけで、ブルンヒルデの時代における仮想敵をイタリアとし、アウストラシアはローマ帝国と手を結ぶことにした!

外交.JPG

こうしてアウストラシア・ローマ両国によるイタリア分割が始まった。最初の戦争のみアウストラシアが宣戦し、あとは全てローマ側からの参戦要請を受諾する形で戦争が行われた。戦争は3度にわたり、612年の第三次戦争によりイタリアは首都のみとなり、この後625年にローマの攻撃を受け、イタリアという国はこの世から完全に消滅することになる。

<イタリア戦争、戦前と戦後の比較>

イタリア戦争.JPG

この一連の戦争において印象的だったのはローマの圧倒的な強さである。物量・質ともに申し分ない。まさに世界の覇者である。おそらく今の段階で正面からぶつかったとしたら負けないまでも勝つのは非常に困難であろう。

また、ローマを差し置いてCOTのあるミラノを確保できたのは大きい。後に貿易Lvが3に達し、ここはカタロニアやオルレアンのCOTと並んで莫大な収益をあげることになるのである。

 

このようにゲームにおけるブルンヒルデはイタリア戦争に没頭し、ネウストリアやブルグントなどには見向きもしなかった。きっと613年の死も史実のような苛烈な最期ではなく穏やかなものだったのではないでしょうか。

ちなみに、ネウストリアやブルグント、アキタニアの三国は史実さながらの血みどろ争いを繰り広げていまして、613年までにアキタニアがこの世から 消えていたりする。

<613年のガリア>

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ネウストリアとブルグントの争いは、領地を分断されているブルグントに分が悪いようだ。しかしネウストリアもよく見るとギュイエンヌやガスコーニュを西ゴートに奪われており、完全な勝者とはいえない。

 

この時代は、北イタリアの獲得などアウストラシアの活躍によってフランク王国の膨張自体に終止符が打たれたわけではなかったが、ガリアをめぐっての争いなど政情は極めて不安定であり、王国は安定を欠いた。唯一骨肉の争いから免れたアウストラシアもこれに続く半世紀の時代は、対外的にはネウストリアやブルグントの属国として支配を受ける身となり、また、国内も小作人の不幸などが頻発し、これが631年には深刻な内乱を引き起こすことになる。フランク王国の衰退・混迷は続いていく・・。

 

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おまけ

東ローマ興亡記#2―イタリア獲得

さて、この時代についに、アウストラシアは長年の盟友であったイタリアを裏切り、その領土を東ローマとの間で分割しました。その結果、アウストラシアはCOTのあるロンバルディアこそ確保したものの、中部・南部イタリアの大半を東ローマが獲得してしまい、東ローマ膨張の手助けをすることになってしまったわけです。以下は613年の東ローマ帝国全図です。

ローマ613.JPG

イタリアを獲得したことで東ローマの富と力はますます増し、その力の矛先は周辺諸国へと向けられることになっていきます。このすぐ後にイタリアに引導を渡した東ローマは東ゴート・ランゴバルトと周辺諸国に次々攻撃を仕掛け、その勢力を拡大していきます。技術力・マンパワー・経済力とどれをとってもヨーロッパ1の東ローマに敵はなく、周辺諸国はただただ脅えるだけでした。

そういうわけで、イタリア分割はアウストラシアにとってCOTやコアプロヴィンスの獲得 といった意義は大きかったものの、強大な敵を生み出すことにもつながってしまったのです、ここでもう少し上手く立ち回れていれば、この後のゲームの展開も大きく変わったことでしょう。

東ローマの拡大はまだまだ続きます。そして、内紛に明け暮れるフランク王国にそれを止める力、余裕はまったくもってないのでした・・。

ブリテン島戦記#3―安定した4国制へ

さて、前章、ケント滅亡から約半世紀後のブリテン島です。

ブリテン613.JPG

レジェド・ウェセックス間のイングランド領域を巡っての争いは、レジェドに軍配があがり、ウェセックスはこの後レジェドによって完全に滅ぼされることになります。また、オニール・ストラスクライド間のアイルランド島を巡っての争いは、オニールに軍配があがり、オニールはここにアイルランド島の完全統一を成し遂げました。

ゲーム開始より約250年。ブリテンにはアルバ・ストラスクライド・レジェド・オニールの4国が並び立ち、これ以降この4国による勢力均衡が続くことになりました。

イベリアの覇権#1―ヒスパニアの台頭

さて話は変わってイベリア半島である。フランク王クローヴィスによってガリアより駆逐されたとはいえ、西ゴート王国の勢威は衰えず、イベリア半島においては最強の地位を保ってきた。スエヴィ族やナヴァラ、ヒスパニアを討ち、6世紀後半にはほぼイベリア全土を統一する勢いを見せる。以下は578年のイベリア半島。

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ところがどっこい。579年に超ど級のイベントが炸裂。それがこれ。苦労して担当国を変えてスクショをゲットしてきました。

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このイベントにより西ゴートに併合されていたはずのヒスパニアがイベリア半島南部5州を奪って独立。西ゴートに牙を剥いて襲い掛かってくることになったのです。折りしもブリテン島やガリアといった外国に手を出し、主力を欠いていた西ゴートはその根拠地を蹂躙され、ヒスパニアの勢力伸張を許してしまいます。以下は613年、この章終了時のイベリア半島の勢力図。

613スペイン.JPG

ヒスパニアの台頭によってイベリアの勢力図は一変しました。西ゴートが巻き返しを図るのか、新興国ヒスパニアがこのまま押し切るのか、次章のお楽しみであります。





添付ファイル: fileヒスパニア.JPG 105件 [詳細] file613スペイン.JPG 94件 [詳細] file578スペイン.JPG 116件 [詳細] fileブリテン613.JPG 106件 [詳細] fileローマ613.JPG 117件 [詳細] fileガリア613.JPG 104件 [詳細] fileイタリア戦争.JPG 95件 [詳細] fileアウストラシア561.JPG 90件 [詳細] file外交.JPG 104件 [詳細] file二人の王子2.JPG 110件 [詳細] fileテウデベルト.JPG 88件 [詳細] fileジギベルト.JPG 87件 [詳細] file二人の王子.JPG 107件 [詳細] fileグントラムの死.JPG 92件 [詳細] fileキルデベルト.JPG 97件 [詳細] fileシギベルト.JPG 98件 [詳細] fileクロタールの死.JPG 118件 [詳細] file561a.JPG 98件 [詳細]

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Last-modified: 2006-08-30 (水) 01:10:50