世界前哨戦争

フランスは来るべきBBWに向けての行動を取る時期に差し掛かっていた。BBWにおいて組める同盟国は4つ。このうち新大陸をフランスを分け合っているスペインはまず確定である。残りの3国だが、フランスはその相手をイングランド、オーストリア、ロシアにすることにした。

まずブリテン島はそのほとんどが改革派に属し、徴兵が困難である。フランスからいちいち軍隊を輸送するのも面倒なのでイングランドに統治してもらうことにする。また、残っているアイルランド諸国を相手してもらうことにする。

オスマントルコが非常に強大であるので、これを同盟国でなんとか撃退してもらう。BBWの緒戦では、フランスはアフリカに集中したいのでオスマントルコにまで軍隊をまわす余裕が無い。Alexandriaの防衛が精一杯と判断した。また、東方には正教国が多いので、これを同盟国で統治してもらうことにする。よって相手にはロシアとオーストリアを選んだ。間にいるポーランドはBBWまでに同盟国で分割してもらう。

残った国はフランスが併合することにする。BBW開始までに取れるだけの州を取っておきたいので、州の獲得は外交併合によって行う。また、外交併合が可能なキリスト教国家のうち同盟国を除いて最大の州を保有するのはスウェーデンであるので、これの併合をBBW開始とする。

1648年でのヨーロッパ諸国の外交関係は

  • 孤立国
    • イングランド(フランス属国)
    • スウェーデン
    • デンマーク
    • スイス
    • リトアニア(ポーランド属国)
    • プファルツ(オーストリア属国)
    • ジェノヴァ(スペイン属国)
  • 同盟国
    • フランス・スペイン(フランス属国)・ヴェネツィア・ナポリ(フランス属国)
    • ポーランド・教皇領
    • オーストリア・モデナ(オーストリア属国)
    • ロシア・ゴトランド
    • ポルトガル・コンゴ
      であった。 まずはこれらを属国化していくことにする。
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桃色はフランス連合、水色はオーストリア連合、黄色はポーランド連合。

1648年5月、オーストリアに宣戦。オーストリア、モデナの属国化が目的なのでそれぞれの首都は絶対にフランスで落とすことにする。CRTの差がついていることもあり、楽観して始めた戦争であったが、緒戦から思わぬ苦戦を強いられることになった。ドイツの大部分を有するオーストリア軍が予想以上に多かったのである。国境のAlsaceでの会戦に敗れたフランスは。そのままスペイン領Franche Comteを奪われ、Champagneを包囲された。モデナもLombardiaに進軍し、これを包囲しはじめた。

さらに12月、グラナダがナポリに宣戦。同盟国のモロッコ、ティンブクトゥ、トレムセンも参戦してきた。参戦の要請を受けたフランスはこれを受諾。仕掛けられた戦争では州獲得のBBRの上昇が少ないので、アフリカの領土拡大を目指すことにする。フランスはヨーロッパとアフリカで同時に戦争を行うことになった。オーストリアとの決戦は回避し、モデナに主力を送りつつ、オーストリア領の要塞の小さい州を狙って落とすことにした。アフリカ戦線はAccraでの徴兵でなんとか乗り切ってもらう。

1650年4月、アフリカ中部の制圧に成功。ティンブクトゥから首都以外の州を割譲させ講和した。フランス軍はアフリカ北部へと戦場を移した。トレムセンからアフリカ中部の2州を奪っていたので、これらの割譲を打診するも拒否された。北上を続けるフランス軍だが、Fezの包囲で補給線の限界を迎えた。徴兵した兵を順次輸送し続けるも、消耗とトレムセン、モロッコ軍の攻撃によりしばしば包囲が解かれ、なかなか攻城が進まなかった。

一方ヨーロッパ戦線は、オーストリア軍をひたすらに避け、最小規模の城を狙って落としつつ、首都Austriaを包囲した。最終的に首都を含む9州を陥落させることに成功、1652年2月に属国化による和平を締結した。さて、オーストリアの盟友モデナだが、オーストリアの属国となっており、フランスがこれを属国化することはできない。よってオーストリアをモデナとの戦争に参加させ、属国化を解除させた後に、モデナと講和することにする。国としての贈り物を続け、8月にオーストリアを同盟に組み入れることに成功。オーストリアはモデナとの属国化を解除した。フランスはモデナの属国化に成功した。

膠着したままのアフリカ戦線。国内では戦争疲弊も進んでおり、反乱が激しさを増してきた。フランスは早期の戦争終結を迫られていた。そこでフランスは相手を絞ることにした。アフリカ中部のトレムセン2州はそれぞれ孤立しており、今後反乱によってフランスに転がり込んでくる可能性があると判断し、トレムセンからは州の割譲を諦め停戦した。1563年4月モロッコの全ての州を陥落させ、首都Fez以外の全ての州を割譲させた。

次はポーランド、教皇領連合である。この戦争では教皇領を属国化し、ポーランドは同盟諸国に分割させる予定である。婚姻ができない教皇領相手では王位の要求による大義名分が立たないので融資することにした。300ダカットの融資を教皇領に行うと、律儀にも返済してきた。そこでフランスはポーランドと婚姻を結び、王位を要求することによって大義名分を得ることにした。

1655年6月9日、フランスはポーランドに宣戦布告した。先ずは教皇領から落とそうと進軍したのだが、進軍することができない。なんと6月始めにポーランドと教皇領の同盟期限が切れていたのだった。外交官に不足していたフランスは理由なし宣戦をすることを決意した。教皇領との友好度は100を超えているのでBBRの上昇は2で済む。9月に外交官を得ると教皇領に宣戦した。

1658年Icelandをスペインが占領していたので、これをスペインに割譲とフランスへの属国化を条件に教皇領と停戦した。だが、ポーランド戦線ではオーストリア軍が押されていた。そこでフランスはポーランドによって奪われたオーストリア領を奪還するとともに、ポーランド軍を叩き、オーストリアのサポートに回ることにした。しかし、主力に当てるのは被害が大きいのでこれは避けることにする。

ポーランドだけに関わっているわけにはいかないので同時に他の国への進攻も進めることにする。1659年4月、ジェノヴァに宣戦。だが、このジェノヴァへの宣戦は全く失敗だった。ジェノヴァ領がLiguriaとCorsicaの2州だと思っていたのだが、黒海沿岸にも領土を持っていたのだった。クリミアとオスマントルコが黒海沿岸のジェノヴァ州を取ってくれることを期待してCorsicaだけでも割譲させたい。しかしこちらからの提案は拒否されたので、ジェノヴァからCorsicaの割譲を条件とした停戦交渉が来るのを待つことにする。

1660年9月スウェーデンに宣戦。スウェーデンも属国化が目的なので、首都を含めた沿岸州を落とすことで戦果ポイントを稼いで停戦することにする。制海権は完全にフランスのものなので内陸部よりも移動の手間がかからないし、落とすスピードも速い。2年後属国化することに成功した。またジェノヴァからCorsica割譲での和平交渉が来たのでこれを受諾。

1664年月ようやくオーストリアがポーランドの制圧に成功し、オーストリアに7州、スペインに1州を割譲して講和した。フランスの同盟国ヴェネツィアであったが、オスマン帝国に接する領地が多いので同盟から追放することにした。戦争疲弊がまたもたまってきたのでロシア戦の前に休憩を挟むことにする。しかし、9月オーストリアがオスマン帝国に布告。まったく余計なことをしてくれる。フランスはオーストリアにこれをまかせロシア戦の準備を進めることにした。1665年5月オスマンと和平すると、ヴェネツィアがオスマン帝国に宣戦。このままBBWまでオスマンとヴェネツィアが戦い続けることを期待しよう。

1665年11月ロシアがスウェーデンに宣戦した。スウェーデンを外交併合する予定のフランスであったが、それは敵を減らすために仕方なく併合するのであり、ロシアがスウェーデン領を取ってくれるに越したことはなかったので、ロシアに声援を送りつつ傍観することにした。だが、ロシアは国境での小競り合いに終始し、スウェーデン侵攻まではできそうも無かったので1667年5月、雪解けとともにフランスはロシアに宣戦した。

ロシアの盟友ゴトランドは島に5万弱でこもっていたので海上封鎖しつつ放置することにした。スウェーデン戦ではあれほど動きの緩慢だったロシアがフランス戦では次々と軍隊を前線へと動かし、オーストリア領に雪崩を打って侵入し始めた。6万を超えるロシア軍主力と戦うのは得策ではなかったので、フランスは兵を分散しロシア領後方の城を落とし始めることにした。幸いロシアの城はどれも小さい。

ロシアに面する領土をもたないフランスは兵力移動に苦労した。一度は首都の制圧に成功するものの、いつのまに来ていたのかオーストリアの将軍にこれをさらわれ、ロシアに取り返してもらうという事態まで発生した。1669年9月に再度首都を制圧しロシアの属国化に成功。だがフランスはここで大きな過ちを犯してしまった。スウェーデンの外交併合のためにIngermanlandを割譲させるつもりでいたのをすっかり忘れていたのである。属国化したロシアにさらに戦争を仕掛けるわけにはいかないのでデンマークをなんとかして併合しなければならない。

この時点でデンマークの持つ領地はヨーロッパに首都を含む2州、グリーンランドに2州、アフリカに2州であった。スウェーデンとフランスが領地を接するためにはデンマークの首都を落とす必要があるので、最低2回は戦争をしなければならない。しかし、そろそろBBWを始めなくては時間的に余裕がなさそうである。そこでスウェーデンを巻き込んで戦争をし、首都以外を割譲させて単独講和し、その後スウェーデンに併合させることにする。

あらかじめデンマークとの国境に兵を配置し、1671年3月に宣戦布告した。同時にスウェーデンを同盟に招くが拒否される。翌月に再度同盟に招こうとするとスウェーデンがデンマークに単独宣戦。これはこれで問題なかろうと戦争を進めることにする。デンマーク領のうち2州は交易所だったので壊し、1672年5月首都以外を割譲させて停戦した。兵力を全て失ったデンマークを制圧するのはたやすいだろう。だが、スウェーデンはなかなかデンマークに攻め入らず、1674年に賠償金で講和してしまった。仕方ないので5年後に再度攻めることにする。

この間に停戦期限の切れたオーストリアがまたもオスマン帝国に宣戦したあげくに内戦状態に突入するというアクシデントも発生。独立されてはたまらないので反乱軍を鎮圧する。全くオーストリアはいらんことばかりしてくれる。ちなみに長期化を期待していたヴェネツィアとオスマン帝国の戦争は1671年に終了してしまった。幸いオスマンからすぐに停戦の使者が来たので講和することにした。

たまっていた戦争疲弊を消化しつつ属国化していた教皇領、モデナ、ナポリと次々と外交によって併合。さらに停戦期限の切れたデンマークに宣戦しこれを併合した。1679年スウェーデンを外交併合し、同時に最後の同盟国イングランドを招いた。ここでBBRは限界を超え、BBWが始まった。

この時点でフランス軍のサポート可能な陸軍兵力は42万人であり、これはBBWにおいて決して十分とは言えない量であった。よって兵力以外でなんとかしなければならない。

まず、反乱対策だが、フランス本土外はなるべく要塞化を進め、城が落ちにくくする。特に島は取り返すのが面倒であるから最低レベル2にする。また、スウェーデンでも要塞化を進め、冬季の消耗でできる限り反乱軍を減らし、こちらの戦力の消耗を抑える。

対外戦争だが、今後進攻することになるアフリカやアジア方面は供給量が少ないことから、なるだけ早く城を落としたい。そこで内政スライダーを攻撃重視から防御重視に切り替え、攻城ボーナスを得ることにした。またこれによって要塞化のコストも下がるので丁度良い。射撃のペナルティは相手との陸軍技術差から問題にはならないと判断した。

さて、以後BBWが始まるわけだが、フランスはこの時代から戦争疲弊によって常に反乱が発生することになった。というのも戦争疲弊についての大きな勘違いをしていたからである。戦争疲弊は単純に戦争期間に依存すると思っていたのだ。よってBBWではなるだけ各国と同時に停戦し、5年の停戦期限をなるだけ多く戦争疲弊の消化に当てようという戦略を立てた。結果、戦争期間中の徴兵が戦争疲弊につながることに無頓着であったため、反乱によって失った兵力を徴兵で補い、さらに戦争疲弊が上昇し反乱が発生、それを鎮圧するのに兵力を消耗するという負のスパイラルに陥っていくのであった。

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BBW開始段階のヨーロッパ。

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BBW開始段階のアフリカ。飛び地のトレムセン領は予想通り反乱がおきたが、フランスに鞍替えせずに独立してしまった。


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Last-modified: 2006-10-21 (土) 13:29:37