目次

第一節 この時代の戦略

1626年、オスマン帝国への宣戦布告をもってアルバニアのヨーロッパにおける逆襲が始まった。30年にわたる戦いに勝利したアルバニアはオスマン帝国を滅亡させ、小アジアを統一する。その後も軍拡を続け、ついに世界一の経済大国となったアルバニアは地中海の覇者にして、ヨーロッパ最強国でもあったスペインと激突する。この戦争はヨーロッパ全体を巻き込んだ大規模なものとなり、これに勝利したアルバニアは地中海よりスペインを追い落とすことに成功した。

この戦争の敗北によって、今まで列強のなかでも頭ひとつ飛びぬけていた感のあったスペインの優位は完全に消滅し、スペインもまた列強のうちのひとつに過ぎなくなった。これより、欧州の覇権をめぐって、スペイン・イギリス・オーストリア・アルバニア、そして新たに台頭してきたポーランド・ロシアといった東欧の強国、そして北米植民地経営によって一大強国となったフランスとの間で熾烈な戦いが繰り広げられることになる。

どの勢力にも、相手を完全に滅ぼしてしまえるだけの力はなく、そういうわけで、どこと結ぶか、なにを戦略目標として戦うかが一層重要なことになった。欧州は今まさに、古の中国における春秋戦国時代のような様相を呈してきたのである。そしてどの列強もわれこそが覇者にと、その野心を胸中に隠し持ち、たぎらせているのであった・・。

戦略

さて、いよいよゲーム終了まで100年を切り、終わりが見えてきた。このAARの目標は、アルバニアで勝利点第一位をとることであり、今後は一層勝利点の獲得にまい進していきたい。現時点でのトップは未だスペイン王国の2954点で、アルバニアは2043点とかなりの差をつけられている。前章に引き続きスペインを直接対決によって負かし、すこしでも点差を縮めていきたいと思う。

また、勝利点一位を獲得した後は、欧州での覇権を目指してプレイしていくことにする。ヨーロッパ統一も可能ではあったが、その先に待ち受けているのは単なるBBWであり、今回はそれは避けることにした。なので欧州の覇権獲得は、欧州を直轄化することでなく、列強のことごとくを戦争によって負かし、属国化することをもって覇権獲得とすることにした。

国内政策

最終的なアルバニアの国内政策は以下のようになった。

国内政策.JPG

貴族中心、中央集権は正教を信仰することによる外交官、技術開発へのペナルティを解消するため、自由貿易は植民者獲得のため、攻撃主義、質重視は陸軍強化のため、農奴制は拡大に伴う安定度コスト増加を解消するため振り切ることにした(質重視はゲーム終了間際のランダムイベントによって下がってしまった)。

革新主義は宣教師獲得のためにやや引き下げることにした。また、陸軍/海軍重視のスライダーは、新大陸に領土を持つ植民地帝国を目指したため、首都と接していないことからくる収入ペナルティを解除するために中間付近にとどめおくことにした。

技術開発

ここらでゲーム全体におけるアルバニアの技術開発がどのようなものであったかを簡単にまとめたいと思う。

まず、バルカン争奪戦において陸軍Lv2まで開発した後はひたすらインフラに投資をすることになった。1623年にインフラがLv5に到達した後はひたすら陸軍に投資をし、Lv51最後のCRT向上を迎えた後は貿易・インフラを開発した。なので全然投資をしなかった海軍は最後まで貧弱であり、イギリスとの戦いでは苦戦を強いられた。最終的なアルバニアの技術Lvは以下のようになった。

陸軍   Lv55
海軍   Lv17
貿易   Lv5
インフラ Lv7

第二節 東地中海の覇者(1738〜1772)

列強の顔ぶれ

第一次スペイン戦の後、ヨーロッパはしばしの平和を享受した。これはアルバニアが対スペインに立っての活動を休止したことが原因で、この間アルバニアはモルダヴィアを属国化&10年を待って外交併合したり、マムルーク朝に対して宣戦を布告しCOTのあるアレクサンドリアを奪うといったことをしており、その自力をますます上げていった。

1760年、およそ20年間の沈黙を破ってアルバニアは再びスペインに宣戦布告した。ここで当時の欧州列強各国の状況について簡単に述べたいと思う。

<1760年のヨーロッパ>

1760.JPG

アルバニア(収入330D・年鑑より)−ユーラシアにおいてはバルカン半島、小アジア、エチオピアに広大な領土を持ち、アレクサンドリア・コルフ・イオニア・クレタといった東地中海の要衝を押さえたこの国はスペインにかわって東地中海の覇者としてふるまっている。今回はスペインの東地中海最後の砦キプロス島およびラグーザ・ドブルージャの奪取を戦略目標としてスペインに戦争を挑んだ。新大陸においては北米、中南米に広大な植民地を有し、経済力においては世界第一位の大国である。軍事力においては、陸軍こそ西欧列強とようやく肩を並べるまでになったが、海軍にはかなりの技術差があり、スペインとの戦いにおいては80隻あまりのガレー船を集中運用することでと地中海の制海権を握る。質より量で勝負するタイプの国家といえる。

スペイン(収入180D)−かつては新大陸からあがる莫大な収入を背景にヨーロッパで暴れまわり、地中海全域に拠点を有し、そのほかにも北ドイツやシリア、バルカンといった地域に領土を有する汎ヨーロッパ的な、欧州第一の強国に成り上がったが、先の大戦に敗北したことにより、地中海の覇権をアルバニアやイギリスに明け渡すことになった。フェリペ2世以降暗君が続き、技術力においてももはや欧州列強に遅れをとりつつあり、かつての栄光は過去のものとなりつつある。

イギリス(収入140D)−北米、アフリカに広大な植民地を有する7つの海の支配者。今回のプレイでは珍しくブリテン島の統一に成功しており、これがイギリスをして終盤飛躍せしめた。交易に力を注いでいるようで、各地のCOTから上がる莫大な収入を背景に、欧州ではアルバニア、スペインに次ぐ第三位の収入を誇る。世界最強の海軍を持ち、ナポリ、ダルマティア、コルシカ、カッファといった地中海・黒海領土を拠点に、スペインにかわって西地中海の制海権を握りつつある。

オーストリア(収入100D)−列強の中では唯一海外領土、すなわち植民地を持たない国家である。そのため海軍に投資をする必要がなく、その分高度に発達した陸軍を有する。オーストリアの陸軍は欧州最強であると目される。先の大戦おいても難攻不落といわれたヴェネチアを陥落させ、ここをスペインより割譲させるという大戦果をあげた。ハンガリー領域に中核地帯を持つため、今はアルバニアを手を結んでいるものの、アルバニアの持つ旧ハンガリー領域を虎視眈々と狙っている。

ロシア(収入100D)−シベリア植民によって国力をつけたのか、今世紀にはいってロシアの力が飛躍的に増した。欧州のいざこざに顔を出すにはポーランドが邪魔をしており、まずはここを抑えねば欧州進出はおぼつかないとはいえ、勝利点はアルバニアに次ぐ第三位で、この点をとればオーストリア・イギリスをもしのぐといえ、そういうわけでここも列強ということにした。

フランス(収入90D)−北米植民により国力をつけたのか、フランスも今世紀にはいり、ブルゴーニュを押さえ年鑑の常連となった。前回の大戦ではスペインに組してアルバニアと戦ったが今回の大戦ではスペインとの同盟を破棄し中立を保つ。

第二次スペイン戦

今回の戦争ではオーストリア・ミラノ・ブルゴーニュそして新たに同盟に招き入れたロシアがアルバニア側に、ポーランド・教皇領・ジェノヴァがスペイン側にたった。戦争はやはり一年半ほどで決着し、スペインはアルバニアの要求を全てのみ、キプロス・ドブルージャ・ラグーザの割譲に同意した。これによってスペインは完全に東地中海からたたき出され、中東の領土は完全に孤立することとなる。そのせいかスペインはこの地域の反乱を鎮圧することができなくなり、後年ヨルダンがイラクへと帰属することになった。また、この戦争でオーストリアはポーランドよりクラクフを割譲させることに成功している。

<戦後のヨーロッパ>

1760a.JPG

フランス遠征

スペイン戦後アルバニアはフランスへの侵攻を画策する。ブルゴーニュより軍隊の通行許可をとり、ブルゴーニュ・シャンパーニュ両州にあわせて10万の大軍を配置した。

1765年1月に宣戦布告が行われ、アルトワの戦いで3万近いフランス軍を一気に殲滅したことで戦局は一気にアルバニア有利に傾いた。開戦から半年ほどでパリが陥落、それから一年ほどの後講和が成立した。こうしてフランスはアルバニアの属国となったのであった。ここを属国化できたということは、今後ここを同盟国にすることが容易になり(私の感覚では、属国は友好度が−100以上あればほぼ100%同盟への参加を承諾する)ひいてはアルバニアの戦争に参加させることも自在になったことを意味する。

恐らく末席にいるとはいえ、列強の一角であるフランスを属国化し自陣にひきいれたことでアルバニアのヨーロッパにおける力はますます大きくなったのであった。

第三節 四面楚歌(1773〜1779)

世界大戦、再び

1773年、アルバニアはミラノを属国化。ミラノは北部イタリア一帯に根をはっており、列強とまではいえないまで動員力などにおいてはあなどれない一面を持つ。

1775年、スペインの同盟国ジェノヴァよりローンによって開戦理由を得、宣戦布告。今回の戦略目標はズバリスペインの属国化である。また、この戦争の後はオーストリアと戦おうと思っていたので、あらかじめ侮辱によてオーストリアとの友好度を下げておき、開戦の際に同盟から離反させ、まんまと同盟から追い出すことに成功している。オーストリアが抜けた後にはアルバニアの属国たるフランスを招きいれた。

こうして第三次スペイン戦は、

アルバニア・ブルゴーニュ・ミラノ・ロシア・フランス

スペイン・教皇領・ジェノヴァ

といった面々で戦われることとなった。

列強のうちの3国が参戦しているアルバニア同盟側の力は圧倒的で、スペイン同盟は各地で敗退を重ねていく。特にフランス領ルシヨンより進軍したアルバニア軍6万は順調にスペイン本国を荒らしまわり、へローナ・カタロニア・ヴァレンシアといった3州を占領していた。さあいよいよ敵首都マドリードへ向けて進撃だ!というところで凶報が舞い込む。

1776年4月、オーストリアがアルバニアに対して宣戦布告したのである。なんとオーストリアの同盟国には七つの海の支配者イギリスがついており、ここにアルバニアはスペイン・オーストリア・イギリスの3国を相手に戦わねばならなくなったのであった!

こうしてヨーロッパ全域にわたる大戦争が展開されるようになった。今回の戦争では列強と目されるヨーロッパ上位6カ国が全て参戦しており、そういう意味でも世界大戦の名にふさわしい戦争といえよう。

四面楚歌.JPG

こうなってくるとアルバニア側は苦しい。衰えたといえどもスペインは未だヨーロッパ・新大陸に広大な領土を有する大国であり、アルバニアはこことの戦いにかなりの戦力を割くことを強いられていた。ためにバルカン・小アジアを中心とした本国はかなり手薄になっており、オーストリア・イギリス軍の襲来を防ぐために新たに徴兵せざるを得ない状況となった。

さらにアルバニアの同盟国は実際のところあまり頼りにならなかったのである。ロシアはポーランドのせいでオーストリアやアルバニアとは国境を接しておらず、この戦争にはほとんど参加しないも同然であったし、フランスは先にアルバニアに主力部隊を撃破された痛手から立ち直っておらず、その兵力は3万がやっとというところであったからだ。

一方のオーストリア・イギリスは、前者は参戦早々に10万近い兵力を集中運用するやり方でミラノ陸軍やブルゴーニュ陸軍を殲滅・無力化し、ミラノ・マントヴァ・ヴュルツブルクといった都市をあっという間に占領し、アルバニア領に侵攻する構えを見せていた。最強の陸軍の名は伊達じゃない。また、イギリスもその圧倒的な海軍力を背景にアルバニア海軍を撃破し、地中海の制海権を完全に握る。スペインには通じた艦隊の集中運用による敵の殲滅という戦法も、海軍技術が離れすぎているせいかイギリスには全く通じず、アルバニアの44隻の軍船が、たった1隻のイギリス軍船に士気で押し切られて敗れるという事態さえ起こった。こうしてアレクサンドリアやコルフといった地中海領土がイギリス軍による包囲下におかれることとなった。

このようにヨーロッパでの戦局はアルバニアにとって相当に不利なものであった。そして新大陸においても最悪の報が舞い込むことになる。

アメリカ合衆国独立

1776年10月、オーストリア・イギリス同盟軍が参戦してから半年、なんとイギリスからアメリカ合衆国が独立!

*赤点はアルバニアよりアメリカ合衆国に併合された地域

アメリカ独立.JPG

これにはかなりの衝撃を受けた。実に11州がアルバニアよりアメリカへと割譲された。私はこのイベントがあったことを忘れており、これは本当に寝耳に水であった。長年植民してきた都市群があああああ

また、折りしも、フランス軍の協力もあり新大陸ではイギリス軍を押し返しつつあるタイミングであったあために、衝撃もひとしおである。なぜなら、アメリカとは強制的に戦争になり、アメリカは独立に伴いまとまった兵力を保有していたため新たな敵を迎え入れることになってしまったからだ。こちらからの宣戦をいう扱いなのかBBRが急上昇したのも痛い。ともあれ新大陸での戦争もまた新たな局面を迎えることとなった。唯一の救いはイギリスもまたアメリカと交戦状態にあるということだろうか。

北米.JPG

ここに至りアルバニアは新大陸においてはアメリカ、ヨーロッパにおいてはスペイン・イギリス・オーストリアという強敵を相手に、ほとんど単独で戦う必要に迫られ、まさに四面楚歌という状況に陥ってしまったのである。

反撃の狼煙

さて、状況は非常に苦しいと言わざるをえないが、それでも我々は勝たねばならない。そこでいきなり大逆転を狙わずに、敵をひとつひとつ丁寧に撃破し、少しでも状況を好転させることを心がけることにする。

スペインでは4万の兵による首都マドリードの包囲が始まっており、ここが落ちればスペインは降伏するものと思われたので、まずはスペイン同盟軍を戦線から離脱させることにする。数度にわたる突撃の末、1777年初頭にはここを攻略することに成功し、スペインを属国化し、降伏させた。

また、スペイン攻略に平行して、北米でもイギリス用に徴募していた3万の兵を対アメリカ戦線に投入、反撃に移る、アメリカが接収した旧アルバニア領土のほとんどには城塞がなく、ほとんど機動力による勝負となった。アルバニアは兵を3手に分け、アメリカ領を次々落としていく。途中兵を終結させ、アメリカ軍主力2万の兵を野戦において打ち破り、その直後突撃によって敵首都を陥れる。これによって戦果は十分たまり、アメリカに併合された地域で唯一アルバニア文化にとどまった一州を割譲させて講和した(他はすべてアングロサクソン文化に変化してしまっていた。残念。)。

アルバニアの勝利

スペイン、アメリカを降した。あとはオーストリア・イギリスとの戦いを制するのみ。ここまでこれら二国に対してはほとんどノーガードだったこともあり、この時点での戦果は−20%ほど。これをなんとか挽回し、アルバニアに勝利をもたらしたいと思う。

まずはマドリードを攻略した3万の軍勢をイギリス領アキテーヌに向けて進発させる。この地にはギュイエンヌ・ベアルンの2州があり、これらを陥落させることによって戦果をかせごう、というわけだ。また、オーストリア軍主力が南ドイツにてブルゴーニュ・ミラノ軍と衝突している隙をうかがって、バルカンで急編成した3万ほどの軍をオーストリア領ハンガリーに向かわせる。オーストリアはその領土のほぼ全域に強固な城塞を築いており(要塞レベル「Mighty」がざら!!)、この国から戦果を奪うのは容易ではないが、唯一ハンガリー領域だけは併合間もないせいもあってか「small」レベルの城塞が存在しており、これらを積極的に狙っていくことにした。また、北米においてもアメリカを倒した結果手すきになった2万ほどの軍をイギリスの植民地攻撃にまわすことにした。

これらの行動の結果、アレクサンドリア包囲を陥落寸前で解いたりするなどのイギリス軍の不可解な行動もあり、1779年1月には戦果をイーブンにまで押し戻し、敵方から50Dを奪う形で講和を結ぶことに成功した!

こうしてアルバニアはヨーロッパ列強3国を相手にした戦いに勝ち残り、その名を大きくあげたのであった。この戦争の結果アルバニアの勝利点はスペインを抜いて一位となり、ついにこのプレイにおける目標に到達した!

勝利点.JPG

あとはこの順位をゲーム終了まで維持するだけである。

第四節 欧州の覇権(1780〜1819)

イギリス、オーストリアの降伏

ついにアルバニアは勝利点一位に到達した。今やフランス、そしてかつての最強国スペインさえもアルバニアの属国に成り下がり、アルバニアの欧州における力は著しく強化された。しかしアルバニアはその歩みを止めない。欧州の覇権を完全に獲得すること、それが勝利点一位に到達したアルバニアの次なる目標となった。そしてそれは残る列強、イギリス・オーストリア、そしてロシアを降して始めて達成されるのだ!

こうしてアルバニアはその属国とともに残るヨーロッパ諸国に対して次々と戦争をしかけていく。

1791年3月 ロンドン陥落
同年7月  イギリス降伏

1800年1月 ウィーン陥落、オーストリア降伏

こうして最強の海軍を持つイギリス、そして最強の陸軍を持つオーストリアもまた属国化された。イギリス上陸に際してはアルバニアはかなりずるい手を使った。まともに行っては前回の戦争同様制海権を握られ、ブリテンに近づくことすらままならないと思われたので、あらかじめイギリスより軍隊の通行許可をとり、ブリテンに14万の大軍を配置した上でイギリスの同盟国ポルトガルに宣戦布告することでかの国を戦場に引きずり出した。上陸さえできてしまえばイギリスなどもろいもので、ロンドン陥落、イギリス降伏まで半年とかかっていない。

オーストリアの方は少々苦戦を強いられた。先の大戦の結果オーストリア側の兵力がずいぶん消耗しており、そういう意味で野戦はかなり楽だったのだが、先にも述べたとおりオーストリアは全国土を要塞化しており、特に要塞レベル「Mighty」のウィーンを落とすのはかなり骨が折れた。15万の兵による突撃は跳ね返され、挙句の果てにはこちらの部隊が全滅させられ、包囲をいちからやり直すという事態まで起こった。結局突撃による陥落はあきらめ、砲兵70台、歩兵4万を用いた大規模な包囲戦によってようやくウィーンを落とすことに成功した。なお、このときアメリカがオーストリア側に同盟国として参戦しており、ここの属国化にも成功している。

東方遠征

1803年、ブルゴーニュを戦争によって属国化。また、1811年にはポーランド・教皇領同盟に宣戦布告し、この二国を属国化する。しかしこのときポーランドとの戦いにてこずってしまい、戦争は長期化することになった。ようやくポーランドを降し、ここを属国化したのは1816年7月のことで、長年の戦争による兵力の損耗もあり、ゲーム終了までにロシアまで降すのは不可能となってしまった。が、まあこれは仕方ない。

こうして、1816年、対ポーランド・教皇領戦役終了時の欧州は以下のようになった。

1816.JPG

ヨーロッパで未だアルバニアからの独立を保っているのはスイス・スウェーデン・ジェノヴァ・マルタ騎士団・プロイセン・アルスター・ポルトガルそしてロシアのわずか8国に過ぎない。スペイン、イギリス、オーストリアといったヨーロッパ列強国の誰もが欲した欧州の覇権は、アルバニアの手に帰したのであった・・。

1819年12月31日

さて、その後ミラノを外交併合してゲーム終了を迎えた。

以下は1819年の勢力図である。

<ヨーロッパ>

1819.JPG

<新大陸>

1819 新大陸.JPG



そして最終的な勝利点は以下のようになった。

勝利点2.JPG



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Last-modified: 2007-01-29 (月) 23:18:33