1776-1783 マニフェスト・ディスティニー

北米大陸はあまねく合衆国のものである。であるがゆえに、対英戦争がおわったらインディアン討伐開始。実はシャーウィーを併合するまで気がつかなかったのだが、合衆国はヨーロッパ扱いではないため、異教のインディアンでも宣戦布告で+1、併合で州数*1BBRが上がるのだ。どのみち外交はあんまりやる気はないのだが、安定度コストが上がるのが弱小国としては気分悪い。というわけで、ちょっぴり賢くなった私は一発併合せず、まず首都以外の全土を割譲させて5年後の戦争で併合することに。中核州あつかいだから割譲ではBBRが上がらないから。併合だと上がるのは納得いかないが…。


というわけで1776年10月、イロコイに宣戦。全土に防御のないイロコイを電撃的に占領して11月には和平。続き1777年3月チェロキーに宣戦。微妙に強化されてるチェロキーの土地を突撃で占領していき8月に和平。さらに、いつのまにかイロコイと同盟していてずーっと戦争状態だった(気がつかなかった)クリークを撃破し併合。あと未回収の中核州はダコタがもつ2州だけになった。なんでダコタは2州だけなんだろうね。残りは居住区?

1780年4月、焼き払って更地になっていた土地にとりあえず交易所、および最低限の植民地を置いて確保すると、路がつながったダコタを討伐開始。ダルース、メサビを順調に陥落させていくものの、えらい降る雪のため兵力はぐんぐん減っていく。そのうえシャーウィー戦の英雄スチューベンまで死んでしまった。移動中に。寒いからか?(後で調べたらただの寿命だった) ともかく首都ミネソタに到着し、蛮族の砦に突撃をかけるも敵兵350を残して士気が落ち敗走。そして士気が戻るまで雪の中で待機。1万7千の兵はあっというまに9千を切った。損害の9割が雪だよ。ここはどこのロシアか。 どうにかミネソタを陥落させ、最後の土地アイオワを落としてようやく1781年1月、中核州2州の割譲を飲ませて和平。完全占領していたので、合併、或いは属国化も可能ではあったのだけど、まぁ、とりあえず中核州の回収で満足しておく。


その後1782年、和平から5年を経たイロコイを攻めて併合。BBRは計11に。ええと、最初の宣戦で+1、二度目の宣戦で+1、併合して+1かな。うん、一発併合より1低い!…あれ?微妙…?

1782年10月、残ったチェロキーに宣戦、やたら兵力を蓄えたチェロキー軍へ全軍を放り込む。全軍と言ってもダコタの冬将軍を生き残ったわずか1万ちょっとだが、技術レベルの差は1.5倍のチェロキー軍を難なく追い払う。が、チェロキーは生意気にも要塞レベルをあげていた。ぎりぎり1万を切った合衆国軍は包囲を完成できない。そのあいだ退却したチェロキーはとなりのテネシーを包囲。まずい。あわてて徴兵した部隊がアラバマに到達するまでに、テネシーは陥落寸前になっていた。な、情けなさすぎる…。

tennessee.JPG
テネシー危機の図。かっこ悪ぅ…

1783年、アラバマに合衆国軍が突入しチェロキーは降伏。ようやく中核州の回収が終了した。

つづく


添付ファイル: filetennessee.JPG 64件 [詳細]

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Last-modified: 2008-01-21 (月) 13:33:42